先週発表したエッセイの中で、現在持ち歩いているラジオがモノラルからステレオに変わり音の広がりが感じられるようになったと書いた(別稿「ラジオとカセット」参照)。書きながら、そういえば「ステレオ」と言う言葉そのものがいかにも古めかしい表現になってしまっていることに気づいた。どんな線引きでそんな風に表現するのか定かではないけれど、死語と化しているような気さえしたのである。

 私の記憶する限りステレオの始まりはラジオだったような気がする。私の最初に手に入れたレコードプレーヤーもステレオだったような気がしているから、ラジオとプレーヤーとでそんなに差はなかったかも知れない。ただ、ラジオのステレオは現在のようなFM放送のように単独で聴けるものではなく、AM放送から始まったのである。そしてその放送原理の説明に私でも理解できる数式が使われていたことが、ステレオの意味を強烈に印象付けたのであった。

 AM放送は今でも健在であり、NHKは第一放送と第二放送の二つのバンドで行われている。当時も今も別々の放送内容だが、私の記憶ではたった一度だけ同じ内容が同時に流れたことがある。どっちが右で、どっちが左か忘れてしまったが、一つの曲を第一放送と第二放送とで左右別々の音として放送し、視聴者はラジオを二台用意して、一方で第一放送を、もう一方で第二放送を受信するのである。番組が始まると女性のアナウンサーが、「右から声を出してます」、「左から声を出してます」、「今度は中央から聞こえるよう音量を調節してください」などとテストの音声で案内を始める、つまりステレオ放送である。
 確か番組のタイトルは「立体音楽堂」で、日曜日の午前中だったような気がしている。そして番組の始めに流れるタイトル曲がラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」だったことをかすかに記憶している。

 ラジオなんだからそのまま聴いていればいいことになるのだし、それでステレオの再生になることに違いはない。ところが何かの機会にこの放送の電波は単に右と左に分けるだけではなく、特別な加工をして送信しているとの話を聞いた。
 それは第一放送では(右+左)の音を、第二放送では(右−左)の音を発信しているというのである。そしてその両方の電波を受信機の側でこんな風に加工するのだと言う。右チャンネルは(第一放送−第二放送)、左チャンネルは(第一放送+第二放送)と言う形でミックスすると、右チャンネルは(右+左)−(右−左)になるからこの足し算の答えは「左」×2になる。当然もう一つのチャンネルは(右+左)+(右−左)であり、この答えは「右」×2である。つまり原曲の二倍の強さで、しかも純粋に分離された音がスピーカーから再生されるというのである。こんな簡単な代数の計算など、数学好きでなくたって中学生にでも分かる道理である。

 もちろんどうやって音なり電波の足し算や引き算をするのかについての技術的な方法は、私にはまるで分からない。ただ僅かにもしろ数学好きだった私に、このいかにも簡単で分かりやすい数式による説明は単に「クラシック音楽をステレオで聴く」という意味以上の衝撃を与え有頂天にさせたのである。しかも多少メカニック好きだった私にとって二台のラジオを並べると言う環境は、一言で言えば「なるほど、なるほど、さもありなん」との一人合点の世界を十分に与えてくれたのである。

 現在のFM放送は単独でステレオ放送ができるようになっているし、FM電波そのものがステレオ化しやすいのか、テレビの音声なども今ではステレオが当たり前になっている。そもそも、ステレオと言う言葉そのものが今では特別な状況を示す語ではなくなってきている。ラジオ、テレビの番組表でもその放送がステレオであることの表示をしなくなったのはいつ頃からだったろうか。ステレオであることが一つのステータスであった時代はホンの僅かの期間で消えてしまったような気がする。つまりステレオは今では当たり前のことであり、わざわざアピールする必要などない時代になったということでもあろう。

 しかしほんの数十年前、ステレオが一時代を画したときにはプレーヤー、テープデッキ、アンプ、スピーカーなどなど、私も「ステレオであること」にすっかりはまったものだ。聴くのはクラシックである。どこかでかしこまった風情が必要である(と、私は思っていた)。まだウォークマンなどない頃だし、スピーカーも一つのボックス内に高音部、中音部、低音部用の三つがはめ込んであり、しかもそのボックスは建築ブロックのようなきっちりとした土台の上に置いて聴く必要があるなどの風聞を信じて狭い自室に様々な工夫を凝らしていた。

 そして忘れもしない指揮棒である。手でつまむ少し太い部分がコルクで出来ていて、その先が白のプラスチックだろう長さ50センチばかりの楽器店で入手した本物の指揮棒である。レオポルド・ストコフスキーは指揮棒を持たずに両手を振り下ろすようにしてオーケストラと向き合っていたけれど、ほとんどの指揮者は指揮棒を握って指揮台に立っていた。
 指揮棒を持つことだけで指揮者になれるなんてことを思っていたわけではないけれど、それでも世界の有名交響楽団の演奏するレコードを前に、椅子に座って指揮棒を振りながらうっとりとしている己が姿は、まあ言ってみれば自惚れの最たるものでありまさに白昼夢の世界であった。

 そして時にはこんなことも夢想する。
 ある時私は世界的に著名な交響楽団の演奏会場にいる。今まさに私のよく知っている交響曲の演奏の真っ最中である。・・・突然、指揮者が何かの事情で倒れ、指揮の継続が難しくなる。演奏を途中で終わらせることなどできないし、指揮者不在の演奏などありえない。そのとき主催者から聴衆に向かってこんな懇願がなされる。「皆さんの中にどなたかこの曲を指揮できる方はいらっしゃいませんか・・・」、そこで日頃から指揮棒を振り回していた私の出番となる。

 まるで飛行機や列車や船などの中で突然発生した病人の救命を求める医者探しのアナウンスと同じ状況ではないか。まるで映画じみた妄想ではあるが、そんな白昼夢も時折は頭をかすめさせながら私は一心不乱に指揮棒を振っている。オーケストラを指揮すると言うことと、白い棒を片手に音楽に合わせて下手な踊りを踊ることとの完全な混同ではあるのだが、指揮棒を握ったとたんに私はフルトベングラーにもカラヤンにも、大好きだったシャルル・ミンシュにもなれたのである。

 たとえ目の前にスピーカーしかなく、本棚の書物が視線を遮っていようとも、オーケストラの配置は大体頭に中に入っている。しかもステレオである。目を閉じればティンパニィは左側の上段、トランペットなどの金管は右の奥などなどが浮かんでくる。私が指揮棒ですくい上げた弦楽器からは重厚な葬送の曲が、棒の先で指差したトランペットからは華やかなファンファーレが、そして天を指す指揮棒やそのまま力強く振り下ろす両腕からは力強いコーダが乱れることなく紡ぎ出されてくるのである。

 今でこそ指揮者代行の白昼夢を見ることはなくなったし、指揮棒もいつの間にか手許から消えてしまった。それでもイヤホーンから流れるオーケストラに対し、カバンを握っているので片腕しか使えないストコフスキーは、知ってる曲に合わせて時折さりげなく腕振りながら事務所への道を歩いているのである。



                                     2009.9.9    佐々木利夫


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ステレオと指揮棒