339 絵本の館、五万冊  メモ 2004.6.16

 剣淵町にある絵本の館が、五万冊の絵本を集めてリニューアルオープンしたそうである。一人15冊、3週間借りられるのだそうだ。図書館から借りる目的は沢山読むことにあるのだろうか。蔵書数を競うような図書館の規模、大人が子供のために環境を整える、遊ぶのも楽しむのも大人がコントロールする・・・、何か変?。

340 下着をつける メモ 2003.5.17

 男の下着は「着る」ものだけれど、女の下着は「つける」という表現が何となくしっくりくる。「着る」には寒さや汚れを防ぐという実用的なイメージがつきまとうけれど、「つける」には周到さというか覚悟、そんなに勇ましい思いでなくても、下着の肌触りや色を吸収して気分だけでなく体つきや性格のようなものまで変えてしまうという魔力が含まれているような気がする。もちろんそれは外観的に分るものではないし、むしろ本人の自覚の問題だけなのかも知れない。男だってそんな気持ちになることがないとは言えない。別に女装趣味を言いたいのではないけれど・・・。
 私の例で言うなら、税務署に勤務していた頃、納税者の申告の適否の調査にいく時には、初日には意識して下着を一式取り替えたものだ。そうすることでそれが一種の儀式となって、「脱税や申告漏れの発見」という臨戦態勢に入る自覚を自分に促すことができたからである。

341 三角山眺望 メモ 2003.5.26

 考えてみれば、自宅でも事務所でも遠くを眺めるなんてことは稀である。「日常の生活」そのものが本を読んだり新聞やテレビに張り付いていて、せいぜいが道端の草花を眺めるか、女房や友人と話をするのが関の山だからである。だが、たかが311メートルの小山だけど、その頂上に立つと僅かではあるが日常とは違った感触を受ける。結局は山頂から遠くを眺める以外にやることはない。もちろん非常に稀ではあるけれど、頂上で本を開いている人もいないではないし、私も真似して小冊子をリュックに詰めていったこともないではない。ただ登ってくる人は私も含めて登ることを目的としているから、そんな場所で本を読むなどは必然性に欠ける所作ではある。本を読みたいなら部屋の中で済むはずだし、せいぜいが昼食の弁当を片隅に腰かければいいことだからである。それでも頂上に腰かけながら札幌市内を下界に見て、必然性のない読書に数十分を費やすという無駄な仕草も、非日常としては悪くない。

342 スピード メモ 2004.5.2

 それはごく稀なことだけれど、例えばワイシャツのボタンを自分でつけることがある。布を通して針をボタン穴へ通すという作業を何度も繰り返す。そうした行動はとてもゆっくりである。そうした作業は女房やミシンなどとは比べるべくもない。それはもちろんボタン付けという私の技術が稚拙だからなのではあるけれど、どうにもいらいらしてしまう。それでも糸の太さを選び、針穴に糸を通し、ボタン穴をなんどかくぐりぬけ、シャツとボタンの間にゆとりの隙間を空けるために何度か空糸を回し、そして最後にシャツに半分まで針を刺したまま糸を巻きつけて引っこ抜き結び玉を作るという作業は、どこで覚えたのか曲りなりに首尾一貫している。一連の作業を一貫して自力だけで完成させたという、小さいながら達成感がそこからは伝わってくる。だからというわけではないのだが、私の事務所の机にはどうしたわけか小さな袋に入った裁縫セットが二組もあるのである。

343 北欧の神話 メモ 2004.5.10

 北欧の神話では、まず氷の中から神と巨人が生まれる。そしてその両者の間に激しい争いが起こるのである。神はどこまでもよいもの、正しいものの味方とされ、巨人は川の毒気を受けて性質が邪悪で乱暴で悪いことや正しくないものの味方だとされているらしい(山室 静、北欧の神話P12)。戦いはここでも世界の始まりから、つまり人間が神によって作られるずっとずっと以前から、意思、思い、観念、命という存在そのものの中に内在されている。形こそ正と悪の対立であるが、どちらが正でどちらが悪なのか、そんこと誰にも分りはしない。戦いはどちらにとっても常に正義なのだから・・・。

344 子供の娯楽のレベルアップ メモ 2004.5.11

 子供の遊び方が、例えば地面に線を引いて飛び跳ねるだけの石蹴りのようなものから、絵本やゲーム機などの金のかかるものへと変化することをレベルアップと言っている。

345 幽霊でも見たような顔 メモ 時期不明

 これだけ機械文明の発達した時代なのに、人はまだ幽霊を信じ、幽霊を見たいと心のどこかで思っている。人にはなぜ幽霊が見えるのだろうか。誰が幽霊を見させているのだろうか。
 幽霊の意味、幽霊の存在理由、幽霊とは何なのか
 今でもいるのだろうか。どうして出るのだろうか。どうしたら消せるのか。

