このテーマによるエッセイも3回目と長くなってしまった。だがまだゲーテ格言集からの引用は全200ページ中60ページ足らずであり、この調子だとまだまだ終わりそうにない。そして読み進んでいくうちに、16歳の私がそこはかとなく見えてくるようで、多少未練が残る。もう少し続けさせてください。

 ・・・そこに限界がある。しかし人間は根本現象を見ただけでは通例満足しない。なおもっと先に行かなくてはと考える。鏡の中をのぞくと、すぐ裏返して、裏側に何があるか見ようとする子供のようなものだ(エッカーマン「ゲーテとの対話」 1829年2月18日から)P62

 この文章には今でも共感する。ただゲーテの語る限界の意味、そして「もっと先にあるもの」が何を意味しているのかは今もって理解できないでいる。私は生涯とも言えるほどの長い人生を積み重ねてきながら、さっぱり成長しなかったということなのだろうか。

 感覚は欺かない。判断が欺くのだ(「格言と反省」から)P63

 顕微鏡や望遠鏡は純粋な人間の感覚を混乱させる性質を持っている(「格言と反省」から)P63

 あるものを見て感動し、また嫌悪する。人間の多様性は、個々人の判断がそれぞれに異なることからきているのかも知れない。だとするなら、多様性を人間の本質と理解することの中に、人間社会の混乱の原因が最初からあったのだろうか。そもそも、「判断」ってなんなのだろう。

 人間は昼と同様、夜を必要としないだろうか(「タッソー」2342行以下)P66

 これもまた人の多様性であろう。二元論で世の中がすべて割り切れるとは思わないけれど、私の中にある明と暗、表と裏、真実と嘘、愛と憎、信頼と裏切り、金持ちと貧乏などなど、あらゆる対立が人にとって大切で必要な事象であるとの思いは、一種の驕りなのだろうか。

 様という者は、信ずる人次第だ。だから神様は、ああも度々嘲りの的になった(「温順なクセーニエン」第四章から)P68

 この言葉を読んだことなどとうに忘れているが、私は今でもこの言葉の意味を私の中に残している。それがゲーテの影響だったとは思わないけれど、「神」の重さを信じている人びとの思いの重さの総和として感じているからである。それにしても「神」は厄介なものである。

 もし病人が、医者と同じよう、病気を知っていたら、絶望してしまうだろう(西東詩編「ことわざの書」から)P69

 人は医者を神の位置にまで高めようとしている。それはそうかも知れない。自らの命を委ねるしかないからである。だが医者を「病気のことなら何でも知っている」(内容はもとより、治療法にいたるまで)と感じるのは、恐らく錯覚だろう。最近「Dr ハウス」というテレビドラマを見ていると、ドラマだから最後は主人公ドクターの勝利にはなるものの、医者は病気の原因はおろか治療方法も試行錯誤で模索していることがよく分かる。医者に必要なのは信頼であり、病人への寄り添いであることから現代医療はすっかり離れてしまった。ゲーテの医者に対する信頼は、絶望に対比されるほどにも重く大きい。

 大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする(リーマーへ、1803年)P77

 これもまた理解できていないままに赤線を引いたのだろう。なんとなく意味は分かるような文章ではある。だが恐らく、大きな必然と小さな必然との違い、そしてそもそも「必然」とは何かについてさえ、当時の私は知らなかったことだろう。そしてそのことは今でも同じである。

 ・・・どこへ行くか、だれが知ろう。どこから来たか、だれも覚えてはいないのだ(「エグモント」第二幕、エグモントのことば、1788年作)P77

 いいフレーズだ。人はどこから来てどこへ行くのか。恐らく誰もがその回答を求めて己の人生をさまよったことだろう。人が人であることの不確定さを高校生が理解したとは思えないが、それでもなお己の行く末にある漠とした不安を、少しは感じていたのかも知れない。行き先の不明の現実は今でもそのままのような気がしてるが・・・。

 財貨を失ったのはーーいくらか失ったことだ!。・・・名誉を失ったのはーー多くを失ったことだ!。・・・勇気を失ったのはーーすべてを失ったことだ!。生まれなかったほうがよかっただろう(「温順なクセーニエン」第八集から)P86

 人が君の議論を認めない場合も、忍耐を失うな。(コーランから) (「格言と反省」から)P87

 何事につけても、希望するのは絶望するのよりよい。可能なものの限界をはかることは、だれにもできないのだから(「タッソー」2165-6行)P88

 私はこの言葉から人生を闘うことの勇気をもらえたような気がしたのだろうか。現実としての社会をまだ知らない高校生にとって、「勇気」や「忍耐」や「希望」は言葉の上だけでしか理解できない程度の認識だったろうが、それでもかくありたいと願う気持ちがここに赤線を引かせたのかも知れない。もしそうなら、今の私はその高校生に恥じるような大人になってしまっているのだが・・・。

 さて、この本を読んだ痕跡はまだまだ続いている。この本の本文は195ページだが、最後の痕跡は194ページの「耳ある者は聞くべし。金ある者は使うべし」(格言的から)までである。この言葉のどこに私が反応したのかよく分からないが、途中のページにも途切れなく赤鉛筆の跡が残されているから、恐らく私はこの本を最後まで何度も読み返したのだろう。

 このエッセイの(1)でも書いたように、この本から影響を受けたような記憶はまるで残っていない。それでも、高校生の私が理解できないなりにもゲーテに挑戦しようと努力したであろうことは、こうした痕跡からどことなく感じることができる。今から50数年前の、恐らく青臭く、未熟で、哲学青年の振りをしようとしていた高校生の貧弱な思考の片鱗を、今の私は懐かしんでいる。
 それは飽くまでも私の、そして私だけの思いではある。そんな昔を懐かしむ気持ちの残渣などは、年寄りの独りよがりでしかないだろう。エッセイに取り上げたのは3回で本文の88ページまでにしか過ぎないけれど、独りよがりを懐かしむのはこの辺で打ち止めにすることにしたい。そのうち、エッセイのネタが切れかかるようなことが起きてきたら、その時に改めて継続することにしようか・・・。


                                     2013.9.18     佐々木利夫


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16歳の私のゲーテ(3)