このエッセイと同時に、じゃんけんについて統計的にあり得ないとして却下するような現象が現実には確実に起きることの不思議さというか私の混乱振りを書いてみた(別稿「じゃんけん行列」参照)。そして書きながら、そう言えばこうした統計みたいな数値を使って私たちを説得しようとするケースってのは、いたるところに存在しているのではないかと、いささか気になってきた。

 若い頃、統計の通信教育の講座を受けたことは前掲の「じゃんけん行列」でも書いた。その講座の中に統計と嘘についての項目も存在していたのを記憶している。たとえば私が食堂へ昼飯を食いに行ったとき、先客が二人いて二人がラーメンを食べていて私がカレーライスを注文したとき、この事実をのみを捉えてサラリーマンの昼食の傾向は67%がラーメン派、33%がカレーライス派だと統計的に示すのは誤りなのは明らかである。
 またある病院で一年間の入院患者の死亡数を調査したところ、一階では20%、二階の患者では3%のデータが得られたとする。この結果からこの病院には原因は不明ながら一階の入院病棟にはなんらかの死亡率を高める要因が存在しているから、一階への入院は避けるべきであると結論していいかなども例として示されていたような気がする。

 いずれも数値としての誤りはない。それにもかかわらず前者のサラリーマンの昼食では、調査対象たる分母の数(母集団)が統計数値としての信頼性を示すだけの数になっていないことがあげられる。そして後者の入院患者の死亡率に関して、統計学の教科書はこんな風に説明していた。この病院では患者の症状が悪化すると、治療設備やスタッフが手近にいる一階へ移すというのである。つまり患者が二階に入院していても、症状が悪化すると万が一を考えて一階へベッドを移すということである。万が一とは死の危険でもあるから、これで一階で患者が死亡する確率は当然高くなるというのである。

 もちろんそれだけが死亡率の高さの原因なのかどうか断言はできないかも知れない。例えば一階には外来診察室があって、そのため外来患者からの院内感染みたいな要因が関係しているかも知れないし、場合によっては環境的な汚染物質が一階入院病棟に近い場所に存在していることだって考えられないではないからである。まあ、それでも症状の悪化によって二階から一階へ部屋を移すことが死亡率の高さの大きな要因になっていることは間違いがないようである。つまり、「一階への入院は避けるべきだ」とする統計的な判断は誤りだということである。
 判断が誤りだということは、そうした統計数値を使って出した結論がいかにもっともらしく見えようとも「嘘」だということである。「一階は危ない」との噂が広まっただけで済むことではない。データを示したことで逆にその数値が間違った結論を与えてしまったということである。

 ところでこれは新聞に掲載されたがん予防に関する広告の一節である。

 「・・・お酒は・・・適量であれば百薬の長と言えるのですが、飲みすぎれば口腔、咽頭、喉頭、食道の各がんやアルコール性肝硬変による肝臓がんのリスクを高めることは間違いありません。例えば、毎日一合以上の酒を30年以上飲み続けた人の食道がんになる確率は、飲まない人の8.2倍にもなる、とのデータがあるほどです。まして、お酒を飲みながらたばこを吸えば、たばこに含まれる発がん物質の多くがアルコールに溶けて吸収されやすくなり、がんのリスクをさらに高めるでしょう。・・・」(2011.9.28、山田養蜂場、朝日新聞

 
さあ大変である。「毎日一合以上飲み続ける」、そんな母集団をどうして集めることができたのか、「飲まない人」と言うのは「一合以下の人」なのか、それとも「一滴も飲まない人」を指すのか疑問はあるが、その根拠をこの記事は載せていないので検証のしようもないことはとりあえず脇に置くことにしよう。それでも飲兵衛はそうでない人の食道がんだけでも8.2倍のリスクを負うと言うのであるから、毎日飲み続けているわけではないにしても飲兵衛を自認する私にとっては大変な脅迫である。

 とろこがこの脅迫状を少し冷静になってから考えてみて、どうもしっくり来ないものがあるのに気がついた。まずこの8.2倍というデータの信頼性についてだが、どんな機関のいつの時点での調査なのか、母集団がどの程度なのかの記述がまったくされていないことが気になった。これでは3倍と言われようが100倍と言われようが、それを読者は確かめようがないのである。確かめようのないデータをいかに広告だとは言え、生命科学振興会理事長である医師の肩書きを持つ者の談話として公表するのはいかにも軽率であり、間違いでもあるように思えたのである。そんな根拠も示さない無責任な言い方が許されるのなら、勝手に「ガンが治ります」との効能をつけてサプリメントやドリンク剤の販売広告をしても、薬事法違反にならないことになってしまうような気がしたからである。

