「手遅れ医者」とは落語の登場人物である。この医者以外にも、病気だろうが怪我だろうが、なんでもかんでも「葛根湯(かっこんとう)」というせんじ薬を処方する以外に能力のない「葛根湯医者」と呼ぶのも出てくるけれど、この手遅れ医者もそうした人物の一人である。診察した後にどの患者に対しても必ず「手遅れです、もう少し早く連れてきてくれれば助かったのに」と診断する医者のことである。屋根から落ちて運び込まれた患者にも「手遅れです」を繰り返すのである。そして家族が「落ちてすぐ運んできたんだ」と食い下がっても「怪我をする前に連れてくれば助かったのに」と言う、これがこの話の落ちである。
 こんな話が落語、しかも古典落語として現在にまで人気を保ちながら受け継がれていると言うことは、似たような医者が現実にも存在していると言うことであろうか。

 落語の背景の江戸時代ならともかく、高度医療の発達した現代にここまで露骨で無能力な医者などいないだろうとは思う。それはそうなんだが、どこかで私にはこれに類似している医者が今でも生き残っているような気がしてならないのである。
 それは、テレビなどで医療に関する相談や解説をしている医者が、患者の一番聞きたい情報には触れることなく、「何かあったら・・・、仮に私に責任がなくても・・・、万が一のことがあったら・・・」などと考えているのかも知れないけれど、結論をきちんと伝えないまま「かかりつけのお医者様に相談してください」をあまりにも頻繁に繰り返しているからである。

 例えば2月25日の健康相談のテレビ番組である。私はきちんと知らないのだが、「妊娠高血圧症」という病気があるそうである。番組によると、妊婦の最高血圧が130台で要注意、140台で「症」と判定するらしいのであるが、相談は妊婦からのもので「血圧が120台後半になってきたのだが、その心配はあるか」との質問であった。それに対して相談を受けている専門医(このような番組では多くの場合専門医が担当している)の回答が「かかりつけのお医者さんに相談してください」を繰り返すばかりであったことにふと違和感を感じたのであった。司会者も質問者からの相談を読み上げていながら、その質問にきちんと答えていない医師の回答になんら補足することなく次の質問へと移っていく。

 そして次の質問に対する回答もまた同じような結末になっていたことにも驚いたのである。「妊娠中に耳が塞がるような感じがするが大丈夫か」との質問に対し、「そういう人もいます。耳鼻咽喉科の先生に診てもらってください」だったからである。

 もしリハーサル不足の結果として中途半端な番組になったのなら、医師もそうだけれど制作者も反省すべきであると思うのだか、こうした食い違いったままの質問と回答の傾向はテレビのみならず新聞などでも共通しているので(別稿、「かみ合わない質問と解答」参照)、マスコミには相談にまともに向き合っていこうという気持ちなど最初からないということなのかも知れない。

 つまり私には質問者の疑問に対して医者は何にも答えていないように思えてならなかったのである。例えば血圧の例で言いうなら、「120台が安全圏」であるなら「心配ありません」ときちんと伝えるべきなのである。そして更には「もし心配なら家庭用血圧計(今では医者にかかるよりかなり安価に入手できる)で毎日測定する」ことや、130台が一定期間以上続くようだったらその記録を持って医師に相談したほうがいいことなどを伝えるべきだったと思うのである。

 私は医者ではないので、120台が絶対安全なのかどうかの判断はつかない。しかしこの番組は、専門医師による患者からの相談コーナーである。「心配ならお医者さんに診てもらえ」なんぞを回答の末尾に付け加えることは無回答とまるで同じであり、同時に相談者に対する侮辱でもあるように思えてならないのである。

 「血圧120台は絶対安全」との確信を、相談を受けた医者は持てなかったのかも知れない。もしそうならその医者は専門医として失格であり、仮に専門医でも的確な回答を下せないような相談であったならば、少なくともその相談に関する医療水準が現在では確定していないこと、もしくは「私には確定的な判断を下せない」旨を相談者に伝えるべきだったと思うのである。

 私はこの番組を見て、この相談を受けた医者は無責任の塊りであるように思えたのである。そしてこうした番組の制作そのものに疑問が生じたのである。この医者は自分の責任を回避したのである。自分に課せられた責任ある判断をきちんと述べることなく、他の医者の診断に責任を委ねることで自らの責任を放棄したのである。

 そうした責任逃れの体質は、「手遅れ医者」の発想とまるで同じである。医療相談ばかりではなく、様々な相談コーナーがテレビには氾濫している。そうした回答にはなぜか「お近くの専門家にお尋ねください」がいつも付きまとっているような気がしてならない。
 そうした背景には、「回答は個々のケースによって異なるので、一般的な内容では誤りになる場合がある」との配慮があるのかも知れない。でも「お近くの専門家にお尋ねください」を回答の末尾に付け加えてしまったら、その相談に対するそれまでの回答はまるで無意味になってしまうのではないだろうか。

 そして今朝の新聞の読者投稿にこんな話題を見つけた。現代には、「手遅れ医者」をそのまま引きずっているかのようなこんなタイプの医者もまた増殖しつつあったのである。

 『医師の診断、結句はいつも・・・・・・』(朝日新聞、3.5、声)

 「・・・泌尿器科で『医師に前立腺肥大の結果は・・・治りますかと尋ねた』。・・・『進行を抑えますが『加齢』ですから・・・』。消化器科で大腸ポリープの摘出手術で、『先生またポリープができますか』、『年を重ねるとそうですね。まあ『加齢』ですね』。皮膚科で『先生、顔の左右に大豆大のシミが2個ずつでき、だんだん黒くなり困っています。取れますか』、『60を過ぎると誰でも黒ずんできます。『加齢』には勝てません』。医師に病状の原因を聞くと、最後には『加齢』という単語が出てくる。確かに『加齢』と言われれば、納得せざるを得ない。そこで一句。
『診断は加齢でもとる診療費』(64歳、千葉県、男性)

 加齢だ加齢だと言われた上に診察費だけは当たり前に請求されている64歳男性の心情を思うとき、既に70歳を迎えた私にはなんと言って良いか分からなくなるけれど、なんでもかんでも加齢に押し込めてしまう医者の診断姿勢には、どこかで手遅れ医者に通じる勉強不足と言うか責任放棄の姿勢があからさまに見えるようである。

 それともテレビや新聞などの無料相談で相談者が安易に情報を得られたのでは商売が上がったりになるとでも考えた相談員が、仲間や業界のために有料である医者や弁護士などの専門家へと相談者を誘導しようとしているのではないかとの思いがする。それともそんな思いは私の身勝手なかんぐりなのだろうか。




                                     2010.3.5    佐々木利夫


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手遅れ医者は今でも健在