314 年寄りと若い人 メモ 時期不明

 高齢者の避難訓練を見た。火災報知機を使うのだがヨタヨタしていてなかなか押せない。若い女性に手をとられてやっと押し、そのまま手を引かれてヨタヨタと歩いて避難していく。この映像を見て私は思ったのである。この若い女性は「無報酬なのだろうか」と。無報酬なら分る。若い人が、例えば多くの人をトータルしてみれば、月に何日かの休みがあり、その休みのいくつかを順繰りに老人のための世話をするというのなら分る。でも私にはそうは思えない。この若い人は、仕事として(もちろんいやいやではなく真剣に真面目に)やっているように思えた。ならばその給料はだれが支払うのだろうか。しかも今後の日本は少子高齢化である。極端に言うなら、老人の数よりも若い人が少ないのである。そして同時に国が経済成長へと向かうことは、理屈はともあれ世界の常識で、そのためには若い労働力が今後ますます必要とされるようになるだろう。人はいつか老いていく。国も社会も、ヨタヨタに手取り足取りで介助してくれることなど、不可能になるのではないだろうか。

315 報われない努力 メモ 2005.7.10

 報われない努力も多いとは思うし、むしろ多くの努力は報われないのが人生の常なのかも知れない。ただ、そうは言っても、たった一つだけ本当のことがある。「願わない望みの叶うことはない」ということである。報われることの意味は様々だろうけれど、少なくとも努力は努力の分だけその人を力づけてくれる。

316 負けることの心地よさ メモ 時期不明

 負けること、挫折すること、裏切られること・・・、そんなことを一つも知らずに生きてきた人がいるとしたら、それはとてつもなく幸せで、同時にとてつもなく不幸だと思った。どこかに「口惜しさ」がないと、人はどんどん平凡になっていく。別に平凡が悪いとは思わないし、平凡が人生なんだと思うけれど、それでもたった一つ言えることがある。「人も人生も平均ではない」。

317 曽野綾子語録 書籍からのメモ 2004.10.14

 ○「他人の不幸によって自分の幸福を知る、などという行為は、本当に情けないものだと思うが、私などはしばしば自分の意識の中にある冷淡さによって、自分に与えられている幸運を認識するのである」(曽野綾子 人はなぜ戦いに行くのか P126)
 ○「サダム・フセインのイラクが、核を装備するのはケシカランと言いながら、アメリカ自身は核装備をしているのである。自分は持っても構わないが、人は持ってはいけないという理論は、どう見てもむちゃくちゃなのである」(同上書 P107)
 ○「貧困というものが、現代の日本人の暮らしとはほとんど関係がなくなったところに、さまざまな問題が発生している。貧困の定義を、私はあまり複雑に考えず、簡単に言ってしまいたい。貧困とは、今夜食べるもののない状態を言うのだ。だからこれに合うような条件の人は日本にはほとんど皆無だから、貧困は今や日本人に実感されることがなくなってしまった。・・・もらったものは、蓄えることも調理もせずにすぐ口へ持っていく状態・・・それほど空腹なの・・・と言うのだろう。・・・自分や子供の明日も考えられない人が、地球の未来など口にするのも不自然だ」(同上書 P96)
 ○「『ああよかった、人のことで。うちにこんな子が生まれなくてほんとによかった!』と思うなら、それは人間失格になる」(同上書 P32)
 ○「『子供は純真だ』とか『無垢な子供心』などという言葉を聞く度に、私はずっと以前から『そうかなあ』と違和感を感じてきた。・・・子供は純粋でも純真でもない。彼らは嘘もつけるほどとに成熟した苦労人なのである」「インドのハンセン氏病患者の真似をして金銭をねだる子供の姿は、賢い、親思いの、勤勉な子供たちだ」(同上書 P14)

318 許す、忘れる メモ 時期不明

 人の記憶がどのように形成され、時に忘却へとつながっていくのか、私は知らない。だから「忘れる」ことを基本とした人の様々な思いは、どこか胡散臭く感じてしまう。「許すとは忘れることである」

319 散るもみじ メモ 2004.12.13

 「うらを見せ 表を見せて 散るもみじ」(良寛)。振り返って、自分の裏をどこまで他人に見せることができるかを問われるならば、私はとても良寛にはなれそうにない。

320 捨てられた女 メモ 2004.12.29

 別れた女だけが捨てられたのではない。惚れて結婚したとしても、男が事故で、病気で、この世にいなくなったら、残された女はやっぱり捨てられた女である。捨てる女、捨てられる女、・・・女の姿は様々だろうけれど、ひとりでいる女は、どうしても捨てられる女である。

