朝日新聞の一面に「折々のことば」と題する小さなコラムが毎日のように載っている。この日はこんなことがテーマになって解説されていた。

 「『正しいと思うことは、一人ひとり違うんですね』(二十歳の若者)
 (あるイベントに)ボランティアで駆けつけてくれた若者が、打ち上げでしみじみとこうつぷやいた。『えっ、二十歳にもなって?』と言いかけて言葉を飲んだ。彼女はここで大人たちにもまれ、学校という場所ではできない学びをしっかりしたのだから
」(2015.8.25)。

 解説者はこのボランティアに参加した若い女性の発した一言に、一瞬「二十歳にもなってそんなことにも気づいていなかったのか・・・」との気持ちを抱いたのである。つまり、人は一人ひとり正しいことに対する基準が異なっているという事実を、少なくとも解説者は一種の常識だと感じていたということであろう。だからこそ、しみじみと呟いた彼女の言葉に、改めて実感を覚えてこのコラムに載せたのだろう。

 でも私には、彼女の言葉に「えっ、二十歳にもなって?」と感じた解説者の気持ちのほうに、逆に違和感を覚えたのであった。「正しいと思うこと」を、単に「正義」と名づけてしまうことに違和感は残る。「正しいこと」と「正義」とは、必ずしも一致しないだろうと思っているからである。

 ただ、私たちは正義の持つそうした多様さを、あまりにも自明のこととして分ったつもりになり、深く考えることなしに承認してしまっているのではないだろうか。

 正義もまた人を傷つけることがあることは、これまで何度もここへ書いてきた。それは私たちは「正義」を、定義可能な一つの理屈だと考えてきたからなのかも知れない。だが考えてみれば、人の数だけ「正義」がこの世に存在していることはすぐに分かるし、そのことが世の中の混乱に拍車をかけているのではないかとの疑問にもつながっていく。

 そして更に、「複数人の正義」もまたこの世に満ち溢れていることも分ってくる。個人に正義が存在するとの思いは必然的に、複数人の正義、組織の正義、集団の正義、社会の正義、国家の正義、そして更にはグローバルな正義の存在へと無制限に広がっていく。そうすると正義はこの世に星の数ほどにも存在することになってしまう。そしてそうした星の数に歴史という時間軸を加えるなら、この世には無限とも言える「正義」が存在することになる。つまり、正義は個人により、グループにより、組織や国によってそれぞれ異なり、結局は定義不能ということになってしまうということである。

 もしかしたら、正義は本質的に定義不能なのかも知れない。人の数だけ、星の数だけ存在する正義を、どこかで私たちは「定義できる」と錯覚していたのかも知れない。その錯覚が、私たちを「正義」と呼ぶ架空の幻想の中に押し込めてしまったのかも知れないのである。

 実は私は、正義と自由との違いもよく分からないでいる。正義なら自由なのか、自由ならそれは正義が実現したことになるのか、それでは自由とは何を言うのか。

 恐らく正義は「人」を対象として考えられるものだろう。つまり「正義は人のためにある」ということである。それは人が自らの意思を示す手段を自然発生的に持っているからであろう。だがそうしたとき、正義は人間から離れて独立した存在として成立しうるものなのだろうか。

 昔学んだことのなかに、ある思想家の言った「最大多数の最大幸福」という言葉があった。それは正義の定義ではなく、単なる経済活動の目標だったような気もしているが、一種の「人類の進むべき目標」みたいな感触を受けたような気がしている。だが、最大多数という言葉の中には、少数者を無視するという考えが含まれている。それは幸福という選別から外れた者の幸福からの除外を承認してことになる。ならばそれは正義と言っていいのだろうか。

 仮に正義の定義ができたとしても、それは誰のための正義なのだろうか。果たしてその正義は、人々のすべてに適用されるものなのであろうか。そしてその正義は、各人の受ける「正義の感触」とどこまで一致するのだろうか。

 正義と平等との違いについて分らないと書いた。言葉で平等を唱えることはたやすい。文字で書く平等もたやすい。理論で平等を並べ立てるのもたやすい。だが平等は事実として破綻している。どんなに言葉巧みに表現しようとも、世の中に一人として平等を信じている者などいない。

 法律や宗教がどんなに声たかく宣言しようとも、人は生まれや性別や教育、社会環境や努力、更には偶然のラッキーさや不運などなどで、平等でなく作られ存在している。だから人の数だけ「正義が違う」ほどまでに、正義は多様化してしまったのである。

 答のない問いに歯向かうのは無謀と知りつつ、「それぞれの正義(2)」へ話を続けます。


                                     2015.8.26    佐々木利夫


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