第二次世界大戦が終わって70年になる。間もなく迎える8月15日が終戦の日であり、同時に敗戦の日でもある。毎年のようにこの時期を中心に戦争を巡る様々が語られ、今年が70年目である。政府もメディアも70年という区切りに特別な意味を感じているのかどうか、今年は特に熱が入っているようである。

 ただ70年という時間の流れは、戦争を経験した者の一つの終わりを告げる区切りであるような気がしている。こんなところに平均寿命などという言葉を持ってくることが妥当するとは思えないけれど、戦争を「我が身のもの」として感じた人たちの、ひとつの終焉を告げる区切りであるような気がしている。

 いわゆる特攻隊や南方地域やシベリヤ抑留から生き残ってきた多くの兵隊、空襲や艦砲射撃などに巻き込まれた多くの非戦闘員、そして原爆から生き延びてきた者などなど、実体験としての戦争を知る者の一つの区切りが、この70年という一節のなかに込められているような気がする。10年を単位として区切ることに特別な意味があるとは思わないけれど、戦後70年という区切りは10歳だった子どもが80歳になり、20歳の若者は90歳となっていくことであり、それらの人たちの人生の終わりが近いことを教えてくれる

 恐らくこれから10年後の戦後80年には戦争を知る者の多くがこの世を去り、さらに10年、20年を経ることでそれらの人々はほとんど存在しないまでに減ってしまうことだろう。たとするなら、70年の今年は戦争を知る者が、生きて戦争を語ることのできる最後の機会だと言えるのかも知れない。

 そのせいなのだろうか、戦争の風化、特に広島・長崎における原爆投下の風化を嘆く声が今年はとくに多いような気がする。

 その筆頭に上げられているのが、原爆が投下された日を知らない国民が7割にもなるとのNHKの世論調査結果であった。広島の昭和20年8月6日投下を知る人が30パーセント、長崎の同8月9日を知る人は26%にしか過ぎないことが示され、その行き着く先が原爆風化の嘆きである。

 でも本当にそうだろうか。投下された日を記憶していないことが、原爆風化の象徴になるのだろうか。先にも書いたように、今年は戦後70年である。敗戦への道筋をどこからだと決めていいのか私は必ずしも理解していないのだが、南方諸島での玉砕、沖縄の侵攻、そして原爆が投下され、間もなくポツダム宣言の受諾へと続き日本は敗れた。そして70年が経過した。昭和20年の終戦の日に生まれた赤ん坊が、今年は70歳になる。人口の構成比をきちんと踏まえたわけではないし、少子高齢化を加味すべきことも理解できないではない。だが日本人口を1億2000万人として100歳まで生きるとした場合、70歳以上を戦争体験者とするなら30%の3.600万人しかいないのである。7割の8.400万人が戦争を知らないのである。

 知らないというのは、まるで知らないことを意味している。銃撃や戦災の被害だけでない、戦争を原因としたひもじさや貧しさすらも知らないということなのである。戦争体験者として分類した3.600万人にしたところで、「戦争」としての記憶を持っている者が全部とは言いがたい。ひもじさの記憶すらない人たちだって多くいるだろうことは容易に推定できる。つまり、現在生きている者の多くが、戦争を経験していないということなのである。こうした未経験者の知っている戦争とは、単なる本で読んだとか体験談を聞いたとかによる知識であり、もしくは現在のイランやイラクなどの紛争報道からの伝聞でしかないのである。

 さてここで、風化という現象について考えてみよう。恐らく風化とは、対象とされる「ある事件」の記憶が乏しくなっていき、話題にされる機会が減っていくことを言うのだろう。そしてそのときの分母は、恐らくその事件の関係者というのではなく、日本人全体更には世界の人々を意味するのだろう。日本と世界のいずれを分母にするかの違いをどこに求めればいいのか私は理解していないのだが、事件の規模によるのだろうか。

 このとき「人は忘却する」という前提を無視するなら、分母を三つの集団に分けて考えることができる。一つ目は「戦った者にしろ戦いで親しい者を失った者にしろ事件を体験した者」であり、二つ目は「体験はしていないけれど知識として知っている者」、そして三つ目は「まるで知らない者」のグループである。

 もちろん事件に対する知識と言っても、正しく理解している者、中途半端な理解しかできていない者、更には間違って理解している者などその理解の程度は多様であろう。また学校で教えられたりメディアなどから知識を得た第二のグループにも同じようなことが言えるだろう。ただそうした理解の程度を加味してしまうと話しが混乱してしまうので、ここではあえて考えないことにする。

 さて日本における風化の程度を問題視するとき、その基準をある事件を知っている人の数として捉えるなら、その認知率が測定の基本になるだろう。そしてその認知率とは日本人全体を分母とし、一つ目と二つ目のグループの合計を分子とする割合を言うことになるのではないだろうか。そして「風化していく」とは、その認知率が低下していくことを示している。もちろん風化の意味の中には、話題にされる機会が少なくなったこと、興味が薄れていって話題とされる深さが小さくなったことなど、認知率だけでなく興味の程度も影響するだろうことは承知している。しかし、私にはその「興味の程度」を計測する手段を持っていないのでここでは取り上げないことにする。

 そうすると年の経過とともに、第一のグループが減少しその分だけ第三のグループが増加していくことになる。つまり経年変化による減少はここでも起きるのであり、それはそのまま認知率の低下、風化へとつながることになる。もちろん第三のグループから新たに戦争の知識を得て第二のグループへと移動する者もいるだろうし、第二グループに属していながら知識を深めていく者もいるだろう。だがその記憶が第一のグループの減少を補うことはないだろう。実体験に勝る記憶などないからである。

 そしてさらに先にも述べたことだけれど、「人は忘却していく」のである。これは「興味の程度」を意味するのかも知れないけれど、遠い記憶はそのまま「興味への薄れ」につながっていくことであり、更には第二グループから第三グループへの移行という現象さえ引き起こし始めるのである。


                                 「原爆の風化(2)」へ続きます。


                                     2015.8.11    佐々木利夫


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原爆の風化(1)