1945(昭和20)年8月15日、日本が第二次世界大戦に敗れ、従来の憲法(明治憲法)が改定された。敗戦の日がどうしてポツダム宣言受諾の日(国際的に無条件降伏の調印をした9月3日)でなく、天皇陛下が終戦の詔勅をラジオ放送した8月15日になっているのかについては諸説あるようだが、とりあえずここでは8月15日として話を進めていくことにする。現在の憲法が制定されたのはその終戦から1年数ヶ月を経た1946(昭和21)年11月3日であり、施工されたのはそれから更に半年を経た1947(昭和22)年5月3日のことであった。

 1940年生まれの私は、憲法が施行されたときはすでに7歳になっていたことになる。だから小中高とも新憲法による戦後教育を丸ごと経験したことになる。新たに制定された憲法だから、授業で教えられる機会もそれなりに多かっただろうと思う。にもかかわらず学んだという記憶がまるで残ってないのは、いかに私が勉強熱心から程遠かったことを示しているのかも知れない。

 そんな私が最初に記憶している憲法との関わりは、高卒で国家公務員に採用されたときのことであった。北海道内で高卒の税務職員として採用された30人が、札幌の研修所(当時は税務講習所と言った)で一同に会した時のことである。採用の初仕事がなんと、「日本国憲法を守ります」との宣誓書にサインをすることであった。特に憲法を知っていたわけではない。部分的にしろ、小中高の教科書のどこかに載ってはいただろうけれど、手許に憲法原文を持っているわけでもなく、きちんと読んだことすらなかったように思う。それでも頭のどこかに、「公務員は国民の公僕である」とのイメージだけはあったような気がしている。

 それだけなら憲法はまだ遠い存在だったと思うのだが、一年にもわたる研修の科目の中には税法のみならず刑法や民法と並んで、憲法もまた燦然と輝いていたのである。それも北海道での最高学府である北海道大学の教授が、自らが著者となって市販されている本を教科書として使っての授業であった。

 こうした経緯で私は現行憲法と一緒に生まれ、そして授業、講義という受身の形ではあるけれどそれなりの関わりを持