つい最近、テレビで書籍の流通がフリーロケーションになっていることを紹介した番組を見た。ロケーションとは位置や場所のことだから、フリーロケーションとは商品や情報の位置を容易に把握することの意味に使われていて、主として在庫管理手法として使われる場合が多いらしい。このテレビ番組では書籍の流通に関して、こんな風に解説されていた。

 これまで多数の出版物を扱う取扱店では、山のような出版物を例えばジャンルであるとか出版年などをキーにして巨大な倉庫なり書棚に並べていたのだそうである。そして全国の書店や個人から特定の書籍について注文があった場合、その分類されたキーを頼りに人がその本の在庫されている所在場所を探して抜き出して発送していたのだそうである。そうした分類のキーに、例えば日本図書館協会の開発した日本十進分類法(総記、哲学、歴史・・・、言語、文学)などを使っていたのか、それ以外の分類手法を採用していたのか私は分からない。それでも何かのキーワードを頼りに分類し、その基準にしたがって目的の書籍に到達できるシステムであったことは否定できないだろう。

 それがコンピュータ管理の進展で、そうした基準が必要なくなったというのである。つまり在庫は、書籍の入荷したときに「書名や作者など」とその「書籍を保管した場所(位置)」を管理するだけで足りるようになったのである。これまではある一定の基準に従って、例えば小説であればこのブロックに、辞書などはこの倉庫にと、作者名などのあいうえお順で並べて積んでおく必要があった。夏目漱石の我輩は猫であるの注文が来たときは、小説を保管してある第三倉庫の「な」の位置を探し、たくさん並んでいる夏目漱石の書籍の中から「わ」の位置を見つけ必要な一冊を抜き出すと言うのである。

 それがフリーロケーションでは、書名などの情報と位置情報だけを管理することになる。そうすることによって、例えば夏目漱石の我輩の猫であるが、どこに保管してあるかが即座に分かることになると言うのである。これはつまり、その書籍を保管するときに、例えば「ジャンルのなどの一定の基準に従った場所」を探し出す必要がなくなることを意味するからである。倉庫の開いている任意の場所にその本を積み、その位置をコンピュータに入力するだけで足りるからである。こうした手法は書籍だけでなく、電気製品や食料品などと一緒に並べておいてもかまわない。洋服の隣に夏目漱石が置いてあったとしても、その置いた場所さえ管理できていれば自由にそこへ到達できるからである。
 無数とも言えるような在庫の中から特定の商品を探し出すことはコンピュータの得意とするところであり、同時にそうした在庫をいくつも探し出すための最短ルートを見つけるすることもまた得意分野である。

 そんな番組を見ていて、それに似た手法を私はコンピュータなどない時代から利用していたことに気づいたのである。自力でそうした手法を開発できるほど優秀だったとは思えないので、恐らく何かの本で読んだヒントからの真似だったとは思うが、こんな方法であった。

 30歳になったばかりの頃、私は人事異動である部署の庶務の仕事に就くことになった。庶務とはいわゆるその部署のサービス係りである。文書の受付から発送、部署内の多数の職員の給与や休暇や出張などの管理まで、まさに雑多な仕事が舞い込んでくる。その雑多な仕事をいかに手際よく(実際はどう楽して)こなせるかが課題であった。なぜなら少しでも滞ると次の仕事や翌月の仕事などが重なってきてしまうからである。
 しかも、雑多な仕事とは言ってもそれは「どうでもいい仕事」とはまるで違う。上部組織からの取り扱い方法を新しく決めたことや変えたことなどの連絡やら、その部署の職員の福利厚生などにいたるまで、まさに軽重織り交ぜて降り注いでくるのである。そしてそれがまた当然のことではあるのだが、そうした多様な用務に対して職員からの質問もまた庶務担当でこなさなければならなかった。

 「あの書類はどこに閉じてある?」、「あの行事はいつだったっけ?、申し込んでおいくれないか」、「こんな連絡が来ていたはずだけど、正式名称忘れちゃった・・・」などなど、雑多な仕事はそのまま雑多な質問の受け場所でもある。まさに「庶務」とはそういうセクションであった。「こっちだって忙しいんだから、そんなもの自分で探せ」と言いたいところだが、それを言っちゃおしまいである。なんたって庶務は若い新人の受け持ちであり、質問するのはその部署のトップをはじめ並み居る諸先輩たちなのだから・・・。

