最近、アフリカ大陸の地図をしみじみと眺めたのは、先日ここへ発表したアフリカ東海岸と南アメリカの西海岸とがまるでジグソーパズルのようにすっぽりとはまることについて書いたときであった(別稿「動く大地」参照)。もちろん以前から感じてはいたのだが、こうした地図でいつも気になるのは、アフリカの国々が示す国境線のどこか不自然さであった。

 もちろん国境とは人為的なものである。私には経験したことがないのだが、船や飛行機が赤道をまたぐときに「これから赤道を越えます」みたいなアナウンスが入ると聞いたことがある。そしてそれを聞いた人々がこぞって甲板に出たり飛行機の窓から海面を眺めたりすることが多いのだそうである。そしてもちろんジョークだろうけれど、「どこにも線なんて見えない」と隣の人に尋ねる人がいたとの話も聞いたことがある。

 国境に限らず我が家の土地の境界線から始まり、市町村や都道府県そして国や世界にいたるまでどこかで線引きして「ここまでは私のもの」と主張することは、それを所有権と呼ぶか領有権と呼ぶかはともかくとして、現代の常識でもある。領空侵犯、領海争い、隣地との境界争いなどなど、「ここからは私のもの」をめぐる紛争は現在でも個人的にも国際的にも日常茶飯事と言ってもいいくらい当たり前に起こっている。

 私はアフリカを旅したことはない。もっとも旅行で訪ねたところで、その国の国境線には税関の検閲があって、例えばパスポートの提示であるとか手荷物の申告や検査など以外に実感として感じられるような国境線などはないだろう。国境に争いのある国同士だったらそこに杭を打つようなことはできないだろうし、円満に国境線として互いに了解しているのなら、これまた杭など必要ないだろうからである。
 世界地図にまで広げてしまうと、私たちが見慣れている地図はメルカトル図法によるものだから、赤道付近の地形は正確だけれど北極・南極に近づくほど不正確になってしまうのは止むを得ない。なんたって赤道をど真ん中に置いた世界地図では南極大陸は地図の下のほうで巨大に広がって、あたかも世界で一番大きな大陸になってしまうからである。

 とは言っても赤道はアフリカ大陸のほぼ中央を横断しているから、そういった意味では地図的には比較的変形の少ない部分にある。そのことはまた、国境線もまた見た目通りであることをも意味しているだろう。そうしたとき、どこか違和感の残るのが国境線である。アフリカにはいくつ国があるのだろうか。そんなことにすら私の知識は乏しいけれど、アフリカ大陸は大小いくつもの国が独立国として世界の承認を受けている。それらの国々は、それぞれ国境線で囲まれた範囲内を自国として主張し、宣言し、支配管理している。

 その国々はまさに大小様々で、その中に日本がいくつも入ってしまうような広大な国から、地図で見ただけでは気づかないような小さな国まで存在している。その大小を比較するのも国境線の持つ意味である。そしてその国境線を地図で眺めたとき、その国境線が時に垂直に区切られ、時に赤道と並行していることの多いのに気づく。これは例えば日本の都道府県や市町村の境界が、くねくねと曲がりくねっているのとは対照的である。それは同時にヨーロッパや中国のなどの大陸における国境や行政区画と比べてみても同様である。

 恐らく世界の国々が持っている様々な境界は、川であるとか山脈などで交通の便が途切れるような現象が基本にあったからではないかと思う。ある土地に対する権利の主張は恐らくそこから得られる権益に対する支配が基本にあっただろう。そして具体的な支配は武力によるしかなく、武力の行使は軍隊が移動すると言う意味で、基本的には川や山脈などで中断されることが多かっただろうからである。したがってそうした中断は、自然の地形による曲がりくねった領域内での支配に限定されて、おのずから国境が形成されていっただろうからである。

 ところがアフリカ諸国の国境はこうした自然発生的な地形による境界と比べると極めて異質である。まるでナスカの地上絵を見るように飛行機から眺めたかのような直線で国境線が引かれているからである。ナスカ絵の意味や描いた手法などについては様々な意見があるようだが、少なくとも人が描いた図形である。鳥や蜘蛛などの絵は、直線も曲線も含めて人為的なものである。自然にできるであろう境界には、自然そのものが持つ距離や山や川などによる行き止まりみたいな現象が深くかかわってくるのではないだろうか。
 そうした境界線が、あたかも人工衛星から地表を見ているかのように、そして手のひらに載る地球儀の表面でも明確に分かるように描かれているのはどうしても不自然である。

 だからアフリカ諸国の境界は人間が定規で引いたものだと分かるのである。日本列島全長に匹敵するくらいにも長大な直線による境界線は、自然現象では絶対に起こりえないと思うのである。そうしたとき、一番に感じるのは誰かが誰かと協議して線を引いたのではないかということである。右と左に力自慢がいて、両者が自らの力を誇示して一つの土地の全部が自らの領土であると主張する。どちらかが倒れるまでその境界争いを続けるか、はたまた互いに折り合って妥協点を見出すか、そして真ん中に単純に直線を引いたのである。

 自然の境界線には、そこに川があって渡る手段の乏しかった民族はそこまでを自らの生活の場として維持していくことによる自然発生的な区切りができる。山も同じである。尾根で遮られたこちら側は、遠く見知らぬあちら側とは交流することなく生きていくことになる。

 でも机上で直線で区切られた国境はそうした生活の匂いを完全に遮断する。川も山も沼も湖も、人為による直線は容赦なく分断してしまう。そうした人為による定規で引いたような国境線が、すべて植民地時代の名残りによるものなのかどうか、私に必ずしもきちんと理解できているわけではない。それでもアフリカという広大な大陸に引かれているあまりにも幾何学的な国境線を眺めていると、きっと誰かと誰かが真っ白な地図を目の前にして片手に定規、もう片手に鉛筆を握って、「もう少し上」、「いやいやもう少し右」などと話している姿が浮かんでくる。その場には、その地で生まれ、住み、育ちそして死んでいく大勢の人々は常に不在である。そしてそうした人々の思いや生活や歴史などには少しも考慮することなく、ただ机上で定規を持った傲慢で鼻持ちならない巨人の姿だけが浮かんでくるのである。

 アフリカの国境線を眺めていると、似たような線引きで構成されている国を思い出す。アメリカの「州」である。アメリカもまたアフリカの国境線とよく似た直線で区切られた州で構成されている。アメリカは南北戦争などを経てどうやら合衆国として統一されたけれど、アフリカは民族紛争の坩堝の中で未だに混沌としたままの状況にある。アフリカの紛争の背景には、こうした直線で区切られた国境、植民地として色々な国が身勝手に定規片手に線引きしたような無責任な国境が色濃く影響しているように私には思えてならない。

 だいぶ前になるが、アフリカの内紛を描いた「ホテル ルワンダ」という映画を見た。1994年フツ族過激派の氾濫によって同じフツ族の穏健派や他部族であるツチ族など120万人以上もが虐殺された民族紛争を題材とした実話である。地元出身のホテルの支配人が無力ながら家族や隣人を救うために懸命に立ち向かっていく話であった。映画は映画としてとても興味深く見せてもらったけれど、その映画が終わって真っ黒な画面にこんな歌声と字幕が流れていたのを今でも思い出す。

 アメリカが「アメリカ合衆国」なら、なぜアフリカは「アフリカ合衆国」になれない・・・

 真っ黒な画面から流れてくる歌声はとても重く、とても物悲しく、いつまでも響いていた。


                                     2012.5.12     佐々木利夫


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