こうして一人で事務所を構えていると、祝日も祭日も休むこととはほとんど無関係で、ましてやゴールデンウィークなんぞもテレビの高速道渋滞情報や海外旅行で混雑する空港のニュースを横目にまさに他人事である。それは逆に、仕事をしているから休日の意味があるのであって、「毎日が日曜日」みたいに過ごしている私にとっては「休むこと」そのものの意味が老齢と共に変化してきているのかも知れない。

 ともあれゴールデンウィークのど真ん中、5月3日は憲法記念日であった。憲法については私はこれまで戦争放棄や基本的人権、そして司法制度の根幹に位置するものとして何度もここへ条文を引用しつつ論じてきた。
 別項「児童虐待と親と子」、「風化する戦争」、「御用聞きとして国?」、「国民的議論」、「過失責任・無過失責任」、「戦争と若者」、「代理出産への躊躇」、「ホントのことを言え」、「非常識な憲法9条」、「喫煙と言論の自由」、「マスコミの功罪」、「分かり易さの裏に潜むもの」、「ビラ配布有罪判決」、「本音と建て前」、「官庁の対応雑感」、「有識者懇談会」、「いま司法が面白い」、「治外法権と自白」、「血税」、「国民の意思」、「協力の道探れ」、「裁判員制度が目の前に」、「ブルカの禁止」、「夫婦別姓への思い込み」、「中途半端な犯人探し」、「日本人の神様意識」、「憲法擁護と改正論議」、「口蹄疫騒動と命」、「多数決は正しいのか」、「和解への責務」、「神棚を失った家庭」、「教員の誇り」などなど参照。

 憲法とはその98条がその第一項で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と定めているとおり、まさに最高法規として君臨している。

 そんな憲法の最高法規としての位置づけは当たり前のことだと思っていたし、どの国の憲法だってそれが憲法と名づけられている限り当然であると理解していた。でも本当にそれは「当然のことなのだろうか」とふと疑問に思ってから、私の憲法に対する見方が少しばかり揺らいできたのである。

 私が憲法を具体的に知ったのは高校を卒業して税務の職場へ入り、初任者として札幌で一年間の研修を受けたときであった。「憲法」と表題のついた法律書を一冊買わされ、北海道大学から派遣されたどことなく気難しげな教授から、「憲法」と題された時間割にしたがって十数回の講義を受けたからである。もちろん中学でも高校でも、何らかの形で憲法の存在やそのあらましなどは教えられたと思うのだが、なぜかほとんど記憶にない。だから憲法そのものを対象として学ぶという経験は、私にとっては一種のカルチャーショックだったような記憶がある。19歳の4月のことだった。

 ところでそうした様々な初任者として研修を受ける直前に、私たち税務職員として採用された仲間たちは一枚の誓約書に署名した記憶がある。その内容をきちんと記憶しているわけではないけれど、紙には「憲法と国家公務員法を遵守する」との誓いの文言が書かれていた。つまり私たちは憲法や公務員法を理解し、今後公務員としてそれらの諸規定を守っていくと誓うことで、始めて税務職員として採用されたということであろうか。
 それから数十年、仕事と憲法とが私個人に直接ぶつかってくるような場面はまるでなかったけれど、どうやら憲法判断に迷うことも、また国家公務員法に違反することもなく穏やかに退職の時を迎え、そして現在の税理士稼業へと続いている。

 さて私の憲法観が少し揺らいできたと書いたのは、この憲法の制定に私は少しも関わっていなかったことに改めて気づいたからである。現行憲法の成立は第二次世界大戦における日本の敗戦(ポツダム宣言の受諾、1945年・昭和20年8月15日)を契機として、GHQ(連合国軍総司令部)の指示による日本の民主化政策が始まったことにある。
 外国から押し付けられた憲法だとか、単なる翻訳憲法に過ぎないなどの批判は多々あるものの、現行憲法は敗戦の翌年1946年(昭和21年)11月3日に国会を通過して交付され、更にその翌年の1947年(5月3日)に施行された。憲法とはその国にとっての最高法規であり、内外に示す国そのものの存立の指針でもある。そうした一つの形として日本を象徴する法律が施行された日を記念日として祝日化する、そんな思いがゴールデンウィークの一翼を担っているというわけである。

 こうした経緯からも分かるとおり、現行憲法が国会を通ったときの私はまだ6歳である。施行されたときでも7歳でしかない。もちろん選挙権もないわけだから、憲法成立に関わった国会の構成員たる国会議員の選挙にもまるでタッチしていなかったことは言うまでもない。つまり現行憲法は私のまるで与り知らぬ場面で成立してしまったのである。法律の成立というのはそういうものだとの理屈が分からないではない。たとえ成立にまるで関与しない税法でも、0歳児でも所得があれば納税の義務を負うと定められているとすれば、課税要件を満たす所得がその子にあるなら年齢に関わらず課税される、つまりそう決めた税法に拘束されることになる。だから憲法成立当時の国会を選挙した国民が存する以上、その子供たちである私たちもまた、その成立した憲法に従わなければならないこともまた法律としての当然のシステムである。法律の成立とその法律に従う意思を有しているか否かとは、少なくとも法治国家のシステムとして分離して考えなければならないことだと思うからである。

 そうした法律、つまり私個人が成立にかかわることなく、しかも私自身に適用される法律が現存している事実は、私も基本的に行政に携わる者として様々な法律を学び適用してきた経験から知らないではない。具体的な法律名は思い出せないのだが、明治や大正期に制定された法律が現存している例もけっこう多いからである。

                                      「憲法と私たち」(2)へ続く



                                     2011.5.9    佐々木利夫


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