346 涙の理由 メモ 2004.5.28

 「理由(わけ)もなく涙がこぼれたの・・・」こんな歌を歌っている歌手がいた。「嘘だろう」と本気で思ってしまった。言葉には気持ちがこもっているから心が伝わるんだと思い、浮ついた言葉は滑ってしまうだけだと思う。人は「理由(わけ)がある」から泣くんだと、この歌を聴きながらしみじみ感じた。泣いている女の女の気持ちが酔った頭の片隅でほんの少しだけど実感できた。人はやっぱり悲しいから泣くのである。悲しいから涙が出るのか、涙が出るから悲しいのかよく分からないけれど、でも悲しいから泣くのである。

347 肥後三郎 メモ 2004.5.28

 肥後三郎とは肥後地方(九州)で作られている弓師の作る弓の名称である。すべての雑念を捨てて、真夜中に竹を張り合わせて一つの弓を作る、それを弓打ちといい、まさに名人芸である。でも私は思うのである。その弓打ちを変だというのではない。ただ世の中には大勢いるだろうの生涯賭けた名人芸でない仕事は一体どう考えればいいのだろうか。例えば昼間の飲食店の軒下を回って空のビール瓶を集めている老人には、この弓打ち名人のような「弓にこもる命」みたいなとてつもない哲学は存在しないのだろうか。家族が食べていくために、ひたすら下ばっかり向いてくず拾いをなりわいとして人生の全部を費やした男には、何の勲章もないのだろうか。勲章をもらうことを批判しているわけではない。当たり前が評価されないそのことに、どこか不自然さを感じるのである。

348 本当の家族 メモ 2004.5.28

 本当の親子とか兄弟とか親戚とか・・・、もっと広げて言うなら本当の友達だとか本当の仲間などという言葉を聞くと、思わず「嘘付け・・・」なんて思ってしまう。

349 塩と砂糖と料理 メモ 2004.5.28

 例えばテレビドラマなどで、塩と砂糖を間違えて味付けをしてしまう料理に一生懸命な女の子が登場する。この続きは概ね「料理を口にした人の不味そうな顔」→「間違いに気づく女の子」→「ワッハッハと笑いあう」こんなパターンである。でもそれは本当に不味いのだろうか。不味いのは分る。だが「一生懸命作った」という真剣さの結果には、もっと別の味がするのではないだろうか。はっきり言うなら、作った人が食べてくれる人のことを一生懸命考えて(それこそ塩と砂糖く見分けがつかなくなるほど一生懸命)作った料理は、どこか不味いのとは別の味がするのではないだろうか。一緒に食べて、ケラケラ笑って、涙流しながら笑って・・・、でもやっぱり美味いのではないだろうか。味は舌で感じるものなのかもしれないが、味わうとは一体何なのだろうか。ひとりひとりの味、舌から外れた味、いやいやそんな難しく考えなくったっていい。もし、人が涙の味を感じることができるなら、共感できる味、理解できる味、一緒にいることの味があるのではないだろうか。味っていうのは、やっぱり分らない。

350 北海道、そんなに急いでどこへ行く メモ 時期不明

 このフレーズは、北海道内で車を運転する人に向けた交通事故防止のキャンペーンの中でのセリフである。ただこの言葉が最近は、いろんなことに「そうだよな」と思う気持ちと重複させられるような気がしている。企業は今ではモバイル通信を使って、リアルタイムに取引なり交渉経過なりを会社へ報告させ、管理者は同じくリアルタイムで支持を与えるシステムを構築している。「コストカットは企業が生残るための必須である」とニュースは伝える。走れ、走れ、走れ!!・・・、これが企業の今の論理である。こんな時代に「のんびり行こうや」とか「まあまあ、そんなにあわてないで・・・」なんぞという言葉を吐いた日には、即日クビになるかも知れない。でもそれは本当に正しいのだろうか。「time is mony」はそんな風に使うのだろうか。「ゆとり」と「さぼり」の違いを十分理解しているとは言えない時代を過ごしてきたこの身にしてみると、せわしさの中に人が取り残されていくような気がしてならない。


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                                     2013.4.25     佐々木利夫


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雑記帳始末記(27)

自作のホームページに雑文を発表してから10年になる。資料として作成したメモや切り抜きなどは発表したつど処分しているが、作品にできなかったものが残ったままになっている。それは作品にするだけの力がなかったことを意味しているのだが、それでも私の感性に訴える何かを含んでいたことだけは事実であろう。このまま朽ちさせてしまうのもどこか忍びないものがあり、処分する前にここへ刻むことにした。