「卒業式まで死にません 女子高生南条あやの日記」(南条あや、新潮文庫)を読んでこんなことを思いました。
「心にある闇(1)」からの続きです。
「うっきょぇぇぇ! とひっくり返りそうになりました」(P178)、「献血したあとに、ライラライララ〜と友達とカラオケ・・・喜びのあまりギャーヒー叫んで」(P180)、「ぎっひー! と家を飛び出して」(P183)、「『へひっ?』と青ざめて腕輪を探す」(P192)、「家に帰るのに気が重くてウガァフガァうなっていた私です」(P194)、「うげぇぇ。急いで・・・キェェということで台所で」(P195)、「私は真っ暗モードに入ってユーランふーらんしていました」(P205)」、「ヒョーヒョー泣くSさん」(P207)、「!!!!!!????? アゲヒ? うぴ」(P210)、「ウグオオオオオオオオオオ。朝の10分は昼間の1時間なのよアンタ」(P211)、「ふわふわふるる」(P216)、「私は違う世界にとんだのです。ラヒ〜」(P227)、「どこへ行っちゃったノー? キヒヒヒーーー」(P)、「楽しんでしまいますぜ! ラヒヒヒ。」(P245)、「天井が素敵にひょんぴょんグニョグニョしていて、」(P273)、「やっと卒業できた。・・・ブッヒョッヒョってかんじです。}(P296)
少しずつ卒業式が近づいてくる。「天井が・・・ひょんひょんグニョグニョ」するのは、薬漬けによる幻覚なのだろうか。学校へ行かなければならないという「たが」が外れることを喜んでいるにもかかわらず、それは逆に一種の目的を失うことの意味でもあったのだろうか。義務とか制約とか拘束じみた我が身の束縛からの解放は、実は「やることがなんにもない」、「やらなきゃならないこともなんにもない」みたいな状態を助長することでもあったのだろうか。
どんな場合もそうだとは思わないけれど、「学校に行きたくない」、「だから行かない」という状況は、「学校に行かなければならない」という対立する思いが、自身の中にも家族や社会にもあるという背景を必要としているのではないだろうか。つまり不登校とは、そうした自身を責める思いや周囲からの強制的な思いなどが混在しているという事実を養分として育っていくものなのかも知れないということである。
そんなときに卒業にしろもしくは退学のような他律的な要因にしろ、不登校たる学校という対象がいきなり消滅してしまったら、不登校という行為そのものの意味が行き場を失くしてしまうのではないだろうか。義務みたいに思っていた存在が突然消滅してしまうことは、同時に不登校という事実に依存していた「自分の存在」という意味をも喪失させることになってしまうように私には思えてくる。
卒業式は3月10日だった。この10日前の2月28日の日記にはこんな記述がある。
「腕輪がない。はひーーー!と思って鞄の中をくまなく探しました。・・・どこにあるのと焦っているウチに、やってしまいました自傷行為。鞄のサイドポケット入っていた使い捨てメスで、ブスブスブスブス。手首の肉を刺してえぐって、プチンと肉を切り裂きながらメスを抜きます」(P264)
なんと恐ろしい内容だろう。そして、それに比してなんと陽気な書き方だろう。私はリストカットを、とても軽く見ていたような気がする。「リストカットをする」という心理的な背景を軽視していたのではない。リストカットそのものを軽視していたのである。せいぜいが手首にうっすらと傷がつく程度の傷、じわりと血が滲む程度の傷、ためらい傷、他者にそれとなく知らせるための傷、自殺のまねごとをしたという満足感・・・、そんな風にリストカットを一種の示威行為か自己満足の手段みたいに感じていたのである。
だからこの本を読み、ネットでリストカットを検索してみて驚いたのである。「吹き出る血をバケツに溜めてトイレに捨てる」、そんなところまでこの行為は進み、時に死に至るケースまであると分ったのである。単なる自傷行為と片付けてることの間違いに気づいたのである。
最後の日記は卒業式から一週間後の3月17日に書かれている。
「・・・不安な発作に襲われてどうしていいのかどうしていいのか困ってます。過呼吸にならないように呼吸のコントロールは気をつけています。・・・とにかく何だか不安でしょうがないんです。だーれーかータスケテ。とりゃっ! レキソタン20rじゃ。効いてくるまで不安不安。(泣)」(P303)
ここで彼女の日記は終わる。この後に書かれたものは詩も投稿文もまるでない。
「どうしていいのかどうしていいのか」「だーれーかータスケテ」との叫びだけが、まるで生きてうごめく虫のようにのたうっている。自殺したのは3月30日である。ひとりで入ったカラオケボックスの一室で、彼女は向精神薬の中毒症状を起こしそのまま戻ってこなかった。
この日記を中心とした文庫本は2000年8月に刊行されている。日記そのものはインターネットで公開されていたらし、多くの閲覧者の話題に上ったらしいが、ネット世界に疎かったその頃の私はその存在にまるで気づいていなかった。つまり私は、この本に触れたつい最近まで15年以上もの間、彼女のことをまるで知らなかったということである。
そしてやっぱり思うのである。人の心に潜む闇に、少なくとも私は近づくことはおろか、臭いさえも感じることはできないと・・・。
彼女の父はこの本の序文にこんなことを書いている。
「・・・言うことをきかないから怒る、怒られるから反抗して言うことをきかない、の繰り返しで、ボタンの掛け違いに気付かぬまま危うい時期を過ごし、娘を失ってしまいました・・・」(P8)
同級生も友人も恋人も、そして親ですら彼女を理解することはできなかった。神が人を創ったとは思っていないけれど、人は他者を理解できないようにしか作られてこなかったのである。それは人も動物も同じである。人は僅かに他者と同情や共感を共にするように感じることはあるけれど、そのことを理解とは言えないだろう。もしかしたら同情や共感だって、その人の思い込み、錯覚なのかも知れないではないか。
そしてそれはそれでいいのかも知れないとも思っている。生物は種の進化をそうした形で進めてきたのだとも思う。他者の悲しみや苦しみや嘆きなどの様々を、もし別の他者が理解できるとするなら、そのことだけで恐らく人は己の人生を全うすることなどできなかっただろうと思うからである。原爆の苦しみも、飢餓難民の飢えも、理不尽に殺された犯罪被害者の苦しみも、戦争の悲惨さも、私たちは決して同じように理解することなどできないだろう。
だからこそ私たちは、そうした理解できないことを「冷たい」とか「非情」だとか名づけて責め、また自らも思い悩みながら、混乱した世界の中でしたたかに生き抜いていけるのかも知れない。
ただ、そうは思いながらも、果たして彼女の心の闇が彼女の命の終わりとともに消えてしまったと考えてしまっていいのだろうかと、どこかで割り切れなさを訴える声がしている。
2014.8.8 佐々木利夫
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