2016年のオリンピックの競技種目として検討されていたゴルフが候補として残ったとの話しを聞いて、何かしっくり来ないものを感じてしまった。別にゴルフに恨みがあるわけではないのだが、私の中にはどこかゴルフに対していわゆる「スポーツ」として一くくりにしてしまうことに違和感があるからである。もちろんそれは私のゴルフ嫌いから来ているのかも知れないけれど・・・。

 ゴルフが多くの人を巻き込む魅力的なゲームになっていることは承知している。仲間も知人も、多くの人たちがゴルフに興味を持ち、数人が集まっての飲み会などではゴルフの話で盛り上がってしまうということもないではない。
 私にとってスポーツは、それほど興味のある分野ではない。小学生から中学生にかけては水泳に熱をあげていたし、高校生になってからは徒手体操や鉄棒・平行棒などのいわゆる体操クラブに所属して部長を務めたこともある。だからスポーツとは無縁な人生を送ってきたというわけではないのだが、そうは言っても就職してからというもの運動とはほとんど無縁の生活であったことは否定できない。

 だからと言ってスポーツと名がつくもの全部を毛嫌いしているわけではない。野球でも相撲でも、そのほかサッカーでもマラソンでも、好きなチームや選手がいて中継番組を熱心に見るというほどではないにしても、そうしたスポーツを好きな人たちが多数存在しているという事実を特に軽視しようとも思わない。

 ただ、ゴルフだけはどちらかと言うと嫌いなのである。物事を「好き、興味がない、嫌い」に分けてしまうことが妥当なことなのか、はたまたどこまで可能なのかは疑問のないではないけれど、私にとってほとんどのスポーツが「興味なし」の位置にあるのに対して、ゴルフだけはどちらかと言うと「嫌い」に分類されてしまうのである。
 だからと言ってゴルフが食わず嫌いなのではない。サッカーだとか野球やバスケットや柔道などなど、多くのスポーツを私はほとんど経験していない。柔道と多少似ている合気道なるものを職場の研修で東京へ行っていたときに一年ほど経験した程度である。

 だからスポーツと呼ばれるもののほとんどを私は経験していないことになる。だから「バスケットボールが嫌い」だとか「サッカーが嫌い」などと私が言ったとすれば、それはまさに「食わず嫌い」である。だがゴルフは少し違う。私はゴルフを経験しているからである。
 もともとそれほど興味のなかったことは事実なのだが、職場に入って数十年、ゴルフ人気が少しずつ高まってきて、公務員社会でも「平日にゴルフをやってもいいか」が問題とされるようになってきた。それはたとえ「休暇をとった上での仲間同士の親睦でも・・・」と言う問題でもあった。それはそれだけゴルフが日常的に普及してきたということでもあろう。

 それでもゴルフそのものを禁止するような方向には向かわず、「世の中に誤解を受けないように公務員としての節度を保って・・・」というような雰囲気の下で「平日以外ならいいのではないか」との方向へと傾いていった。そしてゴルフ人口は職場の中でも少しずつ増えていったのである。
 そうなってくると必然的に「ゴルフをやらないか」と先輩や上司、更には仲間や後輩などから誘われる機会も増えてくることになる。それほど興味がなかったから、「俺、ゴルフ知らないから」だとか「ちょっと忙しいから」などと言い訳しているだけではなかなか通じない時代になってきた。

 それは一つには「職場での人間関係」と絡んでくるからである。前にも書いたことがあるけれど私は酒は飲めるけれどカラオケは嫌いだった。だが世の中は居酒屋や職場の事務室で酒瓶傾けるような雰囲気から徐々にカラオケの時代へと変化していった。年齢を重ねるごとに私も少しずつポストが上がってきてそれなり部下なども持つ身になってくる。「職場とは仕事だ」と割り切ることもできないではないけれど、いわゆる「飲みニュケーション」だって大切な人間関係の一つである。

 そこへゴルフ熱である。「カラオケ嫌い」で飲み会も遠くなり、おまけにゴルフと言う大衆ゲームからも遠ざかるのでは、職場で孤立するほどのことはないにしてもいまいち落ち着きが悪いというものである。そこでまずカラオケの練習をすることとし(別稿「カラオケ、挑戦と挫折の軌跡」参照)、次いでゴルフも密かに練習を始めることとした。
 始めてのゴルフなのだから当然下手くそである。打ちっ放しの練習場に気の置けない仲間と通うこと自体を楽しむというのも一つの方法だとは思うけれど、ゴルフの本来はグリーンでの勝負にあるだろう。いきなりグリーンへ出て同僚と一緒にコースを回ること自体が無茶なことは余りにもはっきりしている。当然打ちっ放しに一人で通うことになる。

