141 何回も夜と霧  メモ  2007.4.24

 図書館へ行く。書架はそれぞれがジャンルに分かれている。そこをさまよう私にも、それなりのパターンがあるのだろう。そして目を惹くタイトルがある。手に取る。読んだ記憶は必ずしも残っていなかったり、かつて若い頃の読んだような頼りない記憶の霧の中でもある。そうして時に同じ本を二度、三度と借りてしまうことがある。アウシュビッツの収容所から生き延びた心理学者の書いたこの本もそうした一冊だった。

142 NHKプロフェッショナルについて一言 メモ 2005.5.1

 @ プロジェクト]の系譜につながる番組である。
 A やっぱりサクセスストーリーである。
 B 紹介されるプロは、やっぱり成功したワンマンでしかない。
 C どうしてアナウンサーはどうしてああまで相手の言い分に納得し、理解し、同調してしまうのだろう。
 D プロフェッショナルって一体何?。挫折を知らない人、挫折しても現在は社会に認められている人・・・、その場合の「社会」とはなに?。

143 恋愛 書評から  2007.9.23

 「なぜ恋愛をするのか まだ結論を出せない。 ・・・本書が明らかにしたのは、人が恋愛し、結婚し、不倫し、そして離婚するのは、人間が種の保存を図るために進化させてきたDNAの命令によるものだというものだ。・・・著者の説明は、とても科学的で、説得力があるから、おそらく真実だろう。ただ、そうなると今まで崇高なものだと思っていた愛が、とても空虚なものに見えてくる。私たちが胸をときめかせ、悩み、苦しむ恋愛が、単にDNAに踊らされているだけということになるからだ。・・・」(ヘレン・E・フイッシャー著 「愛はなぜ終わるのか」に対する独協大学教授 森永卓郎の書評、朝日新聞)

144 疑う心 メモ 2007.2.12

 強い力や権力を疑うことは、時に一まとめにされて屁理屈だとか抵抗、反抗などと呼ばれることが多いかも知れないけれど、反論できないことの一つに、理屈と常識の対決がある。

145 昭和 メモ 時期不明

 「昭和」という言葉そのものが歴史になってきている。

146 「考える」人 メモ 時期不明

 現役時代、例えば会議資料の作成、答えのすぐ出てこない職員からの質問などなど、そんな時に廊下をうろうろ歩くのが私の常だった。あれでもない、これでもない、この考えはどうだ?、これは変か?などなど。だが傍目には考えているように見えるし、事実答えを模索しているのだから、そうした「廊下を歩きながら悩む」というのは、考えてみるとそれほど効果が高かったとは思えないような気がしている。それでも「休みなく考え続ける」という事実は、時にあなどれないものがある。

147 電子図書館 メモ 時期不明

 最近パソコンの図書館に、ほんの少しだけどはまっている。雑誌や絵本や小説など、けっこうなジャンルの書籍が机上のパソコンから読むことができる。本を呼び出してマウスのクリックで、擬似音と一緒にページを繰ることができる。雑誌や絵本は背景に音楽が流れ、時には内容を朗読してくれる。中には絵が動いたり、動画が組み込まれていたりするのがある。世の中便利になったものだと思う一方で、・・・

148 給食費滞納 メモ 時期不明

 国公立、私立の全小学校での給食費の滞納が、2005年実績で全国22億円、10万人に達したそうである(朝日新聞、1.25)。督促、徴収に頭を抱える教師もいれば、簡裁に支払い命令を求める教育委員会も出始めた。そこで専門家が登場し、「・・・払える家庭を見極め、きちんと徴収できるシステムが必要」と指摘する。

149 死者 メモ 時期不明

 「死者は何も語らぬ」・・・。死者は語れないのか、それとも死者そのものが存在しないのか。誰も死者の声を聞いた者などいない。

150 人生 メモ 2004.11.15

 「人生は自分で決める」・・・。あぁそうだう、その通りだよ。この人生は俺のもの、私のものだし、その結果を誰に責任を負えっていうんだ・・・。でも、そうだけど、どこか違う、違ってないけど、やっぱりどこか違っている。

151 あんたは泣かない メモ 2006.12.15

 いつもの飲んだくれのセリフだから、そんなにまともに感じることはないとも思うのだが、それにしても酔っ払った仲間から、「あんたは・・・んだろう」って言われると、相手の意思は別にしても、なんだか心もとない気のしないでもない。

152 核を持つことの意味  メモ 2006.11.11

 今朝の朝日新聞の社説である。「北朝鮮の核実験後、麻生外相や自民党の中川政調委員長らが、核について議論する必要性を繰り返し説いている。議論するだけならいいではないか、そんな声もあるようだが、養殖にある政治家が議論しようと言う以上、それだけではすむまい。まず自分の意見を言うべきだ」。この社説は政治家の意思を個人としての意見だと言い切ってすらいる。いつものことかも知れないけれど。

153 武力 メモ 2006.11.5

 「武力では何ものも達成できないのです」と言う。だが「達成」を永遠の実現と呼ぶなら、また合意も選挙も妥協も同じである。永遠ではないかも知れないが、武力でもまた達成できる現実があるからこそ、武力はなくならないのではないだろうか。

154 隠された意図  メモ 2006.11.12

 共謀罪が国連から呈示され、国内で批准されようとしている。マスコミはこぞって「反対」の声を挙げ、識者と称する人たちも訳知り顔に同調する。その中での極めつけは、この立法には「○○○・・・がある」、だから反対と絶叫するものだ。この人が国会議員も含めてこの制度について取材している映像も映されていたから、それなり研究したのだろう。その結果が「○○○・・・」である。しかもその意図が何であるかについて何も明らかにしないままにである。むしろ彼にとってもその理由が何なのか分からないということなのだろう。この手法を許してしまうなら、あらゆる「反対」に正当な根拠を与えてしまうことになる。私には、そんな変てこりんな主張をする彼こそ、何か隠された意図を持っているのではないかと思えてしまう。

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                                         2013.3.7     佐々木利夫


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雑記帳始末記(11)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。