「がん病棟の隣人」の彼女も神坂冬子も、どちらもがんで死んだ。余命宣告は恐らく二人の患者に対して平等に機能したのだろう。でも宣告は平等でも、「生きる意味」には比較できないほどの違いがあるように私には思える。「治療手段がない」ことと、「病気に対して共に闘おう」と医者と患者が約束したこととは、まるで無関係なのだろうか。その約束は単なる社交儀礼に過ぎない出任せの言葉だったのだろうか。

 上坂冬子の治療に対する思いに関して私は「わがまま」と書いた(別稿「わがままな死」参照)。それは著名人の驕りみたいな気持ちに対する批判でもあった。でも死に対面したときに、「わがまま」を否定するのは誤りかも知れないとこの頃思うようになってきている。それを「わがまま」と呼ぶのなら、それはそれでいいのではないかと思うようになってきたのである。それはわがままの主張が、力尽きる者の最後の望みであることを理解できるようになってきたからでもある。

 確かにすべての患者のわがままを認めるような医療体制は整っていない。人のわがままには際限がないだろうから、そのすべてを叶えることには無理があるだろう。どこかの段階で「はい、ここまで・・・」と、医者か看護師かそれとも親族もしくは本人、それとも社会保険診療などのシステムそのもの、もっと言うなら「私の持っている金や権力や地縁血縁」などの実力が決断しなければならないのだろう。そうした限界を一言で説明する言葉を私は持っていないけれど、とにかく力を持っていない者に対しては、わがままを叶えるだけの仕組みが備わっていないことは事実である。

 そうした思いに浸っていると、余命宣言が果たしてどこまで我が身にとって「自力による終末へのコントロール」として機能できるのか、そしてそのことがどこまで我が身にとって幸せなのだろうかと疑問に思ってきたのである。片方に余命宣言による一つのターミナルとしての期限が存在している。そして片方に宣言を受けた現在の我が身がここにある。その区間が私の余生である。その余生を「きちんと生きる、自力でコントロールすること」が、一つの幸せであることを否定はしない。

 妻や夫、または子や孫と旅行をしたり、共に寿司をつまむ自分の姿をいつくしむことができる期間であることを否定はしない。何なら、残されるであろう家族のために財産の整理をしたり、し残した仕事の後始末や段取りを仲間や上司に伝え、時に世話になった方々との別れの場を作る。趣味に生きる人なら、その整理に残された時間を使うことも悪くはないだろう。そうした時間を作れるような場面というか余裕は、もしかしたら「がん宣告」に伴う余命宣言以外では考えられないかも知れない。交通事故やインフルエンザで突然に死亡したり、はたまた心筋梗塞や脳梗塞であっさり幽明境いを異にする場合のほうが、現実的には多いだろうからである。

 生前葬というのがある。葬式に集まってもらったところで死んだ本人には分らないのだから、生前に葬儀という名称で親しい者たちに集まってもらって交流を図るという意味であろう。その意味が分からないではないが、多くの場合それは「高齢になった」ことだけが動機であって、終末がいつであるかは不明確なままである。そして私はいつも思うのは、生前葬をやった場合で本人が死んだとき、残された人は「既に葬儀をやったのだから、後は関係ないや」と割り切ることができるのだろうかということであった。もしそうでないとするなら、生前葬とはつまるところ「趣味人の単なる思い付き、お遊び、ゲーム」にしか過ぎないのではないだろうか。

 少し脱線したので「残された時間を特別に過ごすこと」に話しを戻してみよう。私は「自分のためにゆったり使う」という、意識そのものを理解できないのではない。残された時間を「ゆっくり考える」というライフスタイルを私自身羨ましく思うし、かつ、そうありたいと願ったからこそ私自身上坂冬子の意見に賛同したのだと思う。

 でもそうした思いは「余命」とされた時間の中の、自力で行動できる比較的元気な僅かな時間に限られているのではないだろうかと思ったのである。私は今日、余命宣告を受けた。少し体調は悪いけれど動き回ることに支障はないし、昨日の私とちっとも違わないと私自身は思っている。医者は様々な検査を繰り返して、「あなたのがんは既に末期で手の施しようもない。余命あと一年」と宣言するけれど、今の私は多少食欲は落ちているものの、妻とワインを飲みステーキを食いに行くくらいの元気はある。

 だから医者の宣言とは裏腹に、実感としての死はまだ遠い。さて、こうした時間だからこそ「残された時間をゆったりと使おう」という気持ちになれるのではないだろうか。余命宣告の例えば一年とは、昨日までステーキを食べ寿司をつまんでいたのに、一年目の今日になって突然「さよなら」が発生することを意味するわけではない。「とりあえず元気だった一年前」の状態から少しずつ体調が悪くなってゆき、少しの痛みが発生し、それが少しずつ増してゆき、やがて耐え難くなり、やせ衰え、歩けなくなり、苦しみの中に意識が混濁してゆく・・・、私は具体的には知らないけれど、そうした経過を辿って終末を迎えるのではないだろうか。

 意識がなくなってしまったらそれはそれでいいかも知れない。苦痛も理解できないまでに衰えてしまっているのなら、それは自分の死についての理解もできないことだから、それはそれでいいだろう。だが、それまでの苦痛の過程で、人は「自分の死の期限を知っているという事実」をどのように解決してゆくのだろうか。

 たとえ宣告を受けたとしても、その死が遠いときには、「残された時間をゆったりと使う」ことは一つの理想であり、羨ましいことでもある。でもステーキを食える期間というのはどのくらいあるのだろうか。やがて痛みや苦しみが迫ってきて、「死が確実に近づいている」ことを否応なく自覚させられる時がきたとき、「残された時間を知っている」ことの意味が耐えがたく自分を責めるのではないだろうか。

 ここで私は再び上坂冬子の「気の済むように手当てをしてもらえれば、治らなくてもいいの」と言った「わがまま」を思い出す。そして「がん病棟の隣人」の医師から「あなたに行う治療は全部終わりました」と宣告され入院を拒否された彼女の絶望を重ねる。この二つの天と地ほども違う思いの背景は、ただ一つしかない。それは「看取り」への対応である。「治らなくてもいいの」と言わしめるまで患者にどこまで人は寄り添ってやれるのか、それとも「もう治療方法ありません」と突き放してしまうのかの違いである。

 恐らく「治療」という行為そのものに対する人それぞれの思いの違いによるのだろう。それは「病気を治す」ことが治療であると考えるか、それとも患者の死にどこまで医者が向き合えるのかの違いでもあろう。
 「説明と同意」(インフォーム ド コンセント)が取り上げられて久しい。でも患者の人格を丸ごと抱えることなしに医者はたやすく告知に走るべきでないし、その丸ごととは「死」までをも包括した、まさに「看取りの覚悟」をも包含した姿勢を指すのではないか、私にはそう思えて仕方がない。

 ペインクリニックがあることを知らないではない。痛み止め、苦しみ止めを目的とした医療である。だがそれもまた、私たちが思うほどの効果をもたらすものでないことも知っている。それでもなお私は、余命宣告を受けるような場面に出会った場合、その宣告を受け、そして残された時間をゆったりと自分のために使いたいとの思いから離れられないでいる。もちろん多少そうした気持ちに揺らぎが出てきていることを否定しないけれど・・・。


                                     2013.11.22    佐々木利夫


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余命宣告に思う(2)