先週「
憲法と私たち」を書いていて、その中で「人は過去を持ったまま生まれてくるのだろうか」との感想を述べた。それはあくまでも憲法制定に関して何の関わりを持たない成立後に生まれた大多数が、どこまでその憲法に拘束されるのだろうかとの疑問から発したものであった。だが書いているうちにこんなテーマは単に憲法に限るものではなく、むしろ私たちの周りに山積しているのではないかと思えてきた。
例えば戦争責任がある。日本の戦争は直近でも65年前のことである。そしてその戦争は第二次世界大戦としていきなり始まったのではない。中国との盧溝橋事件や日中戦争などなど、たとえそれが日清日露とは切り離せるとしても一連の戦争として日本にのしかかってきている。そして南京虐殺であるとか、従軍慰安婦、更には北方領土などにまで及んでいる。
それは例えば北方領土などは現在まで引き続いている政治問題だから、現在生きている私たちにも直接関わってきていることを否定はしない。でも日本兵が犯したと言われる南京虐殺の責任はどうなるのだろうか。また従軍慰安婦として日本軍に強制的に連行されたとする人たちに対する償いはどのように解決していけばいいのだろうか。もちろんそれらは、日本が加害者としてどうすべきかの問題提起ではあるけれど、同時に原爆投下や東京大空襲による被災者、戦闘で死んでいった多くの兵隊やその遺族が相手国へ償いを要求するという逆の問題とも無縁ではない。
私たちは自由であることを人間の基本に置いている。何をもって自由と呼ぶかはとても難しいとは思うけれど、それでも自己決定のできる社会や環境を私たちは一つの理想として掲げている。そうした自由とは、その対岸に責任と呼ぶかそれとも危険と名づけるかはともかくとして、一つの結果を自分で引き受けるという立場を含んだものとして私たちは理解している。つまりは、自らの意思によって背負った責務は自分で引き受けることであり、別な意味で言うなら自らの意思によらないものは自らの責務とはならないことを意味している。
だとするなら、その責務はどこまでなのだろうか。私たちが南京攻略に参加した日本兵を父なり祖父に持ち、その父や祖父が犯した責務を「私が引き受けます」と約束したのなら、その責務は私のものとなるだろう。だが何の確証もなく言うのだが、現実問題としてそうし約束がなされているとは到底思えない。ならば私たちは父や祖父の行った南京虐殺の責任を負うことはないのだろうか。
私はここで「それでもなお、私たちは先人の責任を引き受けるべきだ」と主張したいのではない。また逆に、「私たちは終わってしまった戦争にはまったく無関係なのだから、その責任もまた無関係である」とばっさり切り捨てるべきだと言いたいのでもない。だが私の中ではどこかでこの両者が混乱したまま入り混じっている。
「前の世代の罪は前の世代のものであって、私の罪ではない。」、そのことの意味は分かり過ぎるほど良く分かるし、納得もできる。そう考えると私はとても気楽になり、解放感さえ味わうことができる。だがそうした思いの一方で、果たしてそれでいいのかの声も同時に聞こえてくる。
それは日本人特有の民俗意思や道徳観からくるものなのだろうか。もしそうだとするなら、その道徳観に基づく責任は個々人が意識しているレベルによって異なるものなのだろうか。ある個人が「私にも責任がある」と認識したことによって具体的、場合によっては人間的にも法的にも責任が発生することになり、「責任はない」と認識した場合には法的責任も含めて責任問題は霧散してしまうのだろうか。
こうした「前世代の罪の承継」を巡る問題は、少なくとも私を混乱へと導いてしまう。たとえば南京虐殺の責任は、虐殺の行為者個人の問題なのか、それともその地へ侵攻した軍隊の問題か、さらには個人や集団を超えて指揮官、組織、更には戦争を起こした日本をこそ責めるべきものなのか、そうした時に「承継」とはどういう意味を持つのかなどなどである。そしてその責任を仮に日本と言う国に負わせたとしても、戦争当事国間において賠償責任について話し合われ、ある種の解決がなされたとするなら、その効果はそのまま当事国の国民全体に及ぶのだろうか。「承継」の問題も当事国間で解決したと同時に、どんなに個々人に不満や恨みつらみがあったとしても切断されてしまうのだろうか。
そして私にはもう一つの混乱が拍車をかける。時間はそこに影響を与えるのだろうかとの思いである。これは法律に言う時効の問題ではない。時効は単に事実関係を示す証拠や記憶などが時の経過によって散逸したり薄れてしまうことから、紛争に国などの第三者が介入できる期限を設けたに過ぎないからである。
「前世代の罪」のテーマは南京虐殺に限るものではない。仮に戦争に限ったところで、日清日露戦争からそれ以前の内乱である明治維新、さらには関が原の合戦や大化の改新などまでさかのぼるなら、それ以前の卑弥呼時代やそれ以前だって、日本も世界も戦争に明け暮れた歴史を持っていたと言える。そして現在生き延びている私たちは、そうした戦乱の加害者か被害者の系譜に結局は連なっている子孫である。
私たちは関が原の合戦における加害者の責任や被害者の補償要求をどうして承継しないのだろうか。時効を主張するなら、それは「責任を承継しているか否かに関わらず、時間経過を理由に国家はその紛争に介入しない」ことなのだから、それはそれで「責任は存在しない」とする一つの解決が確定する。でも、時効の持ち出しは判断しないだけであって承継の存否を確定するものではない。前世代の罪は消えることなく承継されるとするならともかく、仮に消えるのだとするなら、それは、いつ、どんな形で消えるのだろうか。そして承継とは個人の何らかの相続によるものなのだろうか、それとも民族としての引継ぎなのだろうか。
先に述べた「私が犯した罪ではない」ことを理由に「承継」を切断し、その個人なり世代なりの責任だけにとどめるならそれはそれで一つの解決になる。だが南京事件や従軍慰安婦事件、東京大空襲被害者の政府への補償要求などなどが起きている事実は、「承継の切断」の考えが多くの人々に納得されていないことを示しているように思える。
もちろん「忘れ去ってしまうまで」と、承継にある種の期限を切る考え方もないではないけれど、それは解決の手法にならないような気がする。それは解決ではなく、単に風化を待つことにしか過ぎないように思えるからである。
こうした思いは親から子へ、子から孫へなどの承継だけに限るものではない。日本に特有の問題なのかも知れないけれど、40歳にも50歳にもなった大人が犯罪者として逮捕されたとき、老いた両親がマスコミの前で「申し訳ない」と謝罪する場面を見かけることがある。マスコミの報道手法が悪いと言ってしまえばそれまでだが、ここには世の中の多く人たちがこれまでとは逆の承継、つまり「子の罪は親とは無縁ではない」との思いを根強く持っているように思えてならない。自分以外の罪を人はどこまで引き受けなければならないのかは、思ったより困難な状況に私たちを追い込んでいるように思える。
2011.5.18 佐々木利夫
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