(別稿「角の三分割」の続きである)。さて孫に出した角の三等分、そしてそれに連なる羊羹をどうしたら正確に三人で分けられるかの経緯は、別稿の「角の三分割」のとおりである。羊羹の三分割ができたという孫の手書きメモを確かめる間もないまま、事務所へ出た。
 なぜ孫の書いた論文を確かめなかったかと言うと、まず第一は書かれている記号や補助線の文字があまり小さいくて老眼の私には読みにくかったこと、それにけっこうなヴォリュームがあって追いかけるだけの気力がすぐには出てこなかったからである。それに羊羹の三分割が仮にできたとしても、その線に向かって引いた直線が果たして角の三等分になっているのだろうかとの疑念がどこかで湧いてきたことも、私の気力を削ぐのに更なる拍車をかけたことは否めない。つまり、扇形の弧の三等分なら角の三等分に結びつくかも知れないけれど、底辺の三等分とは意味が違うような気がしたからである。

 それに孫が最初に言った、「角の三分割はできないと聞いたことがある」という話しも気がかりである。ところでこの角の三分割のテーマは、私の読んだエッセイによるとギリシャ時代から存在していたということになる。ギリシャ時代と言ってもかなり幅があるだろうけれど、アルキメデスの生きていた時代を考えるだけでも紀元前200年前後だから、今からは二千数百年も前のことになる。そんな時代からの遺産ならば、「できる」にしろ「できない」にしろ、答えは既に出ているはずである。こう言う場合にインターネットは便利である。キーワードとして「角の三分割」とでも入力すれば、たちどころに情報が得られるだろう。

 あった、あった。あったというよりは、こんなにも人気のあるテーマだったことに驚いた。私の選んだこの角の三分割の問題は、「与えられた円と等しい面積の正方形を作ること」、「与えられた立方体の体積の2倍の立方体を作ること」と共に、幾何の三大難問としてギリシャ時代から多くの人びとを悩ませてきたテーマだったのである。
 そしてこの角の三分割については、1837年にフランス人のヴァンツェルによって不可能であることが証明されたことも分った。証明されたのは今から180年近くも前のことになるが、少なくともそれまでの二千年近くもの長い間、この問題は人びとを悩ませ続けてきた、もしくは魅了し続けてきたことになる。

 そして分ったこと、そして更に驚いたことは、現在でもこの問題は尾を引いていることであった。数学的に不可能が証明されたのだから、それで一件落着のはずである。その証明が誤っていたとか、特殊なケースの場合にしか成立しない証明、つまり一般解ではなかったというならともかく、誰もが(と言っても我々庶民の理解の範囲とは言えないにしても)異論のない証明なのだから、まさに反論の余地なしに作図不可能の事実を認めなければならないだろう。

 しかし、しかしなのである。角の三分割という素人にもいかにも分りやすいテーマであることにも原因があるのだろうが、解決可能と信じる人びとがこの不可能証明を超えてなお生残っているらしいのである。それは「不可能であることが示されているにもかかわらず、いまだに角の三等分が作図可能であることを示そうとする人々がおり、角の三等分家(Trisector)と呼ばれている」(ウィキペディア、「定規とコンパスによる作図」から)くらい、世の中にいるのである。つまり私のような、と言うか私よりももっと熱狂的に角の三分割の作図が可能であると信じている人びとが現在でも数多く存在し、三等分家・三等分屋(ともに"さんとうぶんや"と読むらしい)と呼ばれるほどにも集団をなしていることが分ったのである。

 しかも、三等分家の特徴として、@ 概してみな年寄りでほとんどが男性、A 数学で言う「不可能」の意味をまったくわかっていない、B 数学を勉強していない。せいぜい高校の幾何学あたりまで(ダッドリー著 「三等分家がやってきた、さてどうするか」 野崎昭弘 訳 数学セミナー1983年11月号)、と分類されるくらいにも多数いて、数学者を悩ませているらしいのである。おおなんたることか、この特徴はまさに私にそのまま当てはまるではないか。

 彼ら三頭分家の面々は日本だけでなく国際的に存在しており、今でも角の三等分が作図できると信じているのである。そしてそれが証明できたとする論文が数学学会や数学者に宛て世界を飛び回っているらしい。事実、特定の角度については三分割の作図が可能であるらしいことはネットで読んだ。ただそれはあくまでも限定された角度についてであり、一般解としての解法にはなっていないらしい。

 不可能だと証明されているにもかかわらず、三等分家との名称まで取得しているグループが存在していることは、三分割作図の問題が誰の目にも分りやすいことにあるだろう。そして特に数学に多少なりとも興味を持ったことのある人にとっては、数本の補助線を引くことでたやすく解が得られるかのような錯覚を与えるテーマであることがこれに拍車をかけているのかも知れない。

 前掲したダッドリーの著書「三等分家がやってきた、さてどうするか」は、タイトルそのもの、そしてこうしたタイトルの本が発行されていることからして、いかに三等分家の攻勢に数学者が日夜悩まされているかが分る。送付されてきた論文を無視するような失礼はせず、書かれている誤りを指摘しようものなら、その誤りを補正したとする論文が何度も送られてくるといった、果てない状況がくり返し続くのだそうである。その繰り返しは結局、数学者が「うるさい、黙れ」と理屈抜きに堪忍袋の緒を切らしてしまうまで続くそうだから、三等分家の執念には恐るべきものがある。

 さて、私も三等分家の仲間に危うくなりかけたのかも知れない。任意の角の三等分など、朝飯前のお茶の子さいさいだと、一瞬にしろ思ったことは事実だからである。おまけにそこに孫まで巻き添えにさせてである。孫から羊羹の三等分の証明のメモはもらった。今でも大切にとってある。角の三分割という世紀の大偉業を成し遂げることは叶わなかったけれど、羊羹を食べながら渋茶をすするくらいはできそうである。

 そして180年も前にされた「不可能の証明」については数学界が認めていることを尊重し、自力で検証することは諦めることとした。ただ、いかにも可能に見える角の三等分というテーマに、不可能という烙印を押されたことに一抹の淋しさというか、夢を奪われたような気持ちになるのはどうしたことだろうか。
 180年前に不可能と証明されたその過程を遅まきながらトレースしてみようか、それとも頭から信じてこの問題について追いかけるのは止めにしようか・・・、こんな思いが頭のすみをよぎること自体、私が「三等分屋」の思い込みに毒されている証拠なのだろうか。


                                     2013.6.22     佐々木利夫


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