アーロン収容所(1)からの続きです。
 さてここで捕虜を監督するイギリス軍の立場になって考えてみよう。それには、もし仮に立場が逆で、イギリス軍の捕虜を私たち日本人が監督している場合を重ねてみるとすぐに分るだろう。

 捕虜がどんな場合にも素直に監督者の指示に従ってくれるとは思わない。でも日常的に捕虜による盗みやサボタージュや仮病が蔓延し、そのことを捕虜が反省するどころか楽しんでいるような状況があったとき、そうした行為を監督する者はどう感じるだろうか。単に「捕虜なんだから仕方がない」と考えるだろうか。捕虜を監督するのは、監督者に与えられた使命である。そして現実に監督システムを計画するのは、遠く離れた本国の政治家や軍隊統合本部などの指揮命令権者であり兵隊ではない。指揮官は単に「きちんと監督せよ」との命令を出すだけであり、その指令を受けるのは収容所の兵隊である。

 「きちんと監督せよ」の命令は、指図された兵隊に課せられた責務である。にもかかわらず一向にその指図に捕虜たちは従わないのである。従わないばかりではない。「・・・こういうところでは楽しみがある。ほかでもない、ちょっと言いにくいが泥棒である」(P87)。とうそぶくのである。「ちょっと言いにくい」と断ってはいるけれど、捕虜は盗みやサボタージュや仮病を楽しんでいるのである。

 そんな状態の下で監督する兵隊はどう感じるだろうか。盗みをいいことだとは思わないけれど、こうした環境の下での捕虜の行為を理解できないではない。でもだからと言って「・・・これほどうまいパンを食べたことがないような気がする。食事が足りない、英軍に不満もある。だから私たちはしだいに泥棒をはじめるようになった」(P86)行為を正当化することなどできないだろう。私が監督者なら、「捕虜からバカにされている」と感じるだろうと思うのである。

 捕虜収容所には「演芸班がつくられた。・・・マージャンも流行をきわめた。・・・文芸週間新聞もつくられた」(P59)のであり、英軍は「反抗すると帰還を遅らす。怠業行為は帰還時期と関係あるものということに汝らの注意を喚起す。と口頭や文書でいやというほどくりかえした」(P59)のである。それにもかかわらず、捕虜は犯行や怠業を反省するような素振りはない。むしろ演芸のための舞台衣装や装置の調達など、盗みは拡大する一方である。

 そんなときに「捕虜の人権」みたいな考えは、その直接監督する兵隊に対して、果たしてどこまで通じるだろうか。私には英軍の捕虜に対する管理監督の仕方は、少なくとも彼の著書を読む限りとても紳士的であるように感ずる。

 「私たちの食事に供された米はビルマの下等米であった。砕米でひどく臭い米であった。・・・とうとう日本軍司令部に対し英軍へ抗議してくれと申し込んだ。・・・返答は日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである、であった。それもいやがらせの答ではない。英軍の担当者は真面目に不審そうに、そして真剣にこう答えたそうである」(P69)

 私はここにも日本人捕虜の被害者意識を感じる。「お前たちの食っているものと同じものを食わせろ」と要求することが間違いだとは思わない。だがその米が「家畜飼料」であったことに、あまりにも日本人は過剰に反応しすぎているのではないだろうか。家畜用米を食べさせられていることと、捕虜を家畜として扱っていることとは違うと思うのである。そのことに著者は日本人としてのプライドを傷つけられたと思ったかも知れない。そのことを理解しつつもなお私は、英軍の担当者が「真面目に不審そうに真剣に答えた」ことのほうに軍配を上げたいような気がする。

 日本兵が被告となった戦争裁判で、「食事に木の根を食わされた」とする米軍捕虜の主張があったと聞いたことがある。きっと捕虜にしてみれば、木の根という人間の食物ではないものを日本人は無理やり食わせたとの思いがあったのだろう。その木の根が実は牛蒡(ごぼう)だったという誤解は、とうとうその捕虜には伝わらなかったらしいが、この家畜用米の話も「食い物の恨み」というだけでは済ませられないような気がする。

