5月7日(金) さらば沖縄

 朝7時に目が覚める。しかし何となく目がパッチリとしない。窓を開けると青空が目にまぶしい。快晴だ。沖縄出発を喜んでいてくれるのだろうか。それにしてもこの青空、まだ帰るのが惜しい気持ちにさせる。10時、チェックアウトを済ませて荷物をフロントに預け波の上宮へ。これと言って特徴のある神社でもないが、ギラギラする太陽と青空、それに昨日の雨ですっかりホコリを落とされた木や葉の緑がまるで匂うようである。テイゴの花も盛りであるが、この花の咲く年は余り良いことは起きないとの話も聞いた。1時間ほどで見終わったが、おみくじ10セントは何か神社のイメージにそぐわない。

 料亭松の下の前を通り街へ出る。シャネルNo5、人形、菓子等を若干買い集めホテルへ戻り、フロントロビーで荷物の詰め替え・・・。何だかんだとけっこうバッグが膨らんでくる。2時半、港へ向う。出発は5時だが、早いにこしたことはない。車が混んでタクシーの時間がけっこうかかり着いたのは3時に近い。見ると那覇港はものすごい人である。今日は2便出港するのと、集団就職が大勢になり、加えてそれぞれの見送り、更に一般船客が集まり、待合室は芋を洗うような混雑である。荷物は大きなボストンバッグも含めて4個にもなり、身動きもとれない。税関で聴くと免税売店では洋酒と洋もくしか売らないというので、荷物を置き近くの売店へ走り、泡盛2本と沖縄タバコを皆の土産にと思い20箱を買う。むっとするひといきれと気温と湿度、体中が汗まみれである。ものすごい暑さ、また税関へ戻り出国手続きをしたが、意外と簡単で何も聞かれなかった。別に免税点をオーバーしているものは何もないが・・・。

 すぐ隣の免税売店へ。もうすでに40名ばかり群がっており、中で4人の男子店員が汗だくで応対している。ジョニ黒6ドル、オールドパー4.69ドル、カーマスナポレオン10.95ドル、〆て21.55ドル、8000円そこそこである。本土で買えばジョニ黒一本だって軽く1万円はするだろう。思わず喉から手が出るが残念ながら3本までしか税関は通してくれない。

 この3本の荷物を「免税売店」と大きく書かれた袋に入れてもらって、合計荷物は5個、乗船までの50〜60メートルの長いこと、長いこと。20〜30歩に1回は休まねば袋のひもが手に食い込んでくる。釧路までの帰途がうんざりする。乗船口へ着きホットしながら、波の上丸に乗ろうと切符を出すと、乗務員の話で一等は空いていませんという。もう10日も前に買った切符なのだからそんなはずはないと告げると、しばらく待たされて「何とかします」という。なぜかツーリストから発売時に連絡が届かなかったらしい。それで、集団就職者の添乗員(職安の人間2人と観光協会の人1名)の部屋が4名のところ3名なので、ここでよろしいですかとすまなそうな顔で言う。一等には違いないし、別に相手が観光客でなくたって構わないわけだから了解し、船室に入ってベッドに腰かけ、ヤレヤレとばかり額の汗をぬぐう。

 4時過ぎデッキへ出る。見送り人の姿が埠頭を埋め尽くしており、すでにテープは縦横に交わされ、船の乗客と声高に話しが飛び交う。4時半、出港30分前を告げるアナウンスと汽笛が、やがて来る別離への前奏曲となり、船と陸とを結ぶ細長いブリッジが、テープの海をかき分けながら進むフォークリフトに持ち去られると目の前の岸壁が急に遠くなる。テープは更に船からも岸からも投げられ、もう見送り人の顔さえ分からないほどビッシリである。5時10分出港。ゆっくりと桟橋を波の上丸は離れ、蛍の光がエンジンの高まりの中に響きわたると、呼応するかのように歓声はひときわ高くなる。

