医者と患者についてはこれまで何度もここへ書いてきたけれど(別稿「病気であること」及びそこからリンクしているエッセイ参照)、どうも私の中でこの二つの立場の違いがなかなか溶融していかないようだ。つい最近読んだ新聞記事に、どことない腹立たしさを感じたのもこうした私の偏った思いが原因しているのかも知れない。それはこんな新聞記事であった。

 質問「51歳の女性。10年ほど前から、頭が小刻みに左右にふるえるようになりました。・・・人前で恥ずかしいです。・・・ほかに症状はありませんが、病気でしょうか」(51歳女性)
 回答「『本態性振戦』という病気の可能性があります。(この)病名は『原因不明のふるえ』という意味です。・・・この病気だとしたら通常は治療せずに放っておいて問題ありません」(2012.2.14、朝日新聞、「どうしました」、回答者・東京女子医大名誉教授・神経内科)。

 私はこれを読んでなんと無責任な回答、いやいやまるで回答になっていないのではないかとすら感じてしまったのである。まずこの病名についてである。患者が「病気でしょうか」と尋ね、医者もこれを病名を付して回答しているのだから病気だと考えていいだろう。しかしその病名は単なる症状に「本態性」との冠詞をつけただけのものであり、しかもその冠詞の意味するところのものは「原因不明」であると回答者自身が認めているのがどうにも納得できないのである。私の持っている病気や医学の知識など、専門家に比べるなら幼稚そのものである。

 でもこの質問と回答は学会などにおける質疑ではなく新聞紙面である。回答する側は専門家かも知れないけれど、受け手たる読者は不特定多数、しかも素人である。新聞がどの程度のレベルの者を対象にして記事を書こうとしているのかは知らないが、「中学生に理解できる程度」がテレビやマスコミの一応の基準だとの意見をどこかで聞いたことがある。対象者を誰にするかの是非はともかく、一応は医学の素人に向けての発信だという程度には理解しておいてもいいのではないだろうか。

 そうしたとき、私なら「病気」の意味を少なくとも身体や精神に対する一定の障害の存在を前提として理解するのが当たり前ではないかと考えている。だとするなら、「原因不明」であることが仮に現在の医学界における常識であるなら、そうした事実を許容すること自体やぶさかではないにしても、だとするならこの回答の後段の「治療せずに放っておいて問題ありません」は医師の態度として許されないのではないかと感じたのである。

 この質問者の症状が肉体的にも精神的にも「病気ではない」とするなら、私はこの医者の判断を疑問視することなどない。病気ではないのだから「放っておいて問題ない」との回答にも誤りはないだろう。ただそうは言ってもある種の症状があるのだから、同じ「問題ない」とするにしても例えば「問題ないけれど、こんなふうに対処すれば解決できるのではないか」との方向性くらいは示唆するのが親切ではないかとの疑問は依然残ってしまうのではあるが。

 ところが回答者である医者はこうした症状を、「『本態性振戦』という病気の可能性かあります」として、病気の一種であることを自認しているのである。それにも関わらずその原因は不明であり、しかも「放っておいてかまわない」と質問者に向けて答えているのである。

 私には「本態性」の冠詞がどこまで医学界に「原因不明」の別名として定着しているのか、きちんと理解しているわけではない。ただ仮に定着しているのだとしても、その原因不明であることに関してあたかもそれが病名であるかのように患者に向って言い放つこと、そしてそこでいかにも病気の診断がついたみたいな状況にしてしまうことは許されないのではないかと思うのである。

 すべての病気の原因が分かっているとは思わない。そして治療方針が確立しているとも思わない。でも患者の症状が「病気である」と診断したのなら、いかにももっともらしい「本態性」などという理解しにくい用語、それに加えて「振戦」などという日常的に使われることなどまるでないような言葉を使ってはいけないのではないかと思うのである。ここは学会などでの討論の場でないのである。新聞記事とは言え目の前に患者がいるのである。その患者に向って「あなたは病気です」と医者は宣言したのである。

 そうしたとき「本態性振戦」という語のなんともっともらしくしかもうつろに響くことか。そしてその実、この意味は「原因不明のふるえ」なのだと付け加えることに、私はやりきれない医者の無責任さが感じられてならないのである。
 しかも、しかもである。病気であることを前提とするなら、「原因不明」であることと「放っておいてかまいません」とは決して結びつかないと思うのである。むしろ矛盾しているといってもいいと思うのである。

 だから少なくとも医者の口から「申し訳ありません。現在の医学では原因が分からないのですが病気の一種です」と正直に相談者に伝え、「とりあえず、○○のような対症療法をやっていくしかありません」、または「私には手をつけられません」と素直に伝えるしかないと思うのである。回答者は大学病院の名誉教授である。そんな人が「原因が分かりません」などというのは沽券にかかわるのかも知れない。ましてや名探偵の推理のように快刀乱麻の治療方針を示せないことは恥ずかしいと感じているのかも知れない。だからと言って「本態性振戦」などともっともらしい病名を付すこと、ましてや「放っておいてかまいません」などと言い放つことなどは、もってのほかだと私はどこかで怒りさえ抱いてしまっているのである。


                                     2012.2.23     佐々木利夫


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