 この著作の内容の多くが、盗みやサボタージュや仮病などの話で占められている。しかもそうしたことを楽しんでいる記述ばかりだといってもいい。実弾入りの自動小銃の前で検査をすり抜けるのは、形の上では確かに命がけかもしれない。だが読んでいて分るけれど、盗みが発覚してそのことで銃殺されたとの記述は一言もないのである。ということは銃殺などまるでなかったことを示しているのではないだろうか。だから著者は「・・・あまり私たちの泥棒がうまいので、イギリス兵は躍起になり、いろいろ検査方法を変えたり、日本軍指揮官に厳重な警告をしたりした。しかし持ち出しはやまない」と看視兵を馬鹿にし、しかも盗んだ品物はビルマ人に販売したりタバコと交換したりするようになるのである。

 そうした行為を楽しんでいることや、時に愉快がっていること、そして自慢していることなどに、私のへそが曲がった原因があるのかも知れない。

 それともう一つ私のへそが曲がった背景には、著者は捕虜として英軍から差別を受けていることを「日本人と英国人」みたいな人種の差として捕らえているように思えたことがあった。もちろん日本人と英国人とでは、その環境も世界観も違うであろうことを否定はしない。彼が書いているように、家畜飼育という肉食を基本とする英国人と米食を主食とする日本人との民族性の違いもあるだろう。でも、監視者と捕虜という立場を離れた観察と推理は、その思いを間違った方向へと誘導してしまうのではないだろうか。

 彼の著作は、あくまでも捕虜としての立場による観察であり、それも特定の看視者から受けた収容所での体験を記したものである。Aというイギリス人がこんなことをした、Bというビルマ人がこんなことを言った、という評価なら分る。だが、Aはこんなことをしたのだからイギリス人はこうだとか、Bはこんなことを言ったのだからビルマ人はこうだ、などと評価するのは変だ。変を通り越して間違いだと思う。

 イギリスの大学を卒業したビルマ人がいたと彼は書く。卒業論文のテーマにシェクスピアを書いたとのことである。だが彼が読みそして卒論のテーマとして選んで読んだシェクスピアは、中学2〜3年生程度向けの絵入りの本だったらしい。しかも卒業生はその本がシェクスピアの本物だと思っていたそうである。著者は「この程度の理解力しかない者に卒業資格を与えたイギリスの大学」を批判したかったのかも知れない。著者はこれに対してこんなふうに一刀両断で切り捨てる。「・・・イギリス人はこの程度にしかピルマ人を評価していないのである。インド人に対してもおなじことである」(P218)。

 私にはこの卒論の内容も、卒業した学生の学力も知らない。だからこの著者が学生を批判することの当否を判断できないし、著者が彼を馬鹿にしたところでちっとも構わない。だからと言って、このことを捉えて、イギリス人はこの程度にしかビルマ人を評価していないだとか、ついでに何の根拠もなくその評価をインド人にまで広げてしまうことにはどうにも納得できないのである。むしろ、無関係に拡大し、誇張しているようにしか思えないのである。

 私はこの本が、人間を人種によって一括してしまう考えにどうにもついていけないのである。しかも、そうした考えが「西欧観の再出発」だとか「日本人論続出の導火線」などと評価されることに、どうにも違和感をおぼえて仕方がないのである。日本人だって著者がこの本を書いた時代、いかに「米を主食としていた」にしても国民そのものがベジタリアンだったわけではない。牧畜の全国的普及はまだだったかも知れないけれど、漁獲は当たり前に行われていたし、狩猟も珍しくはなかった。

 著者が参戦した第二次世界大戦では、日本人はこぞって米英人を「鬼畜」と評価していたし、日本人同士でも士農工商や部落民、村八分、無宿人などの差別を行ってきた。だからと言って「日本人は人間でない」みたいな評価をされることを認めるわけにいかないだろう。

 どこまで正しいかどうかの立証はできないけれど、ナチスによるユダヤ人差別、多くの国に存在し現在でも依然として残滓を残している奴隷制度、ウガンダにおける民族差別による徹底的な殺し合い、今でも続く中近東の宗教や民族差別による紛争などなど、人が他者を一くくりで評価し殺し合いにまで発展させてしまう例は地上の歴史に絶えることはない。だからと言ってこの本の著者がそうした歴史に順応してしまうことを認めていいことの言い訳にはならないだろう、と私は思っているのである。


                                     2014.10.10    佐々木利夫


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アーロン収容所(2)