さて、こうして情報の所在地がきちんと分かることで質問のほとんどに対処できることが分かってきた。もちろんそれは特別に私の天才的頭脳が必要だったわけではない。そうした情報の書類が確かに存在し、それがどういう名前のファイルに綴じ込んであるかが分かりさえすれば、そこに到達することは容易であることくらい誰にだってできることだからである。

 そうこうしているうちに私は東京へ一年の研修に行くことになり(別稿「大阪弁とわたし」参照)、その研修を終えて札幌に戻って一年を経て、更に一年3ヶ月の別の研修へと行かせてもらえる機会を手にした(別稿「私のくぐった赤門」参照)。この二度目の研修で私のフリーロケーション手法は新たな展開を見せることになったのである。ここでの研修課題は東京大学の聴講生として5教科の単位をとること、そして税法に関する論文を一本書くことの二つであった。

 高校を卒業してそのまま税界に身を投じた者にとって、論文を書くことなど私には始めての経験だった。まずは研究するテーマを決め、参考となる試料を集めることから始めなければならない。テーマは最初に考えていた内容で研修先の了解が得られてすんなりと決めることができた。さて次は資料収集である。何が役に立つのか、まるで使えない資料なのか、そんなことも分からないまま、ただやみくもに集めることからのスタートである。雑多な書類のコピーが少しずつ机の上に溜まっていく。集めたからといってその全部を記憶しておくことなど不可能だし、第一集めたこと自体すら忘れてしまうことに気づいた。それで集めた資料の要点部分を小さなカードにメモしておくことにした(別稿「論文に挑む」参照)。

 メモしたカードはメモの内容を示すキーワードを左上に赤鉛筆で大きく書き込み、小さな紙箱を作ってそこに「あいうえお・・・」の見出し部分だけ少し飛び足したカードを索引として並べそこへ保管しておくことにした。箱の大きさ(長さ)さえ変えていけばカード枚数が増加しても保管はこれで十分である。さて次は集めてきた資料の保管である。学説や判例、新聞や雑誌の記事から、時に思いつきを記したメモまで、様々な資料が私の周りに溢れてきた。それらを、例えば大雑把なテーマをつけて「○○つづり」、「××つづり」とすることも考えた。たがこれから私が挑戦しようとしているのは、テーマこそ決まったもののどんな展開になるのか見当もつかない生まれて始めての論文である。そうした「・・・つづり」とする分類方法だって、どこまで論文のストーリーに適合しているかは自分でも分からないのである。

 そこでフリーロケーションの登場である。集めてきた資料のコピーやメモは、カードその要旨を整理できたらそのままファイルに綴じ込むこととした。特定の名称をつけたファイルに分けるのではなく、一連番号を付した小さな身だし紙を貼り付けてそのまま綴じ込むことにしたのである。もちろんすぐにそのファイルは満杯になってきた。それで最初のファイルに「ファイルNo1」と背表紙に書き、次に「ファイルNo2」を増やすことにした。そしてカードの隅にその資料の保管場所を、例えば「ファイルNo5の23」と表示することにしたのである。集めた資料は集めるだけでは駄目である。カードにメモした要旨が的確か、もし引用する場合にはコピー元の書籍名などを確認しなければならないなど、再度チェックする必要が必ず出てくるからである。そうしたときに、そのカードを見るとファイルNo5の23番目にカードの元となった資料が閉じられていることがすぐに分かることになる。

 果たしてこうした手法がどこまでうまくいったかは前掲した「論文に挑む」を参考にして欲しいが、こうしたシステムは少なくとも私の前を通過する情報の整理には至極便利なものになった。こうした情報をカード化してキーワードをつけ保存場所を記録して50音順に整理する方法は、研修を終えた数年後の職場でもその能力を発揮することになったのである。

 その職場で私は北海道の各税務署からの法令の取り扱いや解釈についての質問を受ける立場になった。論文を作るときに作成したカードは、論文テーマに限定されていたこともあって利用はできないことがすぐに分かった。それで通達や解釈に関する情報、雑誌に掲載された解説や質疑応答や判例、直前に勤務していた国税不服審判所の採決事例などを、新旧を問わず手当たり次第にカード化することにしたのである。もちろん自分で調べて回答した事績もそれに加えたのは当然のことである。

