219 準ひきこもり 新聞切り抜きとメモ 2009.7.2

 「・・・準ひきこもりは、純然たるひきこもりと異なり、一応家の外には出て行く。ただ、他者との心の交流がほとんどない。・・・準ひきこもりにとって、就職は人生最初にして最大の難関だ。・・・しかし、家庭でも学校でも、社会性・社交性を高めるための、実効ある育成プログラムを組めていないのが実情だ。・・・就職に関して言うと、高度なコミュニケーション能力を身につけなくてはならない営業職やサービス業は特に向いていないので、学校にはそれを踏まえた慎重な進路指導が望まれるだろう。・・・職場でも、新入社員がうまくなじめるよう、またいじめが起きないように、教育係を配置するなど、・・・環境づくりが必要であろう」(朝日新聞、オピニオン、準ひきこもり 就職は十分な準備と配慮で、富山国際大専任講師、教育社会心理学)。
 ◎ 言ってることは分るけれど、この「準」の接頭語がどうも気にかかる。この語をつけてしまったら、私も含めてどんな人も投稿者の言う「配慮の必要な人種」になってしまうのではないだろうか。そしてその範囲は、どんなケースにも広がっていく。何たって私は、準落ちこぼれで、準アル中で、準嘘つきで、準犯罪者で、あらゆる悪の準予備軍でもあるからである。だから私も含めて、あらゆる人はすべて「配慮が必要な人」であり、同時に他人に依存するのが当然の人になってしまう。

220 アウトサイダーアート メモ 時期不明

 身障者の作った絵画や彫刻などの創作が芸術として評価され、ニューヨークで一枚30万円で売れ、多数の展示物が一日で売り切れるなど人気があるのだそうである。テレビでの紹介だが、解説者はしきりにこうしたアートに対する著作権の確立をしきりに強調している。30万円だからなのだろうか。それとも身障者には自らの著作権を主張したり守るような力がないと思ってのことなのだろうか。どこか、上から目線の思いが感じられてならない。

221 取り返しのつかないこと 新聞切り抜き 2009.4.21

 「・・・例えば病院で安穏に死んだかに見える人の場合にも、現代のひずみによってその人が殺されたという側面があるのを見落としてはならないと同時に、このひずんだ現代の中でのうのうと生きている私たちが殺す側に、無意識のうちにも加担しているという側面を見落としてはならない、ということだ。見落とすという言葉をもう少し広く、忘れる、といい換えてもいいだろう。私たちは、忘れてはならないことを実によく忘れる。あるいは忘れてしまおうとしたがる。そしてその忘却の罪と誤りに気がつくのは、しばしばほとんど取り返しがつかなくなった時であるようだ」(劇作家 木下順二、朝日新聞、定義集 大江健三郎氏の引用から)。

222 売れるから売れない メモ 時期不明

 帯広競馬場の休日に、駐車場を借りて近くの農家が野菜を販売し始めたとのニュースが流れた。アナウンサーがその野菜について「新鮮な・・・」と紹介するのは噴飯ものだが、「スーパーより安くしたので飛ぶように売れた」との農家のおかみさんのニンマリ顔とこのアイディアを賞賛するアナウンサー・・・。どこか変な気がする。

223 老いは言葉にも習慣にも メモ 時期不明

 国会や議会などの答弁に多いのだが、「・・・次第でございます」、「・・・ところでございます」、「所存でございます」、が日本語として間違ってはいないにしてもどこか気になる。
 もう一つ、急須を指差して「これ何ですか」と聞かれたとか、ご飯をおたまでよそっている人がいたとか、じゃがいもの乱切りの意味が分からない、などの若者が多いとの話もよく聞く。
 こんなことが気になりだしたのは、私が老いてきたからなのだろうか。

224 いいかなと思います メモ 時期不明

 こうした言葉遣いが最近よく聞かれる。「していきたいと思います」が本来の使い方なのではないかと、どうしても思ってしまう。こうした言い方をされると、どこか「そのように思え」と命令されているようでどこか引っかかる。そのたびに「お前が努力してそうなれよ・・・」とか「私がそうなるように努力していきたいと言うべきではないか」などと思ってしまう。気にしているからそうした表現のたびに目に付いてしまうのか、それとも本当にこうした使い方が増えているのか分らないし、はたまたこうした表現に何の誤りもないのかも知れないけれど、気になってしかたがない。

225 田園の風景 書籍からのメモ 時期不明

 「田園の美をいう都会人は、田を這うようにして身体を苛みながら、その美を作ってきた人々の辛苦に、思いが及ばない」(不知火ひかり園P105、石牟礼道子)。

226 まるめろ 書籍コピー 時期不明

 冬の月

 嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いて戸外(オモデ)サ出ハれば
 まんどろだお月様だ
 吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
 何処(ド)サ行(エ)ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
   −−−ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
       憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
       そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのアドしたごとだバ
 あゝ みんな吹雪(フギ)ど同(オンナ)しせエ過ぎでしまれば
 まんどろだお月様だネ

              高木恭造 詩集「生活(クラシ)」より

  「まるめろ論」 高木恭造の青春 山田尚著から引用

227 死ぬということ メモ 時期不明

 一度死んだら二度とは死なない。それは「生としての個体の無への変化」と考えるのが正しいのかも知れないが、「死なない」というところに視点を置いてみると、何かそこに「永遠」みたいなものを感じてしまう。「死なない命」を見つけたようで、ちょっと嬉しい。

228 公約の嘘 新聞切り抜きとメモ 2011.6.11

 「高速道路料金の『土・日千円』の割引制度が19日いっぱいで廃止されるという。料金の無料化は、2年前の総選挙で民主党が掲げた公約のひとつのはず。政権発足から2年であえなく公約は無に帰した。かくも明らかに政治がうそをつくとは。・・・遠方に住む子どもや孫にひんぱんに会いに行っていた。浮いたお金は珍しい特産品や郷土料理などに費やすことができた。・・・これからは、子どもや孫の顔を見に行く機会も減らさねば。」(朝日新聞、声、新潟会社員男性61歳)
 ◎ 無料化は永久に続けると民主党は公約したのだろうか。どこかで打ち切ることは、その時点で公に違背した嘘をついたことになるのだろうか。特産品の土産や郷土料理に使う金が減ることが、そのまま公約の嘘につながるのだろうか。また土産を買えなくなることと孫の顔をみる機会が減ることの間にどんな因果関係を結んだらいいのだろうか。

229 生物の絶滅とビタミンD メモ 時期不明

 生物の歴史における、隕石の衝突が与えた影響についてこんな話を聞いた記憶がある。衝突で生じた大量の水蒸気やちりの増加が太陽光線を遮り、生物は体外から受ける紫外線の不足が生じた。その不足はビタミンDの欠乏となって表れた。
 夜行型の生物は体内でのビタミンDの合成ができたので、種として繁栄していった。
 昼行型の生物は外部からの紫外線依存体質であったため絶滅への道をたどることになった。


                                  雑記帳始末記(18)へ続きます


                                     2013.3.29     佐々木利夫


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雑記帳始末記(17)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。