札幌の街路樹にはナナカマドが多い。とは言っても全市的に調べたわけではないから、単に通勤経路を含めた私の生活圏に多いだけなのかも知れない。日常的に気になる樹木といえば、毎年のようにあちこち探しては写真を撮り歩いている桜が一番だろう。ただ桜が気になる季節というのは満開を巡るせいぜい一週間とか10日くらいなもので、花が散ると同時に花も木も目立たなくなってしまうから花以外の季節が気になることなどまずないと言っていい。
それに比べるとナナカマドは、折々の季節にそれなりの付き合い方をしてくれているような気がする。事務所までの通勤経路にあるナナカマドについて、ご丁寧に本数まで数えながら歩いたことはだいぶ前にここへ発表したことがある(別稿「
62本目のナナカマド」参照)。ナナカマドが気になるのは、単に見かける機会が多いという数だけの問題ではなく年を通して変化する季節の便りを伝えてくれるからなのかも知れない。
なんと言ってもナナカマドが一番目立つのは、秋口から初冬にかけての赤い実である。「ぎんざんましこ」と呼ばれる渡り鳥がその実をついばむと聞いたことがあるし、現に旭川に勤務していた頃にその鳥がぎんざんましこだったかどうかは明らかでないものの、鳥が実をついばむ風景は何度か見たような記憶がある。とは言っても札幌で鳥がこの実をついばむ風景を見る機会はほとんどない。鳥を介して種族を増やそうとしているのにその鳥がいないようなのは実をつける目的に反しているのかも知れないが、それにもかかわらずナナカマドは初冬に入ると早々と枝から葉を落とし始め、残るのは木枯らしに震える枝先としつこくしがみつく豪華とも言える赤い実である。
やがて春先になると新しい葉が茂ってきて、その緑が少し濃くなってきたと思う間もなく、小さな白い花が咲き始める。それが花とも分からないくらいのゴマ粒みたいな白い集団が木一面を彩り、はらはらと花びらを地面に散らし始める。その真っ白で小さな花びらが地面に薄く積もっていくさまは、まるで初雪を見せてくれているようである。
そして初雪のような幻惑を残したまま、なぜか早々と葉がオレンジ色から赤へと変化していく。季節はまだ夏の暑い盛りで、まさかに冬支度を始めたとは思えないのだが、それでもナナカマドの葉は一斉に緑から赤へと色づき始めるのである。そしてやがて梢には赤い実がつき、未練などまるでないように葉を落としながら冬へと向っていくのである。
だからと言って通勤の毎日をナナカマドを意識しながら過ごしているわけではない。無関心の中で時々ふっと目に入る・・・、そんなくり返しだと言ってもいいだろう。そして最近気になったのは、数日前に図書館(西区民センター2階)から見下ろしたときであった。
ナナカマドにも異なる品種があるのか、それとも日当たりや育っている土壌などの環境に影響されるのか、葉の色づき具合や落ち方、実の赤さなどは様々である。ただ毎年のように気になっていたのだが、この図書館の入っている西区民センターに沿ったナナカマドの並木(とは言ってもせいぜい10数本が並んでいるだけなのだが)は、実の赤が際立って鮮やかなのである。まさに「真っ赤な実」がたわわに実っているのである。そしてこの並木全部が同じような鮮やかさを競っているのは、同じ品種によるからなのかも知れない。
そして数日前に札幌にも遅い初雪が訪れた。初冬の風景は融ける雪道や黒いわだちなどで薄汚れた感じがして、どちらかと言うと殺風景である。それでなくてもこの並木は片面を小学校の校庭という一種の空き地に沿って並んでおり、積もった雪は通り過ぎる車や日中の気温ですぐにぬかるみ状態になってしまうから、どちらかというとモノクロの冴えない景色を私たちに晒すことになる。そんなモノトーンの風景の中に、葉の落ちたナナカマドの実の赤さだけが際立って自己主張してくるのである。この日図書館に出かけたときは雲間から青空が覗いていた。初冬のまだ朝日の余韻の残る午前の日差しに、うっすらと雪を載せた赤い実が輝いていた。本を借りてエレベーターで地上に降り、外へ出て並木を見上げてみる。
事務所まで真っ直ぐ戻るつもりなら西区役所の脇を通って5分ほどの道のりだが、校庭のフェンス沿いに少し遠回りしてみようと思いつく。見上げる空の青さがまぶしい分だけ、雪を載せたナナカマドの真っ赤な実がやけに目に沁みる。足元はぬかるみ始めているけれど、靴下が濡れるほどではないし風も穏やかで初雪の寒さがダスタコートを通り抜けて伝わってくるほどでもない。校舎の横を過ぎ正面玄関を回って事務所まではせいぜい10分ほどの遠回りである。僅かそれだけの小さな散歩ではあったけれど、なんだかとても得したような気分にさせてくれた葉のすっかり落ちた今日のナナカマドの並木であった。
2011.11.16
佐々木利夫
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