230 日本の世帯構成 新聞切り抜き 2011.7.4

 「・・・半世紀の昔、NHK『きょうの料理』の最初のおかずは材料が6人分だった。ほどなく4人になり、昨今は2人前が多い。・・・昨秋の国勢調査抽出速報によると、家族構成では一人暮らしが31%に達し、とうとう首位になった。典型だった『夫婦と子ども』は29%、『夫婦のみ』は20%だ・・・」(朝日新聞、天声人語)。

231 遠い出来事 新聞切り抜き 2011.7.28

 「福島第一原発の事故が明らかになった直後、東電は『想定外』という言葉を使ったことで、強く批判された。でもこの事態が想定外であったことは、この国に暮らすほとんどの人にとっても同様だったはずだ。なぜ想定しなかったのだと政府や東電の管理責任者を責めるのなら(責めるべきだとは思う)、ずっと事態を見過ごしてきた自分をも責めなくてはならない。・・・地震が発生した3月11日の夜、帰宅難民となった僕は居酒屋にいた。夜中にテレビを見て呆然とした。僕が居酒屋でビールを飲みながら友人たちとゲラゲラ笑っていたそのとき、多くの人たちが津波に呑まれながら死んでいった。距離にすればたった数百`だ。ても気づかなかった。気づこうとすらしなかった。・・・」(朝日新聞、あすを探る、映画監督 森 達也)。

232 マイナンバー制度のうさんくささ  メモ 時期不明

 2015年1月から全国民一人ひとりに番号(マイナンバー)を割り振ることが検討されている。政府はばら色の効果を掲げているが、どこかうさんくささが拭えない。
 @ 年金手帳、健康保険証、介護保険証などの一体的運用ができる。
 A 高額医療の療養限度額の手続きが不用になる。
 B 住民票の移動や結婚などによる転姓などの管理が継続できる。
 C 確定申告などの各種の証明書類の添付省略。
 D 低所得を偽装した生活保護費の不正受給の防止

233 知ったかぶり・いいふりこき メモ 時期不明

 恥ずかしいことだと思っていたけれど、そんな人生も悪いもんじゃなかったと思えるようになってくる。

234 オンリーワンの持つぬるま湯 メモ 時期不明

 何だか世の中、オンリーワンが安売りされている。私たちは結果はともあれナンバーワンを目指すことの中に、生きることの価値を見出してきた。それが「オンリーワン」と言われるようになってきたとたんに、その価値がしぼんだ風船みたいになってしまった。

235 豪雨からの避難 メモ 時期不明

 新潟豪雨での被害を反省して識者がこんな風にテレビで言っていた。「その場にとどまることも必要です」。避難所へ向かう途中で濁流に流されて死んだ人もいた状況への反省なのだろう。言ってることの意味は分かるし正しいかも知れないけれど、でもそれは結果論でしかない。我が身はたった一つである。「我が家に止まるか、避難所へ向かうか」、その決断をするのは一体誰だというのだろう。

236 他人の責任 新聞切り抜き 2011.6.29

 「4月の本欄で〈『文学者の原発責任』だって発生しよう〉と書いた斉藤美奈子の文章を、『文学界』7月号のコラム(鳥の眼・虫の眼)で、相馬悠々を名乗る正体不明の執筆者が〈ナイーブな発言である〉と批判している。責められるべきは国と東電で国民は被害者だ、とする意見は〈戦争責任を軍国主義者に押し付け、国民はだまされた被害者という戦後の図式と酷似している〉という。原発が危険だという情報は溢れていたのに〈多くの人々は楽観視し、スルーしたのだ。そのことを自らの問題として考えないのは誠実ではない〉と。なるほど、それは誠実ではないね。いかにナイーブな斉藤でも自分に責任がないとは思っていないよ。ただ『自らの責任を問うことこそ誠実』とする相馬悠々の意見は『敗戦の責任は国民に等しくある』とした敗戦直後の『一億層懺悔』を思い出させる。それも〈いつか来た道〉じゃないのか。『責任』は自分にも問うけど外にも問わなければならない。そこを曖昧にしたら私たちはまた同じ轍を踏むことになる。だからみんな、それぞれの場所で格闘しているんでしょうが・・・」(朝日新聞、文芸時評、文芸評論家 斉藤美奈子)。

237 自己責任が重たい メモ 2012.4.17

 お節介と自己責任とは矛盾する考えである。でも私たちのお節介は、相手の自己責任を否定するものではなく、むしろ、自立への道を助長する手段であったような気がする。

238 建設国債 メモ 時期不明

 経済評論家の談である。建設国債も国の借金だが、将来その施設を使う人が『これはいい』、『これはすばらしい』と思ってくれるなら、将来世代の負担にはならないのではないか。そのことの理屈が分らないではない。だが私たちが国道を車で走り、家庭で水道の蛇口をひねり、スイッチ一つでテレビを見るときに、先人の行った公共投資や山奥のダム建設や原発による発電の恩恵を感じ、よくぞ老後の私たちのために公共投資をしてくれた、と感謝しているだろうか。

239 縁結びの神様 メモ 2012.12.31

 箱根に九頭竜神社は縁結びの神様としてご利益が高いのだそうである。この神社には船でしか行けないらしいのだが、何か特別の日だったらしいのだが1000人もの若い女性が恋愛成就の祈願のために訪れた映像をテレビで放映していた。縁結びの神様は日本中にあるからそれほど珍しいことではないのかも知れないけれど、雑誌にとりあげられるなどした人気の神様には、どこか神頼みへの胡散臭さを感じてしまう。

240 三途の川 メモ 時期不明

 私はこの川の位置を少し誤解していたようだ。三途の川は地獄を流れている川のように思っていたいたからである。本当は「地獄へ向かう三本の流れ」であり、それぞれ人間、動物、餓鬼の運命に向かうのだそうである。そしてこの川を首尾よく渡りきることができた者は、なんと極楽浄土の地へ入ることができると知った。

241 病院牧師 メモ 時期不明

 どんな本だったが忘れてしまったが、キリスト教には「病院牧師」というのがが存在しているらしい。「死まで生きるプログラム」のためのカウンセリングだそうである。苦しみや死という問題にどう対処していくかを、患者とともに一緒に考えるのだとも聞いた。日本人の宗教観とは異なると言ってしまえばそれまでではあるけれど、そんな宗教を持たない日本人がどこか淋しく、キリスト教が羨ましく感じられてならない。


                                  雑記帳始末記(19)へ続きます


                                     2013.4.3    佐々木利夫


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雑記帳始末記(18)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。