私たちは「大地を踏みしめて」だとか、「揺るぎない大地」、「地にしっかり足をつけて」などの言葉を、あたかも理想の行動の基本でもあるかのように使うことがある。それは同時に私たちがそれほどまでにこの大地がしっかりとした揺るぎないものだと確信していることの裏返しでもあろうか。

 だが私たちが建物を建て昼夜を過ごし、あるいは会社や買い物などで毎日のように歩き続けているこの大地は、実は海に浮かぶ粘土のいかだのように頼りないものであることが次第に分かってきている。なんと地球の中心のほとんどは溶融した溶岩であり、その上をプレートと呼ぶいくつかの地殻が薄皮のように浮かんでいるとの構図が明らかになってきているというである。

 日本が火山地帯で形成されていることは、恐らく中学生の頃から学んでいたような気がする。不確かな知識でしかないけれど、千島火山帯からはじまって霧島火山帯にいたるまで日本列島はまさに火山そのものから形成されているような気がしたものだ。そのことは温泉好きの私が新しい土地を訪ねるたびに可能な限り新しい温泉地をさがし、かつ日本中のほとんどの場所がその期待を裏切ることのなかった事実からも証明される。火山の噴煙や温泉の湧出とは、地下のマグマが地表近くまで上昇して地下水を熱している事実でもあり、日本列島がそのまま火山列島であることを示していた。

 それにしても最近は地震が多い。札幌はどちらかというと少ないほうだが、現職時代に2年ばかり研修を受けたときに、とにかく東京は地震が多いと感じた記憶がある。ところで昨年2011.3.11の東日本大震災を契機にして、日々のテレビに速報が流れない日のほうが少ないのではないかと思われるくらい列島各地で地震が頻発しているような気がする。最近の新聞記事によると、「気象庁によると、2002〜10年に震度1以上を観測した地震は年間1253〜2257回だった。それが昨年は9723回あった。大震災が起きた3月だけでも、3275回、いつもの1年分より多かった」(2012.3.08、朝日新聞、ニュースがわからん!)のだそうだから、事実として多発しているのであろう。

 これらの地震の多くが東日本大震災の余震というのではなく、大震災の地震に誘発されたものではないかと言われている。とするなら、日本列島はまさに火山の真上に地震帯の連続として存在しているのだから、しばらくはこうした傾向が続くと考えたほうがいいのかも知れない。日本における地震の発生地点を北から見てみると、まず千島列島から釧路沖にかけて地震帯があり、そして襟裳岬の沖合いの地震帯を経て東日本大震災の福島県沖の地震帯へと続く。更に地震帯は伊豆半島の沖合いから始まる東海・南海・東南海から九州へと伸びていっているから、まさに日本列島の太平洋沿岸地帯は連続する地震帯に埋め尽くされているといってもいいだろう。

 私はもちろん素人だから直感でしかないのだけれど、日本列島そのものが地球を構成している太平洋プレートに押し出されて作り上げられた地球の皺のようにに思える。日本列島は全体が中国大陸というかそれともロシアも含めたユーラシア大陸に向って太平洋側から押し付けられつつあり、その力で持ち上げられた一過性の皺、そんなものではないだろうかということである。

 かつてパンゲアと呼ばれた大陸があった。世界中の大地が一つのまとまっていたとする巨大な大陸の名称である。その大陸が地球内部のどろどろに溶けた溶岩の対流に押されて少しずつ移動し、長い歳月を経て現在のような大陸が形成されたとする仮説の原始大陸である。

 日本の地図はいつも日本が真ん中に位置しているから(別稿「西部劇と世界地図」参照)なかなか気づかないけれど、はるか北のはじっこに日本が小さく赤く色づきで描かれ、巨大な太平洋そのものがど真ん中に描かれている地図はいかにも効率が悪そうである。日本の地図なのだから日本が真ん中というのは、どの国でも自国を世界地図の真ん中に据えるだろうから特に異を唱えることなどないかも知れない。でも視点を少し変えてみるとまるで違った絵柄が得られてくる。