 そうすることで次に新たに質問がきたときに、その質問からキーワード見つけ出し、そのキーワードに関する情報がないかどうかをすぐに検索できるようになったのである。もちろん最初は必要なカードが存在しないことが多かったけれど、半年もしないうちにカードが増えていき能率はどんどん上がっていった。なにしろ顎にはさんだ電話で質問を受けながら右手で事実関係をメモし、左手は同時進行でカードを探すという器用な動きまで可能になってきたからである。

 こうした手法はやがて次のデータブックの作成という方法へと変化していくことになった。この変化は必ずしも進化とは呼べなかったけれど、それでも重宝さにおいては類を見なかった。カードは大切な情報の泉でありそのまま続けていた。データブックとはその別バージョンである。まず少し厚めのB5版ルーズリーフ式のファイル(ノート)を用意し、白紙の用紙を数十枚綴じ込んで見出し紙をつけて50音にページを分ける。そこに会議資料や報告などから切り取った大小さまざまなデータを貼り付けていくのである。目的はこうである。

 「質問を受け回答する」というこれまでの仕事から離れることになった。今度の新しい仕事は北海道の各税務署の事務運営に関する企画や立案であった。一つのセクションを任され数人の部下もついた。とは言ってもまだまだ組織の下っ端であり、ものごとを最終決定することなどできる立場ではない。たくさんの上司が階級として目の前におり、その人たちを説得しなければならないからである。簡単な企画ならば直近の上司だけでいいけれど、事案によっては最上級の上司にまで理解してもらわなければならない場合だって起きる。そうしたとき目的や考え方などはペーパーとして作成してあるし、そもそも私を中心としたセクションでの企画なのだからそうしたことに関して質問があってもそれほど困ることはない。でも説得の必要な上司が求めるデータが時に不足していることが問題となった。

 もちろん私なりに必要と思われるデータはそのペーパーにつけてあるし、もう少し詳しいデータだって手持ちで用意してある。だが問題は「私の感じた必要性」と上司が必要と感じるデータとは必ずしも一致するものではないことにあった。とりあえず「何を聞かれてもいいように」色々な資料を上司の部屋へ持ち込むことになるし、必要によっては書類の保管庫まで取りに走らなければならないことだって生じる。たが私が必要と考えたデータ以外のデータが必要になったとき、持ち込んだ色々な資料の中から上司の求めるデータを見つけ出すのは時間的になかなかタイミングが合わないことが分かってきた。必要とするデータがどこかにあることは知っている。でもその場所に短時間(必要によっては即座)に到達して上司に示すことはとても困難なのである。ましてや自らのセクションが管轄している部門のデータならともかく、他所のデータなどはそうした場ではお手上げであった。報告している上司にその資料が届くまで待たせたままにしておくとか協議なり打ち合わせを一時中断することは所詮無理な話だし、ましてや保管庫まで捜しに行くなどは問題外である。

 そこでデータブックの登場である。折に触れ作成したデータや他のセクションが作成したデータなどをコピーし切り抜いて、タイトルの50音のページに貼り付けることにしたのである。ルーズリーフ式なので白紙を差し込むことで新しいデータを貼り付けるページは自由に増やせることになる。またあれもこれもと考えているいるうちにデータブックは次第に厚くなっていった。それでも古いデータや重複しているデータを整理することで「一冊のデータブック」は十分維持できた。また自分の所掌する分野以外のデータなども少しずつ紛れ込ませることができるようになってきたのである。そしてこのデータブックを持つことで、上司が更に上の上司に報告する場面でも私が呼ばれることになったのである。上司が更なる上司へと説明、報告しているあいだ、私はどんな質問が来ても答えられるようにデータブックの必要と思われるページへさりげなく指を移動させていたからである。これはフリーロケーションとは少し違うだろう。情報の位置を記録したのではなく、情報そのものを持ち歩いていたことになるのだから。

