事務所から歩いて1〜2分のところに西区役所があり、その西区役所に隣接して西保健所と西区民センターがある。その区民センターの二階が私の利用する図書室である。けっこう沢山の蔵書が開架されていて、もっぱらその開架を渡り歩いて気に入った本を借りるのが長年の習慣になっていた。だが、もともと濫読系かつ目的なしの読書が身上だったせいと、それに図書館利用が無料であることが本の選択に対する熱心さを削いでいったせいか、5年10年を単位で考えると借りた本の書名はおろか内容も含めてすっかり忘れてしまうことが多くなってきた。そうした記憶障害は同じ本を二度三度と借りてしまうという結果を生むことになり、読んでいて「どこかで読んだことがあるぞ」との警告が脳内から発せられる。しかもその事実は、私はこの10年近く読んだ書名や著者名を自分のホームページにすべて掲載してあることもあって、いつ頃借りて読んだかがすぐに確認できてしまうことも厄介ではある。

 そんなときに、札幌市では市内の図書館の全蔵書をインターネットで検索できるシステムが発表された。検索そのもののシステムは私が退職した10数年以前からあったのだが、検索した書物を借りるためにはその本がある図書館まで出向かなければならなかった。これは大変な苦労であった。その本が貸し出し中で借りられなかったという記憶こそなかったものの、図書館の所在地を探し地下鉄やバスを利用して到着して申し込んで借り出すのは、その本を返納するための手間も含めるととても大げさな仕事であった。極端に言うなら、借りるのに一日、返すのにも一日かかる、それほどの労力が必要だったのである。まあ、そこまでするほど借りたい本があるということも、一種の本に対する愛着の強さだと言ってしまえばそれまでのことではあるが。

 それが数年前からインターネットで予約し、かつ私の希望する近くの図書館まで配送してくれるシステムができたのである。これで蔵書数の多い中央図書館の本だろうが、北の端っこにある他の区の区民センター図書室の本だろうが、自由に借り出すことができるようになったのである。しかもその本が私の希望する図書館に到着すると、メールでその旨の連絡が私のパソコンに届き一週間以内に出向いて貸し出しを受ければいいのである。
 まあそうした便利さは、反面「苦労して現地まで行って借りる」(返却する手間も含めて)という、特定の一冊に対する執着心を薄めてしまうことにもなってきたのだが。

 私の利用する図書室は事務所から数分のところにある。往復したところで、10分もかからないで用が足りる。だから気軽に往復することができ、その往復が連日になったところでそれほどの億劫さはない。開架から持ち出して借りていたときは、貸し出し期間2週間以内に読みきれるだけの本(約3冊程度)を同時に借りて、期日までに同時に返しに行くことが多かったのが、このシステムができてからは図書室を利用する機会が増えることになった。

 なぜなら、インターネットで申し込んだ本は、翌日に到着する場合もあるけれど、3〜4日程度かかることもあるからである。それはつまり、仮に3冊同時に予約しても、それが同時に到着する保証はないことを意味している。これがネット申し込みと開架から探すこととの一番の違いである。もちろん図書室に到着した本は、一週間は貸し出しを待ってくれているから、申し込んだ本が全部揃うまで待っていることは可能である。一週間もあれば、予約が重なって私の順番が後回しになっている本がない限り同時申し込みの本はまず間違いなく揃うからである。

 しかし、そうは言っても手許に読む本がなく、片道数分の場所に「読みたい本が私を待っている」状態のまま放置しておくことは心理的に許されないような気持ちにさせる。しかも出向いても高々10分足らずである。それでついつい足しげく通うことになる。

 そんな区民センターの二階のエレベーター乗り場の傍らの窓から、隣接する札幌市立西小学校の校庭を囲むフェンスの外側に茂っている街路樹が数本見えるのである。エレペーターを待つ時間が手持ち無沙汰だから外を眺めたわけではない。恐らく街路樹なんぞ、仮に毎日通う道々にあったところでそんなに興味を惹くことなどないだろう。窓からの街路樹が私の目を惹いたのは、それがナナカマドであり、秋たけなわになってその実が特別に鮮やかな赤を誇示していたからであった。

 ナナカマドは札幌の街路樹として一番多く植えられており、その数約3万5千本とも言われている。花は小さく白く夏の盛りには雪のようにハラハラと地面に積もるけれど、なんといっても見ごたえのあるのは秋から冬にかけての紅葉とまっ赤な実であろう。近郊の山々だけでなく、遠く大雪山にいたるまで北海道の山野を彩る紅葉の見事さは、このナナカマドによるところが大きい。そして身近には、葉をすっかり落とした木々に残る真っ赤な実に降る積もる雪の風情がなんとも言えない情緒を伝える(別稿「62本目のナナカマド」参照)。

 それはそうなんだけれど、この区民センターの二階のエレベータの傍らの窓から見えるナナカマドの実の赤が、今年は特に際立っていたのである。それはもしかしたら、ほかのナナカマドに比べて少し早めに赤くなっただけのことなのかも知れない。私の歩く道々にもナナカマドは沢山あるから、そのうちに全部が同じような赤に染まっていくのかも知れない。そう思いつつも、ふと見えたナナカマドの実の赤に、私は目を奪われてしまった。「何という赤なんだ・・・」、そんな気持ちでしばらく見とれていたのである。そして、エレベーターで一階に降り、その足で区民センターの裏口から外へ出て、しみじみとそのナナカマドの傍らで見上げたのである。

 初代の名工柿右衛門が、夕日に映る柿の実の赤を焼き物に再現したいと執心する物語は後世の創作らしいが、そんな物語を連想させるほどの鮮やかさであった。街路樹のナナカマドの赤とは何の関係もないのだが、かつて柿右衛門に惹かれて九州の有田界隈の窯元をふらふら歩いたことをふと思い出した。葉はまだ緑のままのナナカマドだが、やがてそれも橙色から赤へと変わっていくことだろう。そしてそれを過ぎると葉をすっかり落とした寒々とした枝に赤い実だけが青空に映え、初雪がその赤に綿帽子を被せる日も遠くはないだろう。札幌の今は、こんな風情を私に知らせてくれている。


                                     2013.9.25     佐々木利夫


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図書館とナナカマド