酔っている時の会話だから、そんなに深刻な話をしていたわけではないんだけれど、何かのきっかけで思いがけないフレーズに出会う場合がある。
 いつだったか、スナックの女の子が突然、「そうだよね、生きてなきゃ幸せも感じないもんね」となにげなく呟いた。

 そんなに重たい意味を持った会話でもないし、酔いに任せたごく当たり前のやりとりだったのだが、なんだかとても新鮮な言葉を聞いたような気がした。そしてこんなに素直で当たり前の言葉に引っかかっている自分に逆に驚き、どうしてこんなことに気づかないまま過ごしてきたのかと、これまでの長い人生と変に理屈に凝り固まってしまっている自分の生きざまにいささかの反省を強いられた。

 人はいつか死ぬ、そんなことは誰もが知っている。ただそれが自分にも確実に順番が回ってくることについて、抽象的には知りながらもそれを考えるのは生きているときのことだから、どうしたって実感からはほど遠いものになってしまう。

 戦争、飢餓、災害、事故や自殺の報道が相次ぎ、友人や親族やもっともっと近くて両親や配偶者や我が子の死にいたるまで、人は様々な死を経験する。それでも自分の死だけは決して知ることはできない。
 臨死体験という言葉があるし、それについて書かれた書物もそれなり目に付く。だが、それだってあくまでも「臨死」であって死そのものではない。結局人は自分の死を知ることのできない存在として位置づけられている。

 死を考えるきっかけにはいくつもあるだろう。ただ、そうした場合の死に対する思いは、悲しさであると恐怖や苦しさなどの具体的な「自分に関わる死」へ当てはめた思いであって、「死」そのものに対する意識とは別のレベルに属するのではないだろうか。

 先週発表した「平和の意味」では、人の死を数で考えることは許されないのではないかという思いと、人の死もまた数で示せる場合があるのではないかとの葛藤の中で書いた。それを「死の意味」としてもう一度考えてみたいと思ったのが今回である。

 それは例えば昨年亡くした私の母の死と例えば先週「イスラム国」と呼ばれるテロ集団に殺された人質の死と意味が同じかどうかの疑問でもあり、そしてそれらの死と例えば私と何の関わりもなく交通事故や病死した多くの人たちの死などとの違いに対する疑問でもある。

 そうした疑問を、私と死者との距離感による違いによるものだと説明することは可能である。私と一番近いであろう自身の死を最短距離に置き、そこに配偶者や家族の死を隣接させ、親戚や知人の死などをもう少し離れた位置に置く、そうしたことの中に聞いたことも見たこともない人の死を更に遠い距離に置くという考えを理解できないではない。そうした考えの果てに、最も遠い距離に「その人の死を知らなかった」という結果的無関心の死を置いてしまうことがあるのだろう。

 しかもそうした個々の死が時に私自身に近づき、時に遠のいていく、そうした思いこそが死に対する私自身の係わり合いなのだとする考えが理解できないではない。

 だが、そんな中で一つの死が私個人の思いを離れて、例えば社会、例えば仲間、例えば民族、例えば家族などに波及していくことをどのように考えればいいのだろうか。
 先週から今週にかけてテロ集団「イスラム国」に関していくつかの死が報じられた。一つは人質として拘束された日本人二人が捕虜交換などによる開放交渉にも関わらず殺害されてしまったこと、もう一つはこの開放交渉の対象とされ「イスラム国」に拘束されていたヨルダン人パイロットが交換交渉以前に殺害されておりしかも殺害の映像がネットで配信されたこと、そして更に逆にヨルダンに連続爆破テロ事件の実行者として死刑判決を受けて収監されていた死刑囚が、パイロットが殺害されたことへの報復として死刑を執行されたことである。

 こうした一連の事件は、「一人の人間の死」という意味を大きく超えてしまっている。それを「利用される死」なんぞと軽々しく呼んではいけないだろうが、人の死の意味がまるで違ってきていることに気づかせられる。

 「人による殺人を絶対に許さない」という立場をいったん離れて考えてみよう。死刑制度を認めるか認めないかについては、国によって考えの違いがあることは分っている。だが、仮に死刑制度を認めない国の国民であっても、「死刑制度を採用している国」の国民がなぜそうした制度を必要と考えているかについての理解はできると思うのである。その上で、誤判があるとか、冤罪があるとか、政策や国の身勝手な思惑で死刑が利用されるなどの弊害を重ねることで、反対していると思うのである。ここではこうした死刑の弊害問題をひとまず置いておいて、正しい死刑の判決や運用がなされているとの前提で考えて欲しい。

 「イスラム国」で行われたパイロットの殺害が、どこまで正当な手続を経て行われたのか私は知らない。メディアによる断片的な報道からではそこまで知ることはできないからである。だが、世界中が認めている事実によるとこのパイロットは、アメリカを中心とした「イスラム国」壊滅に向かった有志連合(「イスラム国」を壊滅するために組織されたアメリカを含む60ヶ国の連合体でこのうち爆撃に参加している国は12ヶ国である)の兵士である。

 つまり彼は「イスラム国」を壊滅する作戦の一貫として戦闘機に乗り込んでいた兵士であり、「イスラム国」側からするならまさに敵国のパイロットなのである。もしかしたら捕虜となったのは爆撃した後のことで、その帰途に飛行機が故障もしくは撃墜されて捉えられたのかも知れないのである。

 もちろんパイロットとて人の子である。父親がパイロットである息子の解放交渉をヨルダン政府に要望し、ヨルダン国王もまた捕虜となった彼を「わが子と同様」と呼び国の英雄と呼んで、その救出に全力を注ぐことを表明したことは当然のことかも知れない。だが考えても欲しい。捕虜としての彼の立ち位置は、「イスラム国」側から見るならヨルダン側の思いとは真っ向から対立する自らの領土を爆撃した爆撃機のパイロットたる殺人者であり、紛うかたなき敵側の兵士だということである。

 この稿の視点が少しずれてきたようです。書いていてまとまりがつかなくなってきたので、引き続き来週に向けて少し整理したいと思います。  「生きているからこそ(2)」へ続きます。



                                 2015.2.5    佐々木利夫



           トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ 



生きているからこそ(1)