夕張の川は真っ黒だったと子供の頃の思い出を先週書いていて(別稿「黒い川の流れ」参照)、その川で遊んだ記憶が少しずつよみがえってきた。そうした忘れかけていた思い出の中に「銛撃ち」の遊びがあった。
 銛撃ちなんぞと言っても今では死語になっているかも知れないが、比較的大型の魚を獲る手法の一つである。私の知っている銛は、昔の鯨漁船に仕掛けられたものである。船の先頭に据え付け、爆薬(多分?)で発射する大砲のように巨大な金属でできた鈎針状の槍である。その槍にロープを結びつけ鯨に撃ち込む漁獲法である。船と大槍は綱で結びついているから撃ち込まれた獲物は逃げられないというわけである。

 そうした漁法はマグロなどの比較的大型の魚体に対する手投げによるものもあったようだ。最近見る機会のあった映画「白鯨(モビーディック)」(グレゴリー・ペック主演、1956年製作、物語の設定は1814年)によると昔は捕鯨も手投げによっていたようである。そうした漁法を私が見る機会は極洋捕鯨などがまだ盛んな時期でもあって映画館でのニュースになることが多く、爆薬による銛の撃ち出しが特別鮮明な記憶として残っていたのかも知れない。いずれにしても銛撃ちとはひもをつけたかぎ爪を獲物に撃ち込み、そのひもをたぐって捕らえる方法だと言っていいだろう。

 そんな漁獲法を私たちが川でやることはない。先週触れた黒川でもせいぜいがフナやどじょうくらいしか住んでいなかったから、いわゆる釣竿、テグス、錘、浮き、釣り針程度の仕掛けで足りたからである。では私の遊んだ銛撃ちとはなにか。
 その黒川で泳いだこともあると書いたように、子供にとってそれなり大きな川ではあったものの、私の自宅の近くの流れは比較的穏やかなものだった。でも山間の沢の町を流れる川である。少しの雨でも両岸を集めたその川は見る間に水かさを増していったのは当然であった。

 そもそもが真っ黒な流れである。しかも水かさが増しても川底に溜まった炭塵を巻き上げるせいなのか、その黒さが薄まることなどなかった。川は岸を噛みしぶきをあげ、奔流と化し濁流となって逆巻くのである。その流れを橋の上から眺めるのがなぜか私は好きだった。雨に打たれながら見ていたような記憶はないので、恐らく豪雨が一段落した後の増水した流れだったのだろう。

 その逆巻く流れに乗って、上流から色々なものが橋の下を通過していった。洪水で建物が流されたような話は聞いたことがなかったので、それは恐らく街中にあふれていたごみであるとか崖際などに生えていた木々の類だったのだろう。現在のようにごみの収集などと言ったシステムはなく、せいぜいが各家庭で燃やす以外に処分する方法はなかったから、沢の豪雨は近くのごみもろとも川へと流れ込んだのだろう。

 そんな雑多なごみが上流から間断なく橋の下を通過する。そんな時にふと、銛撃ちを思いついたのである。銛で流れてくるごみを射抜こうというのである。銛を作るための材料はその辺に溢れていたし、父の道具箱には釘やとんかちやのこぎりなどが手の届くところにあった。
 まずは銛の自作である。片手で持てる程度の長さ1メートル、直径6〜7センチくらいの丸太でも角材でもいい手ごろの棒を用意し、その先端に釘を打つ。釘は真横に打つのではない。棒の先端の中央から釘の先が半分ほど飛び出すように斜め、それも可能な限り垂直に近くなるように撃ち込むのである。釘と言っても今の私たちがホームセンターなどで手に入るような小さなものではない。五寸釘と呼ばれていた長さ15センチもの太くて長い釘だったような気がしている。

 そんな釘がたやすく子供の手に入ったのかと疑問に思うかも知れないが、私が子供の頃の建築はすべて木材であり、住宅を部分的に修理したり物置を作るなどの作業も家事の一種だった。だからどんな家庭にも板や木の切れっ端し、のこぎりや釘などは日常的に備えられていたし釘もまた必需品だった。だから錆びた古釘などもその辺の道路にいつでも転がっていたし、特に父はそうした修理などが得意だったこともあり釘の入手に事欠くことはなかった。ただなんとなくピカピカに光った釘を使ったような気がしているので、恐らく父の道具箱から手に入れたのかも知れない。

 これで木材の先端から釘が飛び出した、いわゆる自作の銛ができたことになる。ただこれで銛の完成とはいえない。銛は獲物をその針先で突き刺すことにある。だからその動きは針先に逆向きの力を与えることになる。つまり、そのまま銛を撃ち込むと針、つまり釘が押し戻されてしまうのである。もちろん釘の頭を棒の中に埋め込むように打ち込むことで少しは抜けにくくすることはできるが、それだけで防ぐのはとても難しかった。

 それで釘の頭を木に埋め込んだ上から針金や鉄板を巻いたり、小さな木片を打ちつけることでその埋め込みが外れないようにしなければならないのである。もちろんこれによっても完全に防ぐことはできない。何回か撃ち込むことで防止装置を押しのけて釘の頭が飛び出してくることも多かったからである。
 でもこれ以上の策は少年の頭では考えつかなかったので、とりあえずこの段階で銛は完成したことにしよう。次はロープである。この銛を撃ちつけた後に回収するためにはロープを結びつけなければならない。さすがにロープは身の回りには存在していなかった。それで使ったのは「縄」である。縄は農作業なども含めてどの家庭にも常備されていた。後日談になるけれど、税務職員になって私にも同僚にも転勤が日常となり、引越し作業を手伝うことが多くなった。そうしたとき荷物の梱包はすべて縄を使っていた。そんな縄の使い方が後日談なのだから、私の子供の頃には縄などどの家庭にでも当たり前に存在していたのである。

 手ごろな長さの縄を結んだ自作銛を持って、少年は増水で逆巻く黒川の橋の上に立つ。仲間と一緒だった記憶はないし、同じような遊びをしている競争相手を見たこともない。その頃から私は一人が好きだったのだろうか。橋の欄干に川までたっぷり届くほどの余裕を持たせて縄の一方を結びつけ、少年は濁流を流れてくる様々な獲物をめがけてその銛を撃ち込むのである。狙いはなかなか定まらず、当たってもうまい具合に突き刺さることはそれ以上に難しかしかった。仮に突き刺さってもその銛の針先に返し(逆向きの小針)はついていないから、獲物を取り囲む濁流は多くの場合釘先から獲物を奪い返してしまう。それでも少年は飽くことなく銛撃ちを繰り返していた。

 僅かにしろ回収できた獲物と言ったところで、せいぜいが木切れか板切れである。そんな獲物に何の価値もなかった。自宅へ持ち帰ることすらしなかっただろう。それでも価値とは別に自分の力で仕留めた貴重な獲物である、少年は沈黙のままひたすらに縄を手繰っては銛を回収し、黒い濁流に向って何度も何度も投げ続けていたのである。



                                     2011.3.11    佐々木利夫


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黒い川の銛(もり)撃ち