 さて気になることはもう一つあった。仮にこの8.2倍というデータが公的な機関などから発表された統計的に信頼できる数値だとしよう。それでもやっぱり、この広告の表現はどこかおかしいことに気づく。それは8.2倍とした根拠となる数値の、基礎となる人数や地域などのデータがどこにも示されていないからである。酒を飲む人、飲まない人それぞれ100人を無作為に調べ、その結果として飲む人の82人が食道がんにかかったのに対し、飲まない人は10人だったというなら、それはそれでそのこともまたデータとして示すべきだと思ったのである。

 でも8.2倍が正しいデータだとしても、こんな標本から得られた結果だったらどうだろうか。例えばそれぞれ100万人を対象とした検査の結果、酒を飲む人が食道がんにかかったのは82人だったが、飲まない人のそれは10人だったとしたらどうだろうか。このデータでも飲酒者が食道がんにかかる割合は飲まない人8.2倍になるのである。でも8.2倍の根拠か100万人のうち82人が食道がんにかかったというデータを基礎としているのなら、数字に矛盾があるとか、その数値は信用できないというのではなく、そもそもがんの心配をすることすらないのではないだろうかと私なら考えてしまう。8.2倍が嘘だというのではない。でもこの広告のような言い方は、どこか数字を使ったトリック、単なる脅迫でしかないように思えてならないのである。

 つまりもし仮に100万人の飲兵衛のうち82人が食道がんになると言うなら、その程度の危険のために残る99万9千9百人以上もの人々が好きな酒を生涯制限することにどんな意味があるのだろうかと私はふと思ったからである。分母が100人なら私も食道がんを心配して飲酒の習慣を止めるかも知れない。それは8.2倍に触発されたからではなく、飲酒者の82%が食道がんになる恐れがあるとのデータだからである。でももし仮に100万人の中の82人だとするなら、私はその8.2倍を一笑に付して無視するような気がしてならない。少なくとも0.000082の可能性と0.000010の可能性とをそれほど真剣に比較するだろうかと思ったのである。

 基礎資料を示すことなくこうした言い方をする手法はあちこちに見受けられる。この錠剤に含まれているビタミンなんとかの量はレモン100本個分です、みたいな広告が堂々とテレビ・新聞に載っている。恐らくそこに表現されているビタミン数値そのものは正しいのかも知れない。でも仮にレモンが保有しているそのビタミンの割合は極端に微量であり、人はそのビタミンを他の米や魚やにんじんなどの毎日の食事から必要な量を摂取できているとか、場合によっては体内で合成できているのだとしたら、このレモン100個分とは何を意味しているのだろうか。

 嘘でない数値も、時に勝手に一人歩きしだすことがある。ついこの前もテレビのワイドショーで「平均初婚年齢」を話題にしていた。その数値がこのごろ晩婚化と言われている風潮ほど高くなっていないという話題であった。それはいかにも日本人1億数千万人の結婚年齢が、巷で晩婚化と騒がれるほど遅くなっていないかのように話題にされていた。でもこの「初婚年齢」とは初婚と表示して婚姻届を出した者の年齢の平均でしかないのである。例えば仮に日本中の誰も婚姻届など提出しなくなった中で、たった一組の物好きな男女が18歳で届を出したとしよう。すると日本のその年の平均初婚年齢は18歳になるのである。誰も婚姻届を出さなくなったという社会的に真っ暗な現実がそこにあったとしても、「平均初婚年齢」というデータからはそうした事実を窺うことなどまったくできないのである。

 世論調査、手術件数の多寡と治癒率との相関、テレビの視聴率などなど、世の中にはもっともらしいデータが調査方法や根拠などが示されないまま氾濫している。「権威筋からの発表なのだから信用せよ」と言いたいのかも知れないけれど、政治も含めて学問の世界にも人々の不信は広がりつつある。統計やデータなどもその不信から逃れることはできない。現代はそんな時代になってしまっているのだと、どこか醒めた目で私はいつの間にか数字を眺めるようになってきている。その醒め方を時に他人がへそ曲がりと呼ぼうともである・・・。


                                     2011.10.13    佐々木利夫


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数字の嘘とホント