最近、ホテルやレストランで提供されている食事の原材料が、メニューに表示されているものと違うことがあちこちで見つかっている。「見つかっている」と書いたがどうも「見つかった」のではなく、あるホテルの偽装自白をきっかけにして、「私のところでも、うちの店でも・・・」と自白の連鎖が続いている、というのが実体のようである。

 きっかけは、大阪が本社の阪急阪神ホテルズで発覚した事件らしいが、それと同じようなケースが札幌の中華料理店、JR北海道や四国グループのホテル、栃木のカンポの宿などなど、燎原の火のように全国へと拡大していっている。

 内容はメニューに表示された原材料名と提供されている食品とが異なるものであり、例えば「車えび」が実はブラックタイガーであったり、「芝えび」がバナメイエビ、「ステーキ」が牛脂注入肉、「フレッシュジュース」が市販のジュース、「日高産のキングサーモン」がニュージーランド産、「宗谷の塩」が食卓塩だったなど、その形態はまさに多様である(2013.11.1〜2、朝日新聞)。そしてそうした偽装表示はレストランなどの食事店に限らず、老舗デパートの高島屋の惣菜売り場(2013.11.6朝日新聞)や三越・伊勢丹・そごう西部・小田急などの有名デパート(同11.7朝日)の食品売り場にまで波及するなど、加工食材を提供する多くの分野にまで広がってきている。

 こんな報道を見ていて、面白いことに気がついた。一つはこれら発覚事件のすべてが提供する側の自白だったことであった。偽装が非難すべきことであり恥ずべき所業であることは当然である。消費者に対する裏切りであるとする各界の識者の意見にも賛成である。でも、私にはそうした「恥ずべき行為」に対する反省の気持ちが軒並み自白の誘導に発展したとはどうしても思えなかった。

 「偽装ではなく単なる誤表示であった」、「決して意図的だったわけではない」とホテル・レストランの経営者は口をそろえて謝罪会見をしている。どこもかしこもである。こうした場面を見ていると、それぞれが阪神阪急での発覚に合わせて、あたかも自白を急かされているように思えてならない。偽装なのか誤表示なのか、そこまでテレビや新聞などでは判断がつかない。でもこうした急かされているような自白をみていると、少なくとも表示と提供された原材料とが違っていることは、以前から自覚していたように思えてならない。

 そうした時、もし客から「お前の店の○○○と書いあるメニューは本物か・・・」と問われたとき、「分りません」と答えることはできないだろう。そして違った商品を出していたときに、「本物です」と答えたとしたら、それはまさしく偽装であり詐欺の認識につながることであろう。
 阪神阪急による最初の自白がメディアに公表されたことで、客からいつ原材料の真偽についての確認を求められるかも知れない。表示と異なった材料を使っていたことは、そのことがトップに報告されていたかどうかはともかく、少なくとも調理場では知っていたはずであり、食材の仕入れ担当者も承知していたはずである。それはもしかしたらトップからの「原価の圧縮の指示」が背景にあったのかも知れず、安価な材料への変更をトップが暗黙のうちに了解していたのかも知れない。

 そんな時に客の質問に「本物です」とは決して言えない。もちろん質問された客にだけ「実は・・・」と自白し、あとは知らん振りを通すことも可能である。でもそうした事実が発覚した場合は、それはまさに偽装として刑事事件に発展する恐れすらあり、営業に致命的な打撃を与えることになるだろう。どうしたら被害を最小限に食い止めることができるか、経営者はその対策に悩んだに違いない。

 それには自白しかない。それも「偽装を自白」するのではなく、「間違ってました、もう決してやりません、すぐに改めます、(場合によっては)関係者を処分します」、などと公表して、ひらすら誤表示を強調して謝罪することである。しかもその謝罪は、客から「本物か?、大丈夫か?」と質問される前でなければならない。質問されたときには、既に正しいメニュー、正しい食品に訂正がなされていなければならない。チャンスはあちこちで自白が拡大しつつある今である。「赤信号みんなで渡れば恐くない」の論理である。「人の噂もなんとやら」、全国に広がった自白合戦の渦中へ身を投じることで、我が店への批判も埋没し薄まっていくことだろう。しかも誠実さの陰に隠れるには素早い自白が必要である。かくして競っての自白合戦が始まる、そんな風景が私には見えるのである。