 そうこうしている内に練習場で個人レッスンの張り紙を見た。それまではゴルフの練習本を読みながらひたすら打ち込むだけだったから、スタイルも打ち方もまさに我流である。時々は快音を立ててボールがまっすぐ飛んでいくこともないではないけれど、なぜか右の方に大きくカーブすることが多くなかなか思うように飛んでくれない。専門のコーチが私に直接指導してくれるというのだから、密かに腕をあげる絶好の機会である。
 数回の個人指導を受けた。姿勢を直され、腕の振り方やクラブの持ち方などなどを、その元プロだったとかいう講師は熱心に教えてくれる。なかなかすぐには言うとおりの成果は得られないけれど、それでも少しずつ上手くなっていくことが自分でも分かるようになってきた。

 時に会心の一打とも言うべきホームランが出る。講師はまさに私の指導の賜物だとぱかり、こんな風に弟子である私に声をかけてくる。恐らくそのときに彼が発した一言が私のゴルフ嫌いの根幹に位置しているのではないかと思う。それはこんな一言であった。

 「ゴルフはメンタルなスポーツだからね。どうだいこれだけ飛ぶと気持ちいいでしょう・・・

 素直にそうは思えなかった。少しも気持ちよくなかったからである。ゴルフがメンタルなゲームだとの話はその後も幾度となく聞いたことがある。そのたびにどこか違和感が残った。

 ゴルフがメンタルなゲームでないと言いたいのではない。ただ「メンタル」の語の中にはいかにもゴルフがインテリのゲームであり、高尚なスポーツなのだとの意識が鼻持ちならないほどにも込められているように感じてしまったのである。ゴルフをメンタルだと言うのならそれはそれでいいだろう。しかし、だとすれば世の中にメンタルでないゲームだとかスポーツなどが果たして存在するのだろうかと思ってしまったからである。じゃんけんだって多分にメンタルなゲームであろう。
 そしてこれしきのゲームに「メンタルである」ことを強調するということは、そうした主張以外にゴルフにはその存在理由を示す言葉がないのではないかと思ったのである。

 個人レッスンを受けて多少上手くなり、ある日仲間に誘われてグリーンに出た。パターは練習不足でいまいちだったけれどドライバーショットはけっこうな当たりを見せ、ボールが行方不明になることも池ポチャになることもなく150くらい叩いてゲームは終わった。100を切るかどうかがゴルフ初心者の目安になっているらしいから、私の150打と言うスコアは素人としてはそんなに非常識な数字ではないだろう。全18ホール、1ホール当たり2〜3打程度のオーバーだから、グリーン初体験の成果にしてはむしろ上々ではないかとすら思ったくらいである。

 でもそれほど楽しくはなかった。滅茶苦茶に惨敗したのならリベンジ精神が働いたかも知れないのだが、一緒にコースを回った仲間に特に迷惑かけることもなくほどほどについて行けたという中途半端さが、逆に興味を削いだのかも知れない。
 私のグリーンでのゴルフはその一回限りである。急速に興味を失ったままその後打ちっ放しにも行くことなく、誰からだったか忘れてしまったが譲り受けた中古の道具一式もいつの間にかどこかへと消えてしまった。

 「メンタルである」ことをことさらに強調するようなゲームを私は他にあまり知らない。それは恐らく様々なゲームにおけるメンタルであることの軽重の程度を理解できない私の経験不足によるところが大きいのかも知れないし、そんな一言でゴルフ嫌いになるなんてのは大人気ないとの気持ちのないでもない。
 まあ、言ってみれば練習も含めて「やってみて楽しくなかった」ことにあるのだろうけれど、どこかでゴルフと言うものに対してスポーツと言うよりは「金持ちの愛好家の趣味」、もしくはそうした趣味に身を寄せたペダンティックなゲーム、そんな偏見が私のどこかにあるからなのかも知れない。もちろんそれが数多のゴルフ好きが心底ゴルフが好きでプレイしていることを承知の上での偏見であることもまた理解しての思いではあるけれど・・・。



                                     2009.9.15    佐々木利夫


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私はゴルフが嫌いです