 例えばヨーロッパ諸国とアフリカを結ぶ線を真ん中に持ってこよう。日本ははるか東の端っこに沈み、代わってアフリカ大陸がど真ん中に出てくる。そしてこの地図を眺めていると、イギリスからアメリカ大陸へメイフラワー号で移住した動きが、日本中心地図から無意識に感じられるような地球を一周するほどの大げさなものではな買ったことが分かってくる。もちろんそれはそれで大変な航海だっただろうけれど、地図の上ではアメリカは東へ向う目の前であることが分かる。
 また視線を赤道付近に移すと、前述したパンゲアの仮説を思いついたヒントになったともされているアフリカの東海岸の地形と南アメリカ西海岸の地形とが、あたかもジグソーパズルのピースのように符合することも一目で理解できるようになってくる。

 パンゲア大陸の移動が始まったのは約2億年くらい前だと言われている。地球の年齢は約46億年くらいだとされているから、それと比べるなら比較的最近の出来事かも知れない。つまり地球は最近の2億年をかけて現在の地図のスタイルに到達したのである。ただそうは言ってもそれが決して地形としての最終の形ではないだろう。「アジアとアメリカが合体して出来る超大陸『アメイジア』は約1億年後、今の北極点を囲む形でできる。そんな分析結果を米イエール大が英科学雑誌ネイチャーに発表した」(2012.2.20朝日新聞)との記事もあるくらいだから、大陸移動は地球の内部が灼熱の溶岩(マントル)として対流している以上、地球滅亡のときまで止むことなく続くだろうからである。

 このマントル対流によってインド大陸が中国大陸にぶつかり、それによって地表が持ち上げられたのがヒマラヤ山脈だといわれている。だとすれば大陸移動は大地震どころではなく、天地が裂けるようなすさまじい変化だったことだろう。だから日本列島が数センチ移動したとか大陸プレートどうしがぶつかりあって地震が起きたなんてことは大陸移動から比べるならそれほど大きなことではないかも知れない。

 数億年を単位で考えるなら、地球規模でこれからの大陸がどのように移動し変化していくのかは、現在の第四間氷期とも言われて比較的安定している環境がどんな風に変わっていくのかなども含めて、素人の私には予想もつかない。

 ただそうは言っても、人間の歴史なんぞは原人で180万年前、旧人で50〜30万年前、新人で20万年前くらいのものだし、例えば縄文時代の1万数千年前、中国4000年の歴史だのローマ帝国から2000年みたいな思いをそれに重ねるなら、地球の歴史から見て果たして人類の発生や存在そのものが必然であったかどうかさえ疑わしくなってくる。

 確かにこの一年間における地震の発生数は多い。しかしながらたかだか数100年、数1000年の歴史をもとに災害を想定し、それに対応した対策を考えるなんぞという話を聞いていると、そうした想定はどうしても甘過ぎるのではないかとの思いに駆られてしまう。

 さて以下は蛇足である。このエッセイは大地が思うほど安定しているものではないことを言いたかったのに、ついつい口がすべって無関係な原発事故対応策にまで踏み込んでしまった。抹消しようかとも考えたのだが、あんまり思いが素直に出てしまっていることもあって敢えて残すことにした。

 大地の揺らぎは地球の歴史から見るなら地震程度のものでおさまるものではないように思える。だとすれば、原発事故に対して「住民の避難訓練」を実施するような想定しかできないような対応の仕方には、どこか間違っているとの思いが拭えない。ことは津波や台風ではなく、放射能被害を背景にした原発事故の想定である。その対策の中にそもそも「住民が逃げる」との発想が含まれていること自体に、どこか基本的な誤りがあるように思えてならない。原発に隕石が直接落下することや、原子炉の真下から地下マグマが噴出してくるような、そんな非常識とも思えるような万が一までを想定した上で、「それでも絶対に壊れない原子炉、絶対に安全な原子炉」の設計こそが正しい選択であり、それ以外にはないと思うからである。そしてそんな対策が技術的にも金銭的にも不可能だと言うのなら、少なくとも原発なんぞは人間にとって必要ないのではないか、そんな風に思ってしまうのである。


                                     2012.3.15     佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



動く大地