 これだけ自白が広がってくると、偽装を自認する企業も出始めてきた。でもその自認は自白する企業名を我々が覚えられなくなるくらい増えてきてからの現象である。これだけ自白が氾濫してしまったら、「誤表示」も「偽装表示」も企業に対するダメージとしてはそれほどの違いはないと判断したのだろうか。

 そしてもう一つ、この自白合戦の裏に見えるものがある。客の反応である。異なった食材に対する怒りは分る。「金を返せ」との主張も分る。でもこの発覚事件は、すべて店側からの一方的な自白によるものばかりである。客からの「このサーモンは日高産ではなく、ニュージーランドではないか」などと告発された結果や、消費者からの苦情によって発覚したものなどは皆無なことである。

 客の怒りは何度もテレビで放映された。消費者の信頼を裏切るものだとの識者のコメントも様々に聞いた。でもそのことごとくが、「公表されるまでは知らなかった」ことを背景にしているのである。こうした偽装とも思える表示は、昨日の仕入れがたまたま間違ってましたというのではなく、数年間も続いていたと店は自白している。そして返金の総額はある企業では数千万円にもなるとも話している。また11月8日の朝日新聞の報道によれば、ホテルオークラでのこうした食品の売り上げは38万6千食、8億7千万円に及ぶとの自白が得られているそうである。こうした数値を、自白が蔓延しつつある多くの企業数に当てはめてみるなら、表示と異なる料理を食べさせられた客の数は数十万人を超えて100万200万、それ以上にも及ぶような気がする。

 私が面白いと思ったのは、「それは信頼していたからだ」と言うかも知れないけれど、客の誰一人としてそうした事実に気づいていなかったことである。私は自称味音痴だし(別稿「味音痴再確認」参照)、そんな高級なレストランを利用する機会もないから、気づかなくても不思議はないかも知れない。しかしそうした比較的高級なレストランを利用するような人たちはきっと「本物の味の分る人」であり、中には先の「味音痴再確認」にも引用したような「食材が奥深いハーモニーを奏で、・・・天上の音楽を理解できる舌」を持つ人だっていたのではないだろうか。それぞれに原産地等を示したそれらしき名前がつけられている高級な料理である。食べた人の全部が「味音痴」だったとは思えない。でも誰一人として、この事件発覚以前にそのことに気づいた人はいなかったのである。いやいや発覚以後だって、「そういえばあの料理はおかしかった」などと気づく人はいないだろう。そんな発言などまるで聞こえてこないからである。

 そのことを知るにつけ、私は人間の舌というのはその程度のものなのではないかと思ったのである。味の基本は「毒を見分けること」にあったのであり、決して「天上の音楽」を聴くためのものではなかったのではないかと思ったのである。美味さに段階のあることを否定はしないけれど、テレビで芸能人が飛び上がってみせたり、識者が書き言葉で感動を表すような味というのは、実は「人という動物としての味の感覚」としては嘘なのではないかと思ってしまうのである。

 もちろんこのことが私が味音痴である事実を返上するものでないことくらい百も承知である。でも誰一人として気づかなかったということは、私程度の舌に多くの人が近づいてきたこと、もしくは「私の舌も並み程度であること」、もっと平たく言うなら「世の中の多くの人たちの舌といえども、私とそれほど違っていないこと」を示しているのではないだろうかと、ひそかにほくそ笑んでいるのである。そして識者たちがしつこいほどにも繰り返している「お客さんの信頼を裏切るものだ」との発言は、つまるところ「味覚とは舌ではなく、信頼でしかない、看板でしかない、更に誤解を恐れず付け加えるなら錯覚でしかない」ことを裏付けているような気持ちにさせられてしまうのである。

 今回の事件は、こうした味に対する人間の錯覚を巧みに利用した業者の作戦に、私たちが都合よく引っかかっただけのことであり、人間の舌に対する科学的評価の程度というものを改めて人びとに知らせることになったのではないだろうか。


                                     2013.11.9    佐々木利夫


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偽装メニュー物語