「子供同士が同じ部屋で遊んでいるのに、それぞれが別々のゲームをやっている」そんな風景を伝えているテレビ番組を見たことがある。ゲーム機が世の中を席捲した頃の話だから、かなり前の話である。今ではゲーム機そのものの人気に陰りが出てきているようで、むしろ携帯電話を使ったゲームやメールのやり取りのほうにシフトしているのかも知れない。

 ただそうした子どもの時間の過ごし方を見ていると、どこか「遊び」ではないような気がしてならない。「時間を楽しく過ごす」ことがもし「遊ぶ」ことにあるのなら、それはそれで分らないではない。遊びにはさまざまな意味があるだろうから、一人で楽しむ遊びがあったって矛盾するものではない。

 それでも遊びの基本には他者、つまり仲間だとか友達がいて、自らの意思とは異なる対立の中で妥協し、説得し、納得し、了解できるルールを作り上げ、しかもその対立そのものを楽しむことがあったのではないかと思うのである。だから私には、友達を自分の部屋に呼んで、背を向けたまま互いに別々のゲームを楽しんでいる姿に、遊びの意味を見出せないでいる。

 それが現代なのだと言ってしまえばそれまでのことかも知れない。家庭内で、「ごはんできたよ」、「分った、今行く、ちょっとまってて」、「先に食べてて・・・」、そんな会話すらも声ではなくメールでやりとりする時代なのだから、遊ぶことのスタイルが変わったところでそれほど気にすることはないのかも知れない。

 そんな中で時代遅れの老人は、昔の遊びを懐かしく思い出している。小遣いもなければ、遊び道具もない時代の、あんまり勉強もしないでひたすら遊ぶ時間だけはたっぷりとあった、戦争の記憶が残っているまだ貧しい時代の話である。

今はほとんど使うことのなくなった釘を使った遊びを、ふと思い出した。釘は五寸釘と呼ばれていた、太くておおきなものであった。名前の通り長さが五寸(約15cm)もあったのだろうからかなり長いものである。記憶としてはもう少し短かったような気もしているが、どこの家庭にも釘は必需品で、大小さまざまなサイズが揃っていたし、少し錆びていてもいいのなら道端にごろごろ転がっていたような気がするから、遊び道具として使うのにそれほど不自由することはなかった。

 陣取り合戦

 何人まで遊べるのだろうか。私の記憶では二人遊びである。細かいところまでルールを覚えているわけではないのだが、太い釘を地面に向かって投げて刺し、そのできた穴を順に結んで自分の領地を作っていくゲームである。まだ舗装などまるでなかった頃のことだから、家の前も空き地も道路さえもが雨が降ればぬかるみになったころの子どもの遊びである。

 二人で交互に地面に釘を打ち付けて小穴を開けていく。もちろんきちんと打ち込んで釘が地面に突き刺さった状態が成功で、刺さらなかったり倒れたりした場合は無効で次の仲間に順番が回っていく。この有効となった穴をその釘の先で地面を引っかいて結び、ぐるりと囲んだ面積が自分の領地となる。

 その領地の大小を仲間と競うのであるが、ルールとして自分の引いた線とも、また相手の引いた線とも交差することは許されないことになっていた。と言うことはこのルールはそのまま相手に対する領地獲得の牽制としても使えることになる。つまり、相手が作ろうとしている領地の線引きを邪魔し、それを利用して自分の領地の拡大を狙うのである。この攻防がゲームの目的である。

 互いが異なる区画でこのゲームをしても、それぞれ勝手に広い領地を作ることは可能になるから遊びにはならない。恐らく1〜2メートル四方のゲーム区域をあらかじめ地面に決めておいて、その中での互いの領地を相手よりどう多く確保するかを競ったのだろうか。それとももしかしたら相手の陣地を丸ごと包囲することが目的で、その包囲を許さないよういかに敵の線をかいくぐって自国を確保していくかがゲームになっていたのかも知れない。

 ともあれ釘で穴を開ける場所の正確な位置と倒さないように突き刺す技術、どうしたら相手の線引きを邪魔し我が方が有利となる線を確保できるか、子供心にも色々作戦を考えつつ遊んだ記憶がある。

 穴かくし

 これは3〜4人で遊んだような気がする。まず鬼を一人決め、その鬼がこちらの作業を見えないように目隠しして、鬼以外の数人が釘で地面に穴を開けるのである。恐らくこの場合もせいぜい1メートル四方くらいの区画を仲間同士で決めておいたのだろう。鬼以外の仲間はまずその区画の任意の場所、ど真ん中でも区画の領海ぎりぎりでもいいにそれぞれが勝手に釘で地面に穴を空ける。そしてその穴の蓋になるような小さな石やガラス片などを使って入り口をふさぎ、更にその上から砂や土をかぶせ穴を開けた場所が見つからないようにカモフラージュするのである。もちろん、隠した穴以外の場所にいかにも「隠した」と思わせるような細工を施すことも大事な作戦である。

 かくれんぼうのような「もう、いいよ」と言ったかどうか忘れたが、隠し終わればいよいよ鬼の出番である。鬼はこぶし大の石を一個持っていて、その石で3回か4回ほど地面を打ちつけ、隠されている穴の破壊を狙うのである。ただそれだけのゲームである。穴がきちんと生き残っていれば鬼の負け、穴がつぶれてしまっていれば鬼の勝ちで、穴をつぶされた者が次の鬼になるのである。ゲームとしては単純だが、どこに穴を開けるか、その穴をどうやってうまく隠すか、自分が作った穴の場所を鬼が打ち壊し作業を終えた後まできちんと覚えていられるか、鬼に穴が残っていることを証明するために、いかに細心の注意を払って蓋の役割の小石やガラス片を取り除くかなどなど、けっこうな心理作戦と繊細な作業が必要なゲームであった。

 そのほかにも・・・

 この他にも釘を使った遊びを工夫した記憶がある。一番単純なのは、手裏剣に見立てて壁に放つものである。まあ、ダーツみたいなものだが、危険ではあるもののそれなり人気があった。
 またこれは褒められたことではないけれど、釘を鉄道の線路に置いて貨物列車に轢かせることもやった記憶がある。ほとんどは列車に弾き飛ばされて不成功に終わるのだが、うまくいくと平たく押しつぶされることがあり、その形はまさに手裏剣そのものになったのである。
 もう一つ釘を使った遊びがあった。銛(もり)を作ったのである。これについては前に書いたことがあるのでそちらを見てほしい(別稿「黒い川の銛撃ち」参照)。

 たかが釘ではあるけれど、子どもは遊びを発明する天才だったような気がする。もちろんこうした遊びは私の発明ではない。それでも何もないところから子どもは遊びを見つけ作り出してきた。私たちの時代、子どもにとって遊びとは共同作業や人間関係を育て学び膨らませていくための大切な機会であった。だが今の子どもたちを見ていると、「買い与えられる遊び」の中にどっぷりと浸かったまま、そこに他者の入り込む余地などまるでないままに止まっている。しかもそうした遊びにはすぐに飽きてしまうようで、遊びながら新しい次の遊びに飢えているように思えてならない。

 私たちの育ってきた子ども時代が良かったなどと自賛するつもりはないが、それでなくても子どもは大人になるにしたがって子どもであることを忘れていくものである。「ないもの」を忘れることなどないのかも知れないけれど、「昔あった子どもの心」は大人になるにつれて忘れていくとしても、僅かにもしろ残るものだと私は信じたいような気がしている。


                                     2013.1.15     佐々木利夫


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