276 ユダの真実 新聞切り抜き 2006.4.8

 「・・・米国の科学教育団体・・・は1700年前の幻の『ユダの福音書』の写本を解読したと発表した。・・・イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、『お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる』と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという」(読売新聞、1700年前の「福音書」写本解読)。

277 故障の伝達 メモ 2006.4.11

 「コンピュータシステムの故障で、お伝えすることができません。各航空会社へ直接お尋ねください」。テレビのニュースキャスターが平然と伝えている。ニュースは伝えるものであり、知りたいと思う人が多いから毎日毎日放送しているのだろう。顧客が航空会社に尋ねて内容が分るのならば、どうして番組が調べて報道しないのだろうか。故障によって内容や対策などの情報を得るのが不可能なのだとするなら分る。そうでないのなら、あまりにも平然と「会社に聞け」なんぞは、マスコミの傲慢である。

278 尊厳死、延命措置 新聞切り抜き、メモ 2006.4.8

 「・・・みずから死を選ぶという点では尊厳死と安楽死は似たところもある。これを私は、こう区別している。安楽死のうち、患者本人の意思表示で死にいたる積極的な行為を、いわゆる安楽死と呼び、意識を失い回復不能の状態で延命操作をやめてもらう消極的安楽死を尊厳死と呼ぶと考えている」(朝日新聞 加賀乙彦 作家、精神科医)。
 区別するのはいい。だが、「意識を失った状態での延命操作の中止による死」に「尊厳」という接頭語をつけることにはどうも納得がいかない。尊厳とは誰を意識した呼称なのだろうか。死に赴く本人の気持ちをどうしたら理解できるのだろうか、それともその死を周りで見ている「死に赴かない者」が勝手に死者の意思を忖度した単なるフィクションなのだろうか。

279 太陽光の室内誘導 メモ 時期不明

 太陽光を部屋の中に誘導する建築手法を紹介するニュースを見た。屋根に取り付けた装置から直径30センチほどの内側に鏡みたいなものを張りつけたパイプを各部屋に配管し、照明として活用するのだそうである。これで昼間は太陽光、夜は電気による照明、一石二鳥の優れもので、一部屋で電気代が(一ヶ月か一年か忘れたが)1万円ほど節約できるのだそうである。理屈は分った。でも夏、冬、雨、雪、本当にそんなに効果があるのだろうか。

280 オリジナルという名の臭い メモ 時期不明

 生ハムを手作りしている料理家と称する女性のドキュメントがあった。アナウンサーが「誰から作り方を教えてもらったのですか」と彼女に尋ねる。彼女は胸を張って「自分の努力で作り出したのです」と答える。独創であることを強調したいのだろうが、既存の市販されている生ハムの存在そのものが、味付けや加工方法や製法などを暗黙のうちに教えてくれている。彼女の言う自分の努力とは、ささやかなスパイス程度のものでしかないのではないか・・・と、へそ曲がりな私は考えてしまう。

281 見えなくなるということ メモ 時期不明

 ハンセン氏病に感染した女性が、46歳で失明したときの思いである。「光をなくすということは全部なくすということなんです」。

282 納得すること メモ 2006.7.28

 人は何でも「そんな風に思ってしまう」ことで、物事を理解したつもりになってしまうのかも知れない。今日の教育テレビでの映像である。韓国女性が「私がアメリカに行ってアメリカ的に考えても、そのことを韓国の人は理解してくれないの」と話していた。彼女は若い女性だったが、著名人らしい。4〜5人での会話だった。みんなが「そうだ、そうだ」と同調するように頷いていた。私はそんな人たちを批判しているのではない。私自身がそうだからである。私の理解は、実は本当の理解ではないのかも知れない、いつもそうした疑念が湧いてくる。

283 マスコミ メモ 時期不明

 マスコミは本質的にいつも一方通行である。どんなに読者や国民の方を向いていますと宣言したところで・・・。

284 死 メモ 時期不明

 「人は死ぬ」、そんなのは当たり前のことである。だが私たちの発想はそこで途絶える。「死んだあと人はどうなるのか・・・」。人はそこからもう一度生きることの意味を問い始める。

285 リズムと人生 メモ 2006.7.18

 人はどこか身体の中に言葉のリズムを持っているのかも知れない。そのリズムを確かめたくって、人は時に饒舌になるのだろうか。呪文とか言霊など、人は言葉で人生を支配しようとする。

286 私の越路吹雪 メモ 2006.5.29

 「歌は世につれ、世は歌につれ」なんて誰が言い出したんだろう。東京での研修時に、越路吹雪の実演を日生劇場で見たことがある。ネバーオブサンディの舞台だったと思う。舞台の最後に彼女はテーマ曲に載せて「さようなら、ありがとう」を何度も繰り返していた。なんだか涙が出て仕方がなかった。

287 大混雑と孤独 メモ 2006.3.10

 札幌地下鉄の大通り駅で乗り換える。待つ人、降りる人、そして乗車する人・・・。車両一両には出入り口が三つある。私はその向かい側のホームで別の電車を待っている。大通り駅は三路線が交差し、都心でもあることから乗降客も一番多いだろう。その大混雑の様相を眺めていて、その中に私の知った顔が一つもないことに気づいた。溢れかえる人ごみの中に私の知った顔がない、そのことに改めて大衆というかたまりと一人の孤独とを重ねてみた。

288 かけがえのない自然 メモ 時期不明

 「○○地区・・・、ここにはかけがえのない自然がある」。自然をテーマとするドキュメント番組における定番のセリフである。ところで「かけがえのある自然」というのが果たしてあるのだろうか。自然はすべて「かけがえのない」ものなのだろうか。そうだとするなら、ことさらに「かけがえのない」なんて接頭語は邪魔である。こうした安易な使い方はやがて、「かけがえのない命」という表現にまで膨らんでいく。


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                                     2013.4.12     佐々木利夫


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雑記帳始末記(22)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。