まだまだ際限なく続くのだろうけれど、時代の進歩はこんなにも早いものなのだろうかと感心しつつ、どこかで引っかかるものを感じてしまった。
 このタイトルは最近発表されたディスクレコーダーの紹介記事からのものである。このタイトルに続いて次のような記事が載っていた。「東芝は6チャンネル分の地上デジタル放送を15日間分、自動的に録画していくブルーレイディスクレコーター・・・を22日に発売する。4テラバイト(TB)のハードディスクに自動録画し、録画忘れの心配をなくす。通常の録画機能もあり、1TBのハードディスクに地デジ、BS、CSの2番組を同時録画できる。市場想定価格は20万円前後。」(2011.12.10、朝日新聞)

 この記事を読んで最初に感じたのは、レコーダーもここまできたのかとの一種の驚きであった。コンピュータを含めてメモリーの進化には目を見張るものがある。私が最初に手にしたパソコンは、僅か30キロバイトの内蔵メモリーしかなく、しかも外部記憶装置として音楽用のカセットテープを使っていたのと比べなら(別稿「コンピューターがやってきた」参照」、現代のメモリーはまさにSFの世界を垣間見るようなものである。

 そこへテラバイトの登場である。キロバイト→メガバイト→ギガバイト→テラバイトの変遷は目くるめく時代の変遷・進化でもある。この単位は一段階上がるごとに1000倍になっている。現在のメモリーはパソコンのみならずデジカメや携帯電話など多くの場面に登場しているが、それがとうとうテラバイトの時代になったのである。それはこのレコーダーのコマーシャルでも分かるように途方もない容量を示している。

 繰り返すが、最初私が感じたのはその圧倒的な記録のボリュームについてであった。そしてすぐに、そうしたボリュームがコマーシャルに堂々と載るくらいに世の中に知られていること、更にはそれが商品の宣伝になると思わせるような時代になってきたことへの思いであった。テラバイトの意味は記憶容量の爆発的な膨大化を意味する。

 ところで札幌では現在地上デジタル放送はNHK、NHKEテレ、HTB、STV、HBC、UHB、TVHの7チャンネルが視聴できる。この録画機はこのうちの6つのチャンネルについて朝から深夜までの放送の全時間について、漏れなくしかも15日間も録画することができるのである。

 テレビとのつき合いがどの程度かはそれぞれ個人によって違うだろうし、付き合いの深度もまたそれぞれだと思う。一日中テレビをつけっ放しにしていても、ながら視聴みたいに特定の番組に興味を示さない人もいるだろうし、どうしても見たいと思う番組がいくつもある人だっているだろう。そういう特別の番組に思いを入れている人のために録画機(レコーダー)が開発されたのだろう。

 かく言う私も新発売間もないビデオテープデッキを購入したのは20年以上も前になる。アメリカのドラマ「スタートレック」だとか宇宙をめぐるドラマやドキュメントなどの録画に夢中になった記憶があり、その習慣はいまでも続いている。もちろんサラリーマンであった私にとって残業や飲み会などは日常であったから、録画のために日時とチャンネルを指定した予約機能が必要であったことは当然である。

 高価だったビデオテープを少しでも安く買おうと、東京出張を利用して秋葉原でまとめ買いしたこともあった。それほどのめり込んだ録画機能ではあったし、これまでにビデオデッキはダビングであるとか重複録画の必要、更には自宅と単身赴任先であるとか事務所の二重生活などもあって7〜8台も購入している。もちろんそうした必要も現在ではその録画媒体がテープからディスクに代わったこと、そして一台に複数のチューナーがついて多重録画が可能になったこともあってブルーレイディスク用1台、普通のDVD用が1台で間に合うようになっている。
 ただそれでも録画していて気づいたのだが、録画は自動でやってくれるけれど再生、つまり録画を見るためには録画するのと同じ時間が必要だということであった。もちろん早送り機能もあってコマーシャルなどをすっ飛ばすことは可能だから多少の再生時間の節約はできるけれど、録画した番組を2倍速や3倍速で見ることなど決してないから基本的に録画時間=再生時間である。

 そうたときにこのテラバイトマシンの登場である。6チャンネル15日間全録画の機能が、単に科学技術として可能になったということだけではなく、商品として販売されたことにどことない違和感を抱いたのである。「録画予約を忘れていても、全チャンネルについて半月前の番組まで漏れなく録画してあります」との理屈が分からないではない。予約を忘れて「しまった」との思いを抱く人がいるだろうことも、私もそうだったから理解できないではない。でも番組予約を忘れるのはそんなにたくさんはいないのではないかと思ったし、もし仮に忘れても地団太踏んで口惜しがるほどの番組などあんまりないのではないかと思ったのである。そしてそのために、膨大なボリュームの番組を、それも漏れなく録画しておく意味がどことなく分からなかったのである。

 ハードディスクの録画・消去のくり返しに伴う劣化などについて心配しているのではない。毎日の新聞のテレビ欄眺めて思うことの一つに、まさに膨大な情報が発信されているにもかかわらず私たちはこの中からどの程度利用しているのだろうかとの疑問であった。しかも地デジだけではなく、BS放送やCS放送なども含めるとまさに気の遠くなるようなチャンネルの電波が私たちの回りにひしめいていることが分かる。
 そうした氾濫する情報を漏れなく記録しておくほどの必要性が、私たちの生活にどれほど欠かせないのだろうかと思ったのである。

 たかだか(といったら叱られるかも知れないが)20万円程度のマシンである。15日を過ぎてもこのマシンは恐らく最初の部分を消去することで新しい番組を録画し続けていくのだろう。そしてこれからの時代、メモリーはテラバイトを超えて更にぺタ(10の15乗)・エクサ(同18乗)・ゼタ(同21乗)と増大していくことだろう。数10チャンネル、数年間録画だって夢ではないかも知れない。そうなれば、放送日時さえ覚えておくなら日時指定の録画予約そのものが不必要になる。だがそれが本当の便利さなのだろうか。録画された大量のデータの中から必要な番組を検索することの不便さを言っているのではない。そこまでして録画しなければならないような時代に私たちが生きているということが、どこかで間違った道へ私たちが進んでいることを示唆しているように思えてならないのである。

 それはもしかしたら「時間とは何か」の問いにつながるものなのかも知れない。無限定な録画とは、もしかしたら時代の要請(消費者の選好)というよりは、商品の開発者やメーカーの一方的な思い込みなのかも知れない。そんな思いを抱きつつも、この6チャンネル15日録画のレコーダーの発売情報に、録画してそしてそのまま見られることなく消去されてしまうであろう圧倒的なボリュームのデータの存在に、なぜか壮大な無駄、浪費、空費、意味のなさを感じさせられたのであった。


                                     2011.12.16     佐々木利夫


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6チャンネル15日録画