 それら雑多な質問に対して、即座にしかも的確に答えられるようには残念ながら私の頭の構造はできていなかったようだ。なにしろ雑多なテーマをしまい込めるたくさんの引き出しを、私は持ち合わせていなかったからである。
 最初のうちは回答までに時間がかかり、多少とろいと思われたとしても、まあ新米としての許容範囲として大目に見てくれたかも知れない。でもいつまでもそれでは困る。少しずつ慣れてはいくだろうけれど、担当している者としてはそんなに悠長にはしていれない。

 ところで、雑多とは言えそうした情報はすべて紙で連絡を受ける。時には電話による連絡もないではないけれど、そうしたときには「これこれの連絡を受けました」とのメモを所定の用紙に書いてそれを必要な関係者に回覧し、見終わった旨の印鑑が押された書類がしばらくして私の手元に戻ってくる。戻ってきた書類はあらかじめ必用に応じ表題を付して区分してあるファイルに日付順に綴じ込む、これでとりあえずは一件落着ということになる。だからそれに関する質問があっても、その綴じ込んだファイルを探して質問者に見せるか回答をすればいいだけのことである。

 ところが、ところがである。質問者はそんな簡単に分かるような方法で質問してこないことが往々にしてあるのである。「○○について連絡あったよな」の質問のとき、その○○が何かの報告に関する事項であれば例えば「報告関係つづり」に綴じ込んであるはずだし、○○が外国為替に関する取り扱いを指示した文書であるならもしかしたら「為替関係つづり」かも知れないし「外国関係書類つづり」かも知れない。またあまり重要でなく発生頻度の少ない書類なら「雑件つづり」に綴じ込んであるかも知れない。聞くほうは自分の都合のいいキーワードで質問してくるけれど、受け手としてはその文書内容を記憶していたり綴じ込んだファイルを覚えているならともかく、毎日山のように届く様々な文書をそんなにすぐに見つけることなど困難である。

 まあ、見当をつけたり質問者に問い直すなどで、書類の在りかに到達はできる場合が多かったけれど、それを見つけるまでの時間がまたもったいない。なんたってそうした書類の捜索に関わっている間、私は本来の仕事ができないことになってしまうからである。

 それで考えたのが市販のノートを一冊買ってきて、数ページおきに「あいうえお・・・わ、そして英数字」の見出し紙をつけて情報をキーワードで管理する方法であった。ノートの全部のページに、私は左端から3センチくらいと右端から3センチくらいに縦線を二本引いた。つまり一行を3つに分け、狭い、広い、狭いの3つの情報を書き込めるようにした。最初の「狭い」欄はキーワードを書く欄である。次の「広い」欄はキーワードで代表される文書の正式名称を書くことにした。そして右端の「狭い」欄にはその文書の保存した場所を書くことにしたのである。こうして私を経由する全部の文書について文書ごとにキーワードを決定し、キーワードの一文字目の「あいうえお・・・」に該当するページへ整理することにしたのである。

 もちろんノートに整理する時間は新たに必要になるから、それだけ余分の時間がかかることに違いはない。それに例えば一つの文書をキーワードで分類するにしても、一つのキーワードで間に合うとは限らない。多くの場合は一つで間に合ったが、必要に応じ二つ、三つになることもあり、同じ内容をキーワードの数だけ数箇所に書かなければならないこともあった。それでもこの方法を採ることで、私はどんな質問にもこのノートを見ることでその文書の所在をたちどころに知ることができ、かつ質問者に提示、または綴じ込んで場所を知らせることができるようになったのである。それは質問と回答のタイムラグをものの見事に短縮させることになり、ノート整理に多少時間がかかってもそれを凌ぐ効果が期待できたのである。

 そはさりながら、これではまだここでのテーマである「フリーロケーション」とは言えないことにやがて気づいてきた。つまり書類の存在位置(ロケーション)こそノートから分かるものの、綴じ込む先は相変わらず「なになに綴り」という昔ながらの手法によっていて、「フリー」とは到底言えなかったからである。もちろんそうした綴じ込む手法そのものをフリーへと変更するようなことは、こうしたやり方が私のオリジナルであったこともあって組織の規定上からも許されなかったからである。手作りながらフリーロケーションと呼べるようなやり方ができるようになるまでには、まず自分なりのファイルを持つことが必要であり、そうなるまでにはもう少し時間がかかったのである。


                                「私のフリーロケーション(2)」へ続く。



                                     2011.8.5    佐々木利夫


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