こうしてひとりの事務所でひがな一日、来客もなく電話もないまま過ごしていると、こうした過ごし方もまた「引きこもり状態」の一種かも知れないと書いたのは昨年秋のことである(別稿「71歳のひきこもり」参照)。そうは言っても自宅から事務所まで毎日のように通っているのだし、時に仲間との飲み会にも付き合い、事務所居酒屋で酒盛りなどもしているので、いわゆる閉じこもりと共通する「引きこもり」とは少しは違うのだろうとは思っている。
 ただ自分の部屋から一歩も出ずにドアの前まで家族に食事を運んでもらうような生活と、私が一日の多くを事務所でひとりきりでテレビやパソコンとにらめっこしているのとでは本質的にどう違うのか、それとも単に程度の差にしか過ぎないのかと自問してみると、なかなか答の出しにくいテーマではある。

 最近、「私も引きこもりだった」とする大学生からの新聞投稿を読んだ。

 「19歳の夏、私は当時通っていた大学を中退し、引きこもりとなりました。中学の時いじめで心のバランスを崩し、高校に入ったものの結局退学、大学入学資格検定で大学に入りましたが、やはりだめでした。カーテンを閉め切った部屋で座り込み、未来があるとは思えない毎日。生きていくしかないなら、この手で人生を切り開かなくてはいけない。そう決意したのは22歳の時でした。・・・今は友だちもできました。・・・世界は今、キラキラ輝いて見えます。今苦しんでいるあなたにもそんな日はきっと来ます。外に出てみませんか」(2012.4.30、朝日新聞、声、「引きこもりの私からあなたへ」、24歳 大学生)

 読んでいて、「あぁ、結局引きこもりを解消する方法ってのは、引きこもりから立ち直った人にすら見つからないものなんだ」としみじみ考えさせられてしまった。
 投稿者がどの程度の引きこもりだったのか、文面から知ることはできない。彼の中学から現在にいたる引きこもりの状況や経過が、いわゆる「引きこもり」と言われている社会現象と比較して、軽いのか重いのか、はたまた特殊なケースに過ぎないのかなどについてもこの投書から知ることはできない。

 人により色々な引きこもりのケースがあることは聞いたことがあるし、もしかしたらそれぞれに異なるくらい個別性の強いものなのかも知れない。中には小学校から引きこもりになる人もいれば、30歳を過ぎてまだ親がかりのままで閉じこもっているケースもあると聞いたことがある。また発症も30歳、40歳になってからというケースだってあるらしい。こうした多様なケースに対して、一律有効な特効薬など望むべくもないだろうことが理解できないではない。しかも精神的な問題なのだから、例えば外科や内科の治療のように手術や薬物などによる有効な治療方法を求めることもまた難しいだろうことも理解できる。だから、「これが効きました」みたいな特効薬を求めようとは思わない。

 だだそれでも、投稿者は数年間引きこもり状態にあったことを自覚していて、そうした状態から現在は解放されたと自認しているのである。だとすれば少なくとも「私にとっての治療薬、私に効いた治療方法、私を立ち直らせたきっかけ」くらいの話は出てきてもいいのではないだろうか。

 それにもかかわらず、彼の投稿からはこうした気配が少しも感じられないのが残念でならない。彼の投稿の中から僅かにもしろ何かヒントを探そうとするなら、「・・・生きていくしかないなら、この手で人生を切り開かなくてはいけない」しか見当たらない。しかしこれは単なる結果としての答えでしかない。彼がこのように「思った」のは、どんな原因なりきっかけがあったからだったのかを知らせてくれない限り、「私は治りました」みたいな答えだけを投げ出されてもどうしょうもないと思うからである。

 引きこもっている人のほとんど、場合によっては全部の人が、引きこもっているそのことに一種の罪悪感を抱いていると言われている。今の自分の状態が決して当たり前ではないこと、「なんとかしたい」、「なんとかしてこうした状況から脱却しなくてはいけない」と考え続けているのだとも聞いたことがある。その「なんとか」に対するヒントこそが、引きこもりに悩む人やその人を取り囲んでいる家族や友人などが解決できた人に求める真剣な思いなのではないだろうか。

 そういう解決を求める人たちに向って、「私の世界は今、キラキラ輝いています。あなたにもきっとそんな日が来ます」と言ったところで、私にはなんの支えにもならないのではないかと思うのである。
 もしかしたら引きこもりは時間が解決する以外に手立てがないのかも知れない。黙って待っていたらそのうち自然に明日が明るくなるのかも知れない。でもそうした言い方は、引きこもりに悩む多くの人に対して何の意味があるのだろうか。いつまで待てばいいのか、このままの状態で老いていくのか・・・、どこに答えを求めていったらいいのだろうか。

 これを書いているときに、数日後同じような投書に出会った。

 「・・・私は父母や地域から逃げるため、住み込みのアルバイトで尾瀬、北海道、小笠原など転々としまし、将来を不安に思う日々でしたが、個性的に夢を持つ人たちに出会い、知らない世界を知りました・・・焦らず、一歩一歩進みましょう。きっと、『自分らしい生き方になったなあ』と思える日が来ること、私は信じています。」(2012.5.8、朝日新聞、声、「私もかつて引きこもりだった」、42歳、地方公務員)

 彼は「私も引きこもりだった」と自認してはいるものの、全国を放浪しているのだから単なる放浪癖であって引きこもりとは少し違うのかも知れない。だが仮に彼のような状態もまた「引きこもり」と名づけていいのだとしても、引きこもりの基本には何たって人とのつき合いができない、もしくは拒否してしまうような状態が背景として存在しているのではないだろうか。だからその基本みたいな部分を飛び越えてしまって、いきなり「・・・夢を持つ人たちに出会い、知らない世界を知りました」みたいな意見になることは、この投稿者もまた答だけを書いていることになり、前に引用した投稿と同様の経過をたどっている。

 引きこもりにはもしかしたら対処方法であるとか治療方法などは存在しないのかも知れない。ここで取り上げた二つの投稿は、いずれも「人間嫌いは自分自身で解決しなさい」と突き放しているにしか過ぎないように思えるからである。それはつまり私には、人間嫌いが解決できたならそれは同時に引きこもりからの解放を意味しているのであり、その人間嫌いそのものの解決手段やヒントを示してやらない限り、引きこもりの解消には結びつかないのではないかと思えるからである。

 ところで、私の引きこもりなのだが、仮に日がな一日セールスも含めて訪問客なし、電話なし、飲み会の誘いもかからずの事務所暮らしであったとしても、そのことに罪悪感など抱くこともなく至極快適に過ごしている。もっとも、こうした毎週の発表原稿が遅々として進まないことへの焦りみたいな感情のくり返しからはなかなか逃れられない。なんたって、あっと言う間に次の週の締切が迫ってきて、なかなかのんびりとはさせてくれないからである。もちろんネタ切れの原因が、私自身の才能の枯渇、もしくは最初から干からびていたことにあるだろうことくらい誰に聞くまでもなく自認していることではあるのだが。


                                     2012.5.10     佐々木利夫


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答のない引きこもり