先週ここへ人類は絶滅へ向かっているのではないかと書いた(別稿「絶滅危惧種「ヒト」」参照)。そこに「結婚したくない症候群」も要因の一つになっているのではないかとも書いた。とは言いつつ、少なくとも日本人が、多少の減少はともかく絶滅にまでいたるというのはどうにも困る。一方で人口増加が世界の危機になっていると言い、片方で日本人の減少を憂いていることは自己矛盾である。それを承知で、どこかで日本人人口の減少に歯止めがかからないものかとも考えてしまう。

 結婚が出産と直接結びつくとは必ずしも思っているわけではない。それでも結婚して家庭を作り、何人かの子育てを経てやがて孫が生まれ、そこそこの老後を迎えることが人類の発展にとって当たり前のことだと、これまで私たちは考えてきたのではないだろうか。それが最近は「少子化」が広がり、少なくとも日本の2014年の合計特殊出生率(女性が生涯に生む子どもの数)は1.42人という数値を示している。

 これはつまり、夫婦二人で子どもを作ることを前提とすると、出生率が最低でも2.0(つまり生涯に二人生むこと)になることで人口は現状維持となり、この数値を上回るか下回るかで将来の人口が増減することになる。だとするなら、現在の出生率が続く限り日本の人口はゼロへ向かってまっしぐらということである。

 しかも、非婚化に加えて結婚年齢の遅くなる晩婚化が、男女ともに年々増加の一途を辿っている。だとするならこの出生率は更に減少していくことだろう。これはつまり、人口減少に更なる拍車がかかることを意味している。

 恐らく結婚は、人と人とが「付き合う」ことや「出合うチャンス」などが大きく影響しているような気がする。結婚は男女が互いに相手を知る機会、理解する機会が多くなることによって成立する場面が多くなるのではないだろうか。

 だが現代人は孤立化する方向へと進んでいる。人は互いに相手を理解できない方向へと自分を追い立てようとしている。それを近代化とか進化とか発展と呼んで、あたかも「共同体から離脱すること」が人生の目的ででもあるかのように人はひた走る。イジメや多くのハラスメント、そして理解できないような理由や理由なき殺人、突発的な「キレル」現象などのように、人が他者を理解できないことによる事象は現代社会のいたるところに蔓延している。

 世界に多発している民族対立や宗教対立などによる紛争も、私には同じような原因から生じているように思える。専門の知識はなく単なる素人の感触でしかないのだが、背景には「貧困」があるように思えてならない。どこからが富裕層でどこまでを貧困層と呼ぶのか分らないけれど、毎日の食事や住まいやある程度の安定した将来がほどほどに約束されているなら、それを富裕とは呼ばないまでも「貧困ではない」程度の感触を人に与えるのではないだろうか。

 もちろん「ほどほど」とはどこまでなのか、という問題は残る。「満足できる食事」と言ったところで、レストランでの外食や我が家で囲むスキヤキはその中に入るのか、また「住まい」も四畳半一間のアパート住まいで足りるのか、それともマイホームまで含むのかの問題である。将来の安定にしたところで、どの程度の預貯金があれば安心できると言えるのかなどの問題も残るだろう。

 だが、「隣近所と諍いをしないで人並みの生活できる程度の状況」にあるなら、人はテロや対立から少し離れた位置に自分の視点を置くことが出来るのではないだろうか。そしてそうした位置に我が身を置くことができるならば、恐らく「結婚」というテーマだってそれほど抵抗なく人々の心に受け入れられていくのではないだろうか。

 貧困が諸悪の根源みたいなことを書いた。でも考えてみれば、貧困の背景には人口の爆発的増加や経済活動のグローバル化に伴う貧富の拡大などがあるような気がする。世界の紛争は、その原因にたとえ宗教対立や領土問題などが掲げられていたとしても、その裏側には貧困層の増加があるのではないだろうか。

 経済の拡大は単に富裕層の増加を意味するだけになっているものではない。国と国との関係でも国民同士の関係でも、世界は富裕層の増加と貧困層の増加に二極化しているような気がする。そして富裕層の増加はほんの僅かであり、逆に貧困層の増加は誰の目にもあからさまに見えるまでになっている。トータルでは確かに世界の経済は、それをGDPであるとか貿易収支などを基準にする限り増加の一途を辿っている。だがそれは現象的には、数人の富める者の増加と数千人数万人もの貧者の増加とのトータルの意味を持つものでしかない。それは個々人をベースとして考えるなら、益々貧しくなっていっていることを示している。どんなにトータルの国民の所得が増加しようとも、それは多額の利益を得ている僅かの富裕者のデータに引っ張られているだけで、富裕層を除いた個々人はどんどん貧しくなっているのである。

 一人に1億円の所得があり、残る9人の所得がゼロであるとき、そのトータルの所得は1億円、平均値は1000万円である。2人で11億円、98人がゼロならトータルは11億、平均値は1100万である。経済の発展はこうしたトータルとして把握される。でも残された9人や98人にとってみるなら、経済の発展とはまさに所得ゼロの層の増加を意味することでしかない。

 こうした現象は多数の人間の将来への不安に直結する。そして将来(少なくとも自らの成年から老後にかけて)のほどほどの安心とはかけ離れたものになっていることを各人に直感的に知らせる。そんな現代に、「結婚を考えよう。子どものいる幸せな家庭を作ろう」などのスローガンは、いかにも胡散臭く空疎に聞こえるような気がしてならない。

 日本には古来から「衣食足りて礼節を知る」と伝えられてきた。礼節の意味を必ずしも私は理解していないのだが、少なくとも「互いを理解しあえる生活」がその中に含まれているように思っているのである。「腹が減った」や「欲しくても買えない」程度の限度をこえた飢餓や貧困が、私たちの回りを埋め尽くそうとしてる。隣にも、日本にも、世界中にも・・・。


                                     2015.7.28    佐々木利夫


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結婚したくない症候群