12 捨てきれぬ 荷物の重さ まへうしろ メモ、2000.3.17
飲んだくれの俳人、山頭火の悲しいうたである。身軽になることをひたすら望み、そして身軽がどんなに自分を解放するかということを分りすぎるほど分っていても、人は生きてきたしがらみをしっかりと背負い、こだわり、あたかも宝物でもあるかのように背負っていこうと、悲愴な覚悟を決めている。老いることの欠点は持ちすぎること、捨てられないことだと聞いたことがある。
13 子育て メモ、時期不明
人はなぜ、子育てが終わっても生き続けるのだろう。
14 老人とスキー メモ、2000.6.28
96歳の著名な老人が、5月の立山をスキーで滑るというテレビドキュメンタリーを見た。編集は飽くなき老人パワーを描いているが、スキーも始めは片方だけ持っていった。死も全部支援する者に預け、もうそれは老人パワーではなく老人の意地である。一人では叶わない多くの人間のいたわりでやっと生きている、そんな老人の単なる意地である。多分成功するだろう。滑り降りるその姿はテレビカメラに映る。「先生・・・」、「素晴らしい」、後ろから滑走していく若者は口々に叫ぶ。これを老人パワーと言うのだろうか。96歳のスキーを人は元気とか努力とは言うのだろうか。例えば20歳代や30歳代でしかできなかと思われていることを、100歳でやることが「栄誉」や「賞賛」という名で呼ばれていいのだろう。やってもいい。人がどんなことをやったってそれはそれでいいだろうと思う。でもそれをテレビで誇らしげな笑顔を映すほど値のあることなのだろうか。スキーを持ってもらい高山にスタッフを配置してもらい、費用も何もかも手伝ってもらって、そして400メートルを降りる、これが老人パワーなのだろうか。不可能と思えることをやって見せることがニュースではあっても、決して正義ではない。少なくとも「称賛されること」では決してない。「やるな」とは言わない、「やつてもいい」それは自由・・・、でも「褒めてもらうため」は誤りである。
15 人生 メモ、映画「リザレクション」より 1999.9.19
人生がレモンしかくれん時は、レモネードを作ること。
16 お墓と生活 メモ、 朝のテレビ 2000.7.8
小3くらいだろうか、一人の少女が「タイクツ」、「タイクツ」と母へつぶやく。「そんなにタイクツなら、お墓の掃除でもしたら」と母。言う母も母なら「うん」という子どもも子ども。手馴れた掃除らしく、手を合わせて掃除完了。墓地のミカンの木に大きな実がぶら下がっている。手近な墓石に登って一個採る。そうなんだ。墓はもともと家の傍にあり、一緒に暮らしていたおじいちゃんやおばあちゃんの入っているところであり、日常生活の中で遊んだ場所になったり肝試し会場になったりする生活の場だったんだ。だから墓石に登ってミカンを採ることは、「チョットごめんね」と心の中で言うことでちっとも墓を汚すことではないんだ。久しぶり、すっかり忘れていた先祖とのかかわりが、日常の中にさりげなく染み込んでいるこの家庭に、何かホッとするものを感じて、豊かな土曜日が始まった。
17 カリスマ メモ、時期不明
これを進化と呼んでいいのか分らないけれど、この頃カリスマという言葉を耳にすることが多くなった。カリスマとは私の常識ではキリストとかヒトラーとか、そんな神がかりみたいな人を表すように感じていたのだが、最近のテレビを見ていると、カリスマ美容師がいて、ついこの前なんか19歳のブティックの店員をカリスマ店員と呼ぶにいたっては、もう理解の限界を超えてしまう。現在のカリスマ性とは、世の中の多くが自分のことを自分で決められなくなって、人頼みにしていることと無関係でないのかも知れない。
18 私の子ども時代 メモ、時期不明
ゆで卵一個とキャラメル一箱に幸せを感じることができたのに、今の子どもはあふれるほどの豊かさにも幸せを感じられないでいる。
19 後悔 メモ、時期不明
それを時に後悔と呼び、時にそれを思い出と呼んで・・・、そして、そして・・・
20 禁煙 メモ、時期不明
「遊び半分でタバコを吸うのはやめよう」と文部大臣が言っていた。そして「お父さんもやめる」と付け加えた。この後段の一言は子どもと大人を混同しているとの意味でどこか変である。
21 大人 メモ、時期不明
段々大人になって、大人になり過ぎて・・・、そうするとどんな言葉にも嘘のあることが否応なしに分ってくる。自分の言葉にも・・・・。
22 寂しい電車内メイク 日経新聞、1999.11.27
「・・・(メイクしている)人にとって、ぼくの視線は無いも同じ、つまりぼくはあのひとに他人として認められていない、そうさとって、気が抜けた。・・・自分だけが仲間の外にいる。その世界に参与していない。・・・寂しいひとよ、・・・」(大阪大学院教授)。
23 一生懸命 メモ、 NHK朝ドラ「私の青空」から 2000.8.2
過ぎ去った日々には一生懸命な自分がいる。
24 頑張ることの意味 メモ、2000.9.17
さだまさしは「自分を見切ってしまわないで、明後日まで頑張ろう」と歌う。でもこんな歌だってある。「もういいよそんなに頑張らなくても。今日までこんなに頑張ってきたんだもの」
雑記帳始末記(3)へ続く
2013.2.15
佐々木利夫
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