321 なりたくない職業 メモ 時期不明

 歌番組の中での冷やかしの言葉の中に、「なりたくない職業」のトップにサラリーマンがあった。イメージとしてそのことの分らないではない。でも極端に言うなら世の中は全部サラリーマンなのである。サラリーマンになりたくないということは、生活やめることと同じなのである。例えばなりたい職業として、詩人や芸術家やタレントなどなどを考えているのだろうし、そうした職業で生活している人もいることだろう。だがそうした職業はまさに「レア」である。タレントでもアイドルでもいい、「そういう生活が楽しい」ことは分るが、それを全員が望むのは無理なのである。無理なことが当たり前なのである。レアな職業につくことのできる人はいるけれど、それは無数ともいえるまさに「なりたくない職業」のサラリーマンが支えてくれているからなのである。

322 焼酎自販機居酒屋 メモ 時期不明

 一杯300円だという。焼酎での経験はないけれど、日本酒の自販機居酒屋を利用したことはかつて東京での研修生活のときに経験している。コインを入れて希望の銘柄のボタンを押すと、グラス一杯の酒がトコトコ落ちてくる。味に音痴の私なので、それが指定した銘柄の酒なのかどうか必ずしも確認できないのだが、まあそこは信用することにしよう。もちろん希望するなら珍味の類のつまみも自販機で買えるし、場合によってはその場には「生きている人間」もいて、冷奴やピーナツなどのつまみも売っている。なんとなくそうした違和感が面白くて、2〜3度通った記憶がある。周りはネクタイを締めたサラリーマン風の大人が大半で、それなり混雑している。立ち飲みもいいけれど椅子もある。ただしその椅子は壁を向いているので腰をかけると目の前はいきなり壁である。一人で飲むのだから、隣は知らない人だ。私もひとりだった。グラスの酒はチビチビ飲もうが、ぐいぐい飲もうが勝手である。そんな人だけが集まる自販機居酒屋は、混雑しているのに静かである。誰も彼もが沈黙の中で、黙ったままグラスを口に運んでいる。

323 分りやすい話 メモ 2005.2.21

 分りやすい話には嘘がある、と思うときがある。バーチャルが悪で、現実社会が善なのだとの割り切りが人の心に潜んでいる。弱音や愚痴の言える社会というのは、必要だし当たり前じゃないかと思うのだが。

324 即戦力と学校の存在理由 メモ 時期不明

 卒業時期が近づいてきて(と言うよりは来年の卒業シーズンに向けてが本音なのだろうが)、就職活動に向けた学生自身の活動や学校の支援などが活発になってきている。企業も学校も本人も就職に向けてまっしぐらなのは分るけれど、どこか変だ。いつの間に学校は就職活動の場になり、しかも学校がそれを支援するようになってしまったのだろう。現実論として分らないというのではない。それをしなければ学生の就職率が下がり学校の評価につながること、そして企業も採用と同時に学生を戦力として使いたいからだろう。学校は本来抽象的な学問の場、学ぶ場ではなかったのか。極端に言えば、無駄を学ぶ場ではなかったのか。日本中が崩壊していっている。人はすべてお金で動くようになってきている。バブル弾けの後遺症に恐怖感すら抱いている。経済成長しか人間発展の手段はないと思い、一番大切な言葉とか礼儀とか善意とか友情とか・・・、何でもいい日本的な全部を投げ捨てて人はみな経済に走っている。

325 差別語 メモ 2005.1.18

 障害者の「害」が差別語だという(読売新聞)。痴呆症を認知症にしたように変えるべきだという。英語では障害者をチャレンジド(神から『試練』という課題を与えられた人)と言っているから、日本でも同じような意味を持つ言葉がないだろうかとの嘆きである。でもそもそも名称をつけること自体が区別であろう。「はと」と「からす」で、からすがいつも悪者の役を与えられているからといって、それを別の名前で呼んだところで解決するものではないだろう。それは「老い」を「熟」に代えたにしろ・・・。

326 遊びは文化 メモ 時期不明

 日本では娯楽は遊びである。もっと極端に言うなら、「娯楽」はしてはいけないことであり、「働く」こととまったく正反対の悪である。遊ぶのは「たるんでいる証拠」なのである。


                                  雑記帳始末記(26)へ続きます


                                     2013.4.20    佐々木利夫


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雑記帳始末記(25)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。