どうしてこうも識者と称する者の意見、そうしてこうした者を交えた番組と言うのは偏ったと言うか、紋切り型の場面展開になってしまうのだろうかとテレビを見ながら思ってしまった。何をもって弱者というのか、きちんとした定義も定見もなしにこんなことを言うのはおこがましいかも知れないけれど「弱者を救え」と呪文を唱えることでなんでもかんでも優しく正義になってしまうような風潮が気になる。病気や貧困や肢体不自由、老齢や痴呆の本人はもとよりそうした親族にかかわっている介護者などなど、弱者である意味の根っこにはつまるところ「経済的な負担が大きい、支払いが大変」との一言で大部分を網羅しようとする考えがあるのかも知れない。だがそれ以外でも「助けて欲しい」と叫ぶ者がいるのならそうした人たちも弱者の範疇に含めてもいいのではないだろうか。

 最近のNHKTV朝の「生活ホットモーニング」(6.17)が取り上げていたのは統合失調症(少し前まで精神分裂病と呼ばれていた)の患者を巡る話題で、私は通勤途中のテレビ音声も受信できるポケットラジオからこの番組を聞いていた。
 私は統合失調症そのものについて論じようとしているのではない。この症状が本人や家族に様々な負担をかける一方で、なかなか社会に正しく認知されることの少ない病であることについても何の異論もない。

 ただこの番組に出演していた、専門家と称するゲスト出演者の発言と司会者との会話がどうにも気になってしまったのである。その発言は家族の経済的負担が大きいことについて、入院と在宅療養とを比較する場面に出てきた。

 「自宅療養はとてもお得です。入院すれば自己負担だけで月に10万円から100万円近くも医療費がかかります。それに比べて在宅療養なら数万円から10万円くらいで済みますから・・・。」
 発言者も司会者も、「それは大変楽になりますね」と絶賛する会話だけで費用に関する話題は終わった。

 だが私は、「そうじゃないだろう、そんなところで終わらせる話じゃないだろう」と思えて仕方がなかったのである。むしろなんだか無性に腹が立ってきたのである。
 この病気は入退院を繰り返すことも多いと聞くけれど、例えば数日入院して退院するというほど単純なサイクルで終わるものではない。番組の話題の中でも出ていたけれど、一ヶ月以上もの長期入院になることだって珍しくないようである。入院した際における家族と患者との対応はどうなっているのだろうか。場合によっては毎日のように見舞いに行くことだってあるかも知れない。ただ仮に毎日通ったところでせいぜい患者との接触は数時間の面会であり、「また、明日来るね」と言って病室を去ることの繰り返しであろう。その見舞い自体にだって家族の大変さを理解できないではないけれど、患者との付き合いはその程度のもので済む。見舞いに来た者にとって残った時間は自分だけのものになる。

 だが在宅療養を「お得だ」としている論者の根拠は、僅か週一回の医師や看護師や介護関係者などの、それも一回当たり一時間ほどの訪問とそれに要する費用を積み上げたものにしか過ぎない。残る23時間、そしてそれに続く24時間6日間もの面倒はだれが看るのかについての話題を、この番組は一切触れようとはしなかった。面倒を看ることがいやだろうとか、面倒を看ることの辛さの軽減を図るために患者を病院へ押し込めようとしているのではないかなどの皮肉を言おうとしているのでもない。ただこの「お得です」と言葉からは、「親だから、肉親だから、家族なんだから患者の面倒の一切を看ることなんか費用とは考えない当然のことでしょう」と言わんばかりの背景があまりにも見え見えになっていることがどうにも納得できなかったのである。

 入院の一ヶ月が家族にとって「のんびりできる時間」になっているなどと、入院による他人任せの気楽さをどうのこうの言いたいのではない。しかも患者は入院することによってどんな治療なり介護なりを受けるのか、それが在宅療養の家族による介護などと質的にどの程度違うのか、入院がやや機械的で、家族はもう少し親身な世話になるのかなとの感じは受けるけれど、それとても私の思い込みだけで実態についてきちんと理解しているわけではない。

 ただ基本的に「24時間患者の世話をすること」が基本になっているであろう入院と、患者の生活のほぼ全部を家族が丸抱えになってしまう在宅療養とを、単純に月に必要となる医療費が減少することのメリットだけに押し付けてしまう意見には、どこか肝心なところが抜けているのではないかと思えてならなかったのである。

 こうした家族介護の問題については、老人介護とのかかわりで既に発表したところだけれど(別稿「介護する側の論理」参照)、どこかこうした介護じみた行為には家族の無償による世話みたいなものが、あたかも当然であるかのように論じられている風潮がどうも気になる。

 もちろんこの番組は在宅介護を「家族の世話」の範囲に留めていたわけではない。ACTと呼ばれるアメリカで始まり現在世界の潮流になっているとも言われている、包括型地域生活支援プログラムでの精神科在宅ケアの仕組みについても触れていた。このシステムでは在宅ケアに対して看護師、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理士、精神科医、就労の専門家など様々な職種の人たちが患者を支援するようになっているとのことである。しかも患者の急な容態の変化にも対応できるように、24時間体制の支援になっていることも同時に説明されていた。

 私はこのACTに異論があるわけでもない。むしろ理想的な体制だとすら思っている。私がもし患者で、このようなシステムに囲まれた生活ができるならどんなにか安心でき、治療効果も上がることだろうと思う。しかもこうしたシステムの必要さは、単に統合失調症だけに限るわけではない。他の精神疾患や老人介護、更にはがん患者や様々な原因によってリハビリが必要になった人、もしかしたら心身の障害以外にも例えば職を失おうとしている人だとか入学試験に悩んでいる学生にだってこうした支援の必要さには何の違いもないだろう。

 だが考えても見てほしい。これだけのシステムがきちんと存在しているとして、そしてそれを利用した場合、患者や家族の金銭的な負担は果たしてどのくらいになるだろうか。その人の周りには24時間体制で10人近い支援システムが存在しているのである。その人たちにだってそれぞれ生活があるのだから、給与や設備などの費用はボランティアによる無償ではないはずである。
 もちろんそうしたサービスの全部を健康保険や介護保険、なんなら国の税金による特別な救済システムで賄ってくれるなら問題はない。日本の将来をそうした方向に向かうべく要求し続けることに否やはないけれど、その実現には途方もない費用と時間がかかるであろうことは想像に難くない。

 テレビの論者は軽い気持ちで「在宅のほうがお得ですよ」と言ったのだろうとは思う。だが私はその意見には「家族による介護」と言うとてつもない重い視点がまるで欠けているのではないか、そしてそれとはまるで別次元にあるACTとを混同しているのではないか、更には「お得です」ことの本当の意味に気づいていないのではないかなどの思いが重なって、一体何がお得なのだろうかと気になって仕方がないのである。



                                     2009.6.24    佐々木利夫


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弱者救済の論理