 データブック方式はその後も転勤で色々な仕事に変っても、その仕事に応じたデータを貼り付けた新しいデータブックを作成することでそれなりに活躍してくれたが、退職と同時に必要がなくなって自然消滅した。そしてかつてのカード方式とファイルに順に情報を綴っていくシステムが再び復活することになったのである。
 ただし今度はカードは作成しないことにした。税理士事務所は私が大統領である。目の前にはいつも優秀なパソコンが鎮座している。カードに代えてキーワード、情報の簡潔な内容、保存場所をこのマシンで管理することにしたのである。私のパソコン歴はけっこう長いのだが、エクセルはそれほど使いこなしているとは言えなかった。それでもキーワードに添えて「カナ文字キーワード」を新たに追加したこと、そしてそのカナ文字は画面に表示しないようにしたことで、入力情報の並び替えや欲しい情報文字の検索などが自在にできるようになった重宝さは驚きであった。

 これによって少なくとも私の支配下にある情報は私の意のままになることになった。もちろん新聞雑誌の記事情報はファイルに順番に綴んであるのですぐに探せるし、例えば通達集や質疑応答集などの分厚い本もキーワードと概要、それに所在地である「○○の本、何ページ」を入力するだけで直ちにたどり着けることになったからである。しかもそうした管理によって、情報の内容などについて私が自身で記憶しておく必要などないことにもなったのである。
 コンピュータの記憶容量はこれしきの情報管理に関してなら無限とでも言えるほどである。手元にある情報はそれが将来必要になるかどうかを考えることなく片っ端から入力し、そして入力したことすら忘れてしまってもそれほど心配しなくていいことになったのである。解決したい事案が発生したならまずその問題点となるキーワードを考え、次いでエクセルを呼び出して「検索」欄にそのキーワードを入力する。それだけの作業で少なくとも私のマシンはその問題に関する資料が私の手近に「あるかないか」、「あるとすればどこにあるか」を瞬時に答えてくれたからである。

 かくして私のフリーロケーションはこのよう変遷を経て今でも健在である。新しい情報を入力するたぴに、その情報が将来必要になるかどうかの点でいささかの疑問がないではない。役に立たない情報なら、エクセルへの入力もその情報のファイルへの保存も無駄になるのだし、そうした作業に要した時間もまた無駄と言うことになるからである。でもその無駄かどうかは結果論でしか分からないのだし、仕事を続けていると次第に情報の有用性みたいな感触も自然に分かってくるので、今はそれほど心配していない。

 仕事も少しずつ減らしてきているので疑問点の発生そのものが少なくなり、それにしたがって解決のための情報を探す場面も減ってきている。入力するだけで呼び出す機会の少ないのは少し寂しい気がしないでもないが、こんなテーマは場末の零細税理士に質問されることなど起きないよな、と考える場面も(したがって入力もしない)多くなりそれだけのんびりできるということでもある。

 ところで私はカード集団を二つ持っている。一つは現職当時に主として法解釈の手段利用していたデータ集団であり、これは今でも上記のエクセルで管理しているデータの補足として時々使利用している。もう一つはこれまでに読んだ本の中から気に入った文章などを書き抜いたメモの類で、これも数百枚になる。エッセイを書きながら、「確かこんな内容のカードがあったはずだが・・・」とその数百枚をめくるときがある。残念なことに最後の数枚なってからやっと見つかったときなどは、もう少し早い検索方法が欲しいと思うことしきりである。

 手書き文字をスキャナーで読み取るコンピュータソフトを持っているので、それを使ってカード内容をデジタル化してはどうかと思わないではない。そうすればタイトルはもとより内容に含まれている単語単位でも即座に検索することが可能となる。問題はただ一つ、私の手書きの文字は実に悪筆である。その原因は書く速度よりも頭から湧いてくる思考の速度のほうが勝っているからだ(つまり字が下手なのは頭がいい証拠)と密かに負け惜しみの解釈はしているのだが、それにしても下手過ぎる。そしてもし仮に「あなたの書いた文字は判読不能です」などとマシンから宣告されたらどうしたらいいだろうかと、そのことだけが気がかりでいまだに手付かずのままである。


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                                     2011.8.10    佐々木利夫


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