 泣いている者が多い。子供たちの声だけがいやに陽気で、そのことが逆に別離の寂しさ倍加させているようでもある。船の中でも泣いている。長い、長い、気の滅入るように寂しげでやるせない汽笛、ハンカチで目を押えている婦人、流れる涙を拭おうともしない老女、手の甲で顔をこすりつけてている中年の男、また、泣きもせず怒ったような目で船上の誰かを身じろぎもせず見つめている若い女性の姿もある。東京を出るときには見られなかった風景だ。こんな別離というものを実感とする環境に置かれたのは始めてだ。

 このほとんどは集団就職なのだ。遊びに本土へ行き、来週は帰ってきます・・・、そんな生易しいものではないんだ。一週間や10日の別れなのではなく、半年か一年か、いやもっともっと長い別離なのだ。両親や子供たちや、妻や恋人や、友人や先生や先輩、色々な係わり合いからの別離なのである。「オカラダ、タイセツニ
ー」、隣の若い男が大きな声で叫んだ。その少しの訛りのある発音に、僕は別離というものと、旅情とを切なく感じた。

 ああ、これは僕にとってもまた、この沖縄との長い長い別離なのだ。恐らくもう再び来ることはないだろうが、青い空と青くエメラルド色に澄んだ海、珊瑚礁とテイゴの真っ赤な花、白やピンクの仏僧華、夾竹桃、米軍と沖縄の人と、美しい昼と華やかな夜と、中部よ南部よ、北部よ。そしてしっとりとした歴史と美しさを見せた宮古よ、野ヤシとパイナップルとひるぎの石垣よ、古い石垣に囲まれた歴史を残した竹富よ。
 色々な人と色々な場所で、本当に楽しかった、本当に素晴らしかった。民謡が生活に溶け込み、そのまま一体となっている沖縄よ、サヨウナラ。日本の中の異国、重い歴史を負わされた日本の中の治外法権沖縄よ、来年は日本へ帰ってくる。待っているぞ、そのままの姿でいておくれ。サヨウナラ。本当に嬉しかったよ。お前は本当に素晴らしい自然の姿を僕に見せてくれたよ。また来るさ。きっと来る。その時までさようなら。このままの姿でいておくれ、必ず来る。ファインダーから覗く見送り人たちの顔が段々ぼやけてくる。チクショウ、年甲斐もなく俺もセンチになっているらしい。

 6時半、ボーイが食事を運んでくる。窓からの夕日が赤い。急いでかっ込んでカメラ片手にデッキへ出る。7時5分、日が沈む。海へ沈む。東シナ海へいま、日輪が沈んでいく。生まれて始めての感激だ。素晴らしい・・・と見とれている内に太陽は水平線に延びて海につながる。と思う間もなく見る見るうちに楕円につぶれてゆき、段々と沈み、更に沈み・・・、見えなくなる。空は天頂の紫から濃紺へ。コバルトブルーへ、緑、黄、橙、紅と水平線へ続いている。名残惜しそうな2〜3片の黒い雲。右手前方にその姿を水平線上にあらわした水無島。左手は沖縄本島本部あたりだろうか、目の前にみえている。空の色がだんだんと暮れていき、中天には月が輝きだす。台風のせいか波は荒くけっこう揺れているが、快適な今日の船旅である。

 一応ドルをしまい、久々に日本円を出す。しばらく見ていないので懐かしい気持ちがする。売店でロングピース100円、マイカップ大関140円(少し高いね)を買い、やっと日本円を使った感慨が湧く。それでも100円出すときに、30セントか・・・、と換算してしまい一人で苦笑する。8時半からこれを書き出したが、段々と眠くなり、一杯飲んで10半寝る。窓の外は真っ暗・・・、何も見えない・・・。

                          沖縄旅日記むかしむかし(14)へ続きます。


                                     2012.8.25     佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



沖縄旅日記むかしむかし(13)

 これは1971(昭和46)年4月から5月、まだアメリカの統治下にあり日本復帰を来年にひかえた沖縄へ、日本の北の果てとも言える北海道釧路からたった一人で出かけた旅日記である(別稿「私と沖縄復帰40年」参照)。
 他人の紀行文は書いた人との共通体験がないこともあって、私の嫌いなジャンルです。あなたにもお勧めしません。どうかパスしてください。