結局人は一人で生まれて一人で死んでいくのだと、私はそう思ってきた。そして人は他者を理解することなど到底できないのだとも思ってきた。そうした思いは今でも変わらずに、私の中に潜んでいる。それにもかかわらずそのことを改めて目の前に突きつけられると、人の心の闇の外延が私の心にそれとなく触れてくるように感じられ、理解できないという当たり前のことが少し苦しくなってくる。

 「卒業式まで死にません 女子高生南条あやの日記」(南条あや、新潮文庫)を最近読んで、そうした思いを強くしたのである。この本は1980年に生まれ、1999年に18歳で自らの命を絶った一人の少女が記したものである。両親の離婚、小学校でのいじめ、不登校、リストカット、向精神薬・睡眠薬などの薬漬け・・・、こう書いていくと彼女の荒れた生活は苦もなく理解でき、自殺も当たり前のように感じてしまうけれど、書かれた文章からはそれとは少し違う顔が見えてくる。

 彼女の日記には色々な切り口があるだろうと思う。それについてはこの本に付されている心理学者香山りかによる長文の解説を読んでもらうことにして、ここでは著者の語る若者特有の擬態語・擬音語を拾い集めて、彼女を知るきっかけにしてみたいと思う。彼女の語り口がどこか私の心をつかまえて離さない。こんなことで彼女に近づくことなど不可能だろうと知りつつも、こうした言葉のいくつかを拾い集めながら少しでもいいから近づいていってみたいと思う。

 「ぐぐっと腕に力を込めるとまたまたびゅわっと血が噴き出します」(P23)、「タラタラトロトロ歩く他のクラスの人のペースにさえついて行けない」(P26)、「とてもギクリでした」(P27)。

 これは日記ではなく、「いつでもどこでもリストカッター」と題する小文(同書に含まれている)から拾ったものである。擬態語・擬音語はその悲惨さにもかかわらずとても陽気に使われている。そしてそれは日記でも同様である。それだけ彼女の心の闇が深いということなのだろうか。

 「班員とキーキーギャーギャー喜んでいたらもう鬱はどこへやら」(P40)、「ホリゾンが余りまくっているのでお友達に・・・プレゼント・・・ヒヒィッ」(P49)、「ぎゃひい。ですね」(P49)、「スーピョろろと眠っていた」(P59)、「父のせいでそのプランは破滅。バキューん」(P65)、「頭が崩壊しそうになりました。ヒュルリ〜ヒュルリ〜ララァ・・・」(P66)、「文章もヘラリフラリしていますね〜」(P74)、「ヘロリラしてますから」(P75)、「ダーラーダーラーと時間が過ぎて行きます」(P76)、「ダバダバだらだら」(P81)・・・

 必ずしも自殺の企図は感じられず、彼女の文章はとても読みやすく続いていく。本当に読みやすく上手い文章を彼女は苦もなくつむぎだしていく。擬態語・擬音語の使い方もとても効果的である。しかし、相変わらずリストカットは続いているようだし、治療のために服用しているのかそれとも単に薬の名前や種類の誇示したいからなのか、相変わらず彼女の日常に心の闇は続いているように感じる。

 「情けないです。シパっシパっと切っていたので血管に達することはありませんでしたが、・・・切ってしまった私が情けないです」(P83)、「今度副作用を訴えて処方箋から消してやります。ケケケ」(P87)、「トイレに行く途中、ダイレクトに転びました。よろっ。ずでしゃっ。と」(P92)、「・・・とは思いながらすピョロロろ」、「ウネウネしてました」、「今日はこのようにゴロゴロうねうねダララダラしていたので」(P93)、「漫画を読んで、うーごろごろ。・・・読み終わって、あーごろごろ」、「(父の見ているテレビが嫌いで)耳をふさいでズドゴロンチョ」(P96)、「今日の(薬の)収穫はこれだけでいいです〜。あひー」、「(処方された薬が気に入らなかったらしく)こぽーん。がぽーん」(P101)・・・

 彼女にはクラスメートも含めて女性の友達は何人もいたし、20歳になったら結婚すると約束していた男友達もいたらしい。高校3年生で婚約者とは驚くけれど、どこかで自分の人生を急いでいたような気のしないでもない。友達の存在がどんな場合にも救いになるとは思わないけれど、少なくとも彼女の文章からは、内容はともかく文体からは暗さや陰鬱な気配は感じられない。自虐的な内容ではあるけれど、茶化して笑い飛ばし、時には陽気ささえ感じられる。

 「私はしばらく意味不明でホゲぇぇーーーっとする状態が続いていました」(P103)、「手紙を書いて、のへ〜っとしていました」(P112)、「進路がフリーターという方向にぐにょんと曲がりましたが、」(P117)、「うがーーーと布団の中でじたばたして、スズメがちゅんちゅん鳴く6時頃になって」(P121)、「『むひょひょっ』とか『ブヒー!』などと叫び・・・『おひゃひゃひゃ〜!』と笑って」(P125)、「おひゃおひゃおひゃ・・・嬉しいな〜ラリラリラ〜」(P132)、「アルバイト捜します。ではっ! んご!・・・起きてみれば朝7時半で、うガフ!」(P154)、「へろへろネムネム。目の焦点が合わせられません・ぶひ。」(P162)

 日記の日付は1月16日である。年が明けて彼女の卒業式が近づいてくる。進路をフリーターと宣言したとたんに、学校は進学・就職に対する指導・助言の対象から彼女を外してしまう。フリーター宣言を単純に「進路が決定した」と決めつけてしまっていいのだろうか。私には彼女の宣言は、進学・就職よりももっと助言や指導が必要な叫びであるように思えてならない。確かに彼女は問題児ではある。
 学校は彼女のフリーター宣言を、厄介払いのいい契機と捉えたのではないだろうか。学校は彼女から少しでも早く逃げ出したかったのではないか、私はそんなことをふと感じてしまったのである。

 この本のタイトルは「卒業式まで死にません」である。1月16日までの日記を読んだ。しおりの位置を見ると、読み終えたのはこの本のほぼ中間地点である。まだたっぷりと本は残っている。相変わらず安定剤や睡眠薬の服用記録が続いていることに、私は少しほっとしている。もしかしたら卒業式をたっぷりと過ぎるまで、彼女は生きることにこだわったのではないだろうかと思ったからである。少なくともこの本の残量だけ日記は続き、彼女は生き続けたのだから・・・。
 それともそれとも一日の日記のヴォリュームが増加し、これから卒業式までの短い期間に、彼女は本当に「卒業式だけを待つ人生」を選んでしまうのだろうか、そんな不安も私の中で交錯している。


                                    「心にある闇(2)」へ続きます。


                                     2014.7.25    佐々木利夫


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心にある闇(1)