本や映画などに限らず、時にはテレビゲームのセリフなどでも気に入った言葉や感動するような一言を見つけることがある。そうした言葉は私たちに新しい世界のあることを教えてくれ、時代を超えて私たちに感動や納得を与えてくれる。そして時に、しみじみとした情感や時には人生の啓示さえも与えてくれることがある。だからそれは100年前だから説得力が少ないとか、1000年前だから無価値だということではない。例えば論語や聖書のように、2000年を超えて私たちに語りかけてくれることだってある。
最近「賢者の知恵(バルタザール・マラシアン著、斉藤慎子訳、ディスカバー出版)」を読んだ。著者は生没年1601〜1658の、今から400年近くも前のスペインの伝道師であり哲学者である。この本は240ものいわゆる箴言を集めた一冊である。ただ読んでいて時代が変わると人の思いまで変わっていくのだろうかと、気になる文章もそれなり多かった。そうした中からいくつかを拾ってみた。
No2 「運のいい人を見分ける」 運のいい人と悪い人を見分ける能力を磨こう。ついている人たちのそばにいて、その恩恵にあやかるのだ。一方、ついていない人からは逃げるにかぎる。悪運は無分別な本人の身から出た錆、しかもその災難は伝染するかも知れないのだ。・・・
運のいい人は確かにいるだろう。見分ける努力が必要かも知れない。もう一歩譲って、運のいい人と付き合うことでその恩恵にあやかろうと願う思いも批判はすまい。だが運のないことを、「無分別な本人の身から出た錆」とまで断ずることは間違いなのではないだろうか。ましてや「悪運は伝染する」とまで言い放つのは冷たすぎるような気がする。
No6 「優れた人とつきあう」 人は、誰と一緒にいるかで判断される。・・・敬愛される立派な人と行動をともにしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるのだ。
これもNo2と同じである。トラの威を借るキツネそのままに、余りにも依存度が高すぎるような気がしてならない。
No112 「本質を見抜く」 ・・・相手の確信をきちんと見据え、そま本質を見抜き、完全に理解できるよう自分を磨こう。よく見ることで、人の心の奥深くに隠されたものもすべてわかるようになる。・・・
正論である。一点の非もないくらい正論である。だが著者は果たして、「人の心の奥深く隠されたものすべて」を見抜くことが、人の能力として本当に可能だと思っているのだろうか。
No132 「人らしくふるまい、神のように見抜く」 これが神の法則であり、自明の理である。
著者が生きていた時代、人々にとって、そして伝道師である彼にとって神はどんな存在だったのだろうか。彼はここで、神の能力について語ったのだろうか。「人らしくふるまう」との一言は、神に向けての言葉だったのだろうか。どちらにしても、人は神になることなどできしない。
No146 「信念を貫く」 ・・・真の正義に全身全霊をささげてもいいという人はごくまれだが、そのふりをする人はたくさんいる。政治家は正義を叫ぶかもしれないが、最後には裏切る。何があっても正義を守りとおそう。本当に正直な人は、誠実さを気まぐれに変えたりしないし、背信行為もありえない。・・・
現代にも通じるごく当たり前の社会生活を論じたような気がするから、400年を経ても人の思いはそれほど変わらないのかなとも思う。ただ、「本当に正直な人」の存在をどこまで彼が信じていたのか、ふと気になったのである。
No158 「何でも二倍持つ」 人生に必要なものを、必要な量の二倍持っておこう。そうすれば、安全も倍加する。・・・人生で成功するために必要なものは二倍持っておくことだ。
彼は人の一生にはこんなにも余裕があると信じていたのだろうか。「人生で成功するためには必要なものを二倍持つ・・・」というけれど、そもそも二倍とは「他人と比べての二倍」ということだろう。だとするなら、金も時間も運も能力も健康も他者より二倍持つことが可能ならば、そのことだけで私にはそれを「成功」と呼んでいいように思う。それとも彼の言う成功とは、「もっと、もっと」を望むものだろうか。だったら、「成功」そのものが存在しなくなってしまうのではないだろうか。
No173 「完璧をめざす」 日々人格を高め、仕事を発展させて、持てる才能と能力のすべてが完璧の域に達するよう努めよう。・・・
完璧を目指すのはいい。だが、「すべてが完璧の域に達するように努める」ことは、人に不可能を強いているのと同じことではないだろうか。
No187 「努力する」 人生の目的は、自分の歩むべき道を見つけて、できるかぎり完璧な人間になろうと努力することにある。
ここでも彼は人は「完璧な人間」を目指すべきだという。もちろん、その前提として「できるかぎり」を付しているが、人が「自分の歩むべき道を見つける」ことのいかに至難なことかをどこまで理解しているのだろうか。しかも私にはこの二つの要素を組み合わせると、またまた彼は人に不可能を強いているように思えてならないのである。
No191 「大衆に迎合しない」 巷に評判を得ようとしないこと。物事の本質がわかっている人なら、世間の評判に関係なく評価してくれるものだ。無知な大衆にもてはやされても、それは偽りの成功にすぎない。
本当にそうだろうか。もちろん彼は評価してもらいたい大衆を、「物事の本質がわかっている人なら」と限定はしているけれど、「本質の分る人間」そのものの存在を、果たして彼はどこまで信じていたのだろうか。大衆や巷がどんな場合にも正しいとは思わないけれど、だからといって世の中には多数が決する事例の多いことを私たちは飽きるほど知っている。そしてそれが時に「正義」として通用していることも・・・。果たしてそうした評価を「偽りの成功」と断じてしまっていいものだろうか。
もう少しこの本を読み続けたいと思う。「
賢人の知恵(2)」へ続きます。
2014.6.24 佐々木利夫
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