289 トイレットペーパー メモ 2005.10.6

 「買っても買ってもすぐなくなるんだよね」とアナウンサーが言う。「この装置にトイレットへーパーをセットすると、スイッチ一つで長さと重ねる枚数を設定どおりに垂れ下がっくる」のだそうである。4人家族で月に60ロールが平均で、これにより節約できるという自賛である。機械文明の発達は、どこまで人を横着にしてしまうのだろうか。そして人は本当にそこまで頼ってしまうのだろうか。

290 待つ メモ 2005.5.13

 今出来ることをしつつ、何かが起こるのを待つ

291 フィンランディア メモ 時期不明

 シベリウスの名曲であり、フィンランド第二の国歌とも呼ばれている。1899年11月、ロシアの圧政下にあったフィンランドは、この曲がなければ独立国として存在し得なかっただろうと言われるほどにも当時の国内を揺さぶったと言われている。ロシア皇帝からの何度にもわたる演奏禁止を受けたと言われるこの曲は、まさに「祖国」そのもののイメージを私に与えてくれる。それは曲そのものなのか、そうした曲にまつわる歴史としての知識がそうさせるのか必ずしも分らないけれど、時折目頭が熱くなるこの曲に励まされる自分がいるのも事実である。そしてそんな自分に会いたくて、意識してこの曲を聴くこともある。

292 スポーツジム メモ 時期不明

 金を払ってスポーツジムに通うのはいいけれど、そこへわざわざマイカーで行くと言うのはどこか変なような気がしている。

293 生きること メモ 時期不明

 生きることっていうのは、生き延びることと同じ。

294 「いじめ」という言葉 メモ 時期不明

 「いじめ」という言葉そのものがどこか変なのではないだろうか。この言葉を使うことで、本来犯罪であるべき事実が、場合によっては「いじめられる方も悪い」みたいな方向に変形されてしまうからである。「いじめ」という語には、その行為が傷害や暴行であり、脅迫や名誉毀損という刑事犯罪であるにもかかわらず、そこから目をそらせてしまう効果を持っている。「街を歩いていて殴られた」とき、たとえそれがたった1回のことであり、二度と繰り返されないことであったとしても、それは犯罪として加害者は罰せられるだろう。そんな場所を歩いていたお前が悪い、殴られるような顔つきをしているからだなんて、被害者が責められることなどないだろうからである。

295 少ない雪が土壌の凍上を生んだ 本からのメモ 時期不明

 冬がやってきた。すきまだらけの掘っ立て小屋に吹雪は猛烈に吹き入った。戸口に古むしろをつるし、頬かぶりしながら彼は冷たいトウキビ飯をたべた。夜になると寒風が肌をさし、夜明けまでに寝ているせんべい蒲団の上に吹き溜まりができた。蒲団のまわりはまっ白に凍りついて、バリバリと音がする。外では立木がドンドン音をたてて割れた。なべや鉄びんの釣り手をうっかり素手でつかむと、ぴたっと手がはりついてしまう(日本残酷物語2、売られた土地 P361)。

296 おむすびころりん メモ 時期不明

 おむすびころりん→地蔵が食べる→抗議→礼として情報提供(夜中に鬼が来るが、にわとりの鳴き声をすれば退散する)→鬼が集まって金を分け始める→にわとりの鳴き声を真似る→鬼があわてて逃げ出す→置き忘れていった金→おじいさんはたちまち大金持ちになったとさ→この真似をした欲張り爺さんは鬼に見つかって殺される。
 「正直で心優しく勤勉で、そして信心深くあれ」が昔話の基本的なメッセージであり、より基本的には「欲張らない」であったはずである。この大金持ちになったおじいさんの結末は、どこか気になる。正直爺さんの心意気は「正直であること」で、そのことだけで満足していたはずである。それとも、正直爺さんといえどもやっぱり「お金は欲しい」のだろうか。

297 命の重さ メモ 2005.2.3

 「命が一番重い」は理屈ではなく事実だみたいな考えが、議論以前のテーマとして分らないではない。でもそれを死刑につながる犯罪として我が身に感じた場合、どうしても理解しにくくなる。自分の命、家族の命、友人の命、仲間の命・・・、そして遠く私と無関係な人の命・・・、命にもその距離による重さの違いがある。違いがあると思うこと自体を批判されてしまえばそれまでだけれど、それでも「違いの意識」は私の中に根強く残っている。

298 生年月日確認 メモ 2005.2.22

 78歳の女性が通帳を盗まれ1450万円を引き出された。銀行は引出しの際に本人確認を求め、「昭和1年6月1日」と記載された健康保険証を呈示されたので責任はないと主張した。
 「高齢の女性が引き出したとは言え、昭和が始まったのは12月25日であり、昭和1年がほとんどないという程度の事実は認識しておくべきである。銀行には本人確認の不備がある」として賠償を命じた。2005.2.21の東京地裁の判決である。・・・ところで、平成元年は何月何日から始まったんだっけ・・・。

299 結婚 メモ 時期不明

 望まないというか、「結婚しない人生もあり」と考える女性が増えてきたという話を聞いた。それはいい。ただ結婚は(結婚だけに限るわけではないが)生まれも育ちも異なる二つの人格がぶつかり合うのだから、それなりきしみというか摩擦が発生することは止むを得ない。だからそれが嫌という気持ちの分らないでもないけれど、そうした我慢を通じて成長し人格が練れていくということも大切なのではないだろうか。どうしても結婚しなければならないとは思わないけれど、結婚が新しい成長というか、互いを高める場になることも多いと思うのである。

300 いただきます メモ 2005.12.21

 「いただきます」は「食べる」「もらう」ことの謙譲語である。だから自分を低い位置に置き、相対的に相手を高める表現に使う言葉である。でも今日のテレビで、福祉にたずさわっている人が、老人が食事をおいしそうに食べているのを見て、「あら、おいしくいただいているのね」と話していた。

301 やせていく唄 メモ 2005.12.21

 「昔はよかった」論につながる話かも知れないけれど、飲み会から唄が消えた。もちろんカラオケは相変わらず盛況だから変化したというべきなのかも知れないけれど、少なくとも車座になって「小皿叩いてチャンチキおけさ」の風習は絶滅した。多少下ネタがかった唄が多かったような気もするが、それぞれが酔いにまかせての自分の持ち唄なり替え歌を持っていた。それがいつの間にかカラオケになり、しかも画面に出てくる文字を忠実になぞり画面が終わると唄も終わりになる。水曜日夕方のNHKのラジオ番組は、民謡歌手からその人のオリジナルが消えていくことを「唄がやせていく」と表現していた。


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                                     2013.4.16     佐々木利夫


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雑記帳始末記(23)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。