「作られた因果関係(1)」の続編です。

 仮定の推論に独断じみた断定を組み合わせることで、歪んだ結論が誘導されてしまうのではないかと前稿で書いた。それは引用した著作がこんな表現をしていたからである。著者は「母子分離の段階をうまくクリアできていないと、距離の取り方がわからなかったり、依存的だったり、誇大な万能感や自己愛が強いという特徴を示すだろう」(P289)を受けて、「プライドや理想ばかりが高く、現実的な能力とのギャップが広がり、不適応を生じやすくなる。仕事や対外的な関係でもうまくいかなくなり、いっそうストレスを強めて、不満やフラストレーションをパートナーにぶつけるようになる・・・思い通りにならないパートナーに対して、激しい怒りを覚えてしまう」と続ける。

 前段の結語が「・・・だろう」になっているので一種の仮定であり、後段の「・・・なる」や「・・・覚えてしまう」は一種の断言を示しているのだあろう。こうして仮定に断言を結びつけてしまうことで、あたかもこの両者が「因果関係のある当然の帰結」であるかのような論旨が導き出されてしまうように思うのである。仮定を前提としているのだから当然結語も仮定でなければならないと思うのだが、それがあたかも証明された一つの事実であるかのような断定になってしまっているのである。

 ましてや、「父親との葛藤が未処理の場合には、三者関係が苦手で、独占欲が強すぎたり、強情だったり、妥協がうまくできない。情よりも力を信奉することもある」(P290)、「(こうした場合は)対人緊張が強く、社会性や柔軟性の面で困難を抱えやすい」〈P290)のように、「こともある」に「・・・やすい」を重ねそうした文章の結論として、「・・・当人の精神的な安定や過大の克服は、大いに促進されることもあれば、逆に悪化させてしまうこともある」(P290)と結ぶに至っては、果たして筆者は何を言おうとしているのかが分らなくなってしまう。

 筆者は書いていないけれど、「大いに促進される」と「逆に悪化させる」のあいだに仮に「特に影響を受けない人たちも存在する」ことを加えるなら(そしてそういう場合が多いだろうことは当然に考えられるのだが)、筆者は結局何も言っていないことになってしまうのではないだろうか。「良くなる場合もあるし、悪くなる場合もある。またなんら影響を受けない場合もある」なんて結論が認められるとするなら、どんなに矛盾した言い方でも許されることになってしまう。つまり筆者は結局何にも言っていないのと同じになっていると思うのである。

 更に筆者は、自らの理論の正当性を裏付けるために、多くの有名人を引き合いに出しその生い立ちをあげる。それは日本人のみならず世界中の作家や画家などにまでおよび、更に本人ばかりでなくその両親や祖父母の生い立ちにまで膨らんでいくのである。もちろんそれが著者の主張する理論の証明になるのなら、何の異論もない。だが私にはその例示された著名人の生い立ちの多くが、著者の独断と偏見による解釈にまみれているように思えてならないのである。

 例えば「○○は母の死を契機として、人間不信に陥り犯罪に走った」などと表現したとしても、それは「○○はそうだった」だけのことにしか過ぎず、母の死を経験した多くの人の行動パターンがそうであることの証明には少しもなっていないと思うのである。むしろ著者が「母の死が彼を犯罪に走らせた」というような一般論を立証しようとして、意図的に○○の縁者の生い立ちを引用されたとしか思えないのである。それは独断への誘導であり、むしろ誤りであるとすら私に思えるのである。それとも○○が著名人であることだけで、縁者の生い立ちに証明不要な証拠としての重みがあるとでもいいたいのだろうか。

 だから私には、「父親から否定的な評価ばかり受けてきた人は、目上の男性に対して、自分を庇護してくれる理想的な存在を求める気持ちをもつ一方で、何が思いに反することや傷つけられることがあると、落胆と怒りを覚え、頑固に反発し。相手をこき下ろすような反応をしてしまい、冷静に妥協点を見つけることができない」(P291)とする意見も、信用できないものに思えてならないのである。

 つまり彼の著作の全部について、「○○の性格は・・・」とか「××の行動は・・・」などという著名人の具体的な生い立ちや考え方などの記述を重ねれは重ねるほど、空疎な展開になっているように感じるのである。

 「・・・に違いない」、「・・・ためだったろう」、「・・・だったのか」、「・・・ように思える」、「・・・かのようだ」、「・・・といってもいいだろう」。これは筆者が画家のモジリアニの性格分析について触れた彼の生い立ちに関する記述である。筆者はP208〜209の僅か2ページの間に、これだけの仮定の文言を積み重ねることで自らの意見の補強要素としているのである。

 「・・・と思われる」が2回、「・・・あったのだろう」、「・・・かも知れない」(P198〜199)が各1回。これはジョン・レノンの生い立ちについて触れた筆者の評釈である。

 こうした仮定の積み重ねの記述はこの他にも多数ある。果たしてそんな積み重ねを、どこまで信じたらいいのだろうか。

 また筆者は最後に少年裕司(仮名)の面接経過について触れる(P307〜)。この少年は少年院に送られてきた「施設がひっくり返るような混乱を引き起こし、どうにも処遇ができない・・・札付きの中札付き」である。この少年に筆者は「警戒の鎧を外して、できるだけ真っ直ぐな気持ちで向き合うことにした」のである。そして次第に少年は筆者を受け入れるような対応になってきたと彼は書く。

 だが私にはどうしてもそうは思えないのである。筆者は恐らく自分のペースにはまり込んできた少年を見て、きっと「してやったり」と思ったに違いない。「これで、我が心理学者としての人生のお手本になるケースに出会えた」と思ったに違いない。だが少年のとった態度は嘘だと思うのである。少年の嘘に筆者は逆に迎合したのではないかとさえ思ったのである。

 それは少年が「誰もが戦々恐々」と感じていた存在であり、「誰もが(そのさわやかな笑顔が)見せかけのもので、その穏やかな顔の下に恐ろしい本性が隠れているに違いない」と思っていたからである。そんな少年が、恐らく隔日のしかも数回しか面接しない筆者の対応に、しかも将来の生活の面倒をみてもらえるような状況にない筆者に、心を溶かし信頼を重ねていくようなことは信じられないからである。それよりは、面接官に迎合して嘘をついていくことを選ぶほうがきっと楽だと思うからである。

 かくして私はこの本に、どうにもやりきれない筆者の身勝手な解釈による独断の臭いを感じてしまったのである。もちろんそれは私の独断である。しかしそれは、単に「面白くなかったから読むのを止めた」とか「意見が違うのだから筆者の意見は無視することにした」とする以上の、貴重な時間をこの本に奪われてしまったかのようなやり切れない思いを感じてしまったのである。


                                     2015.3.12    佐々木利夫


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作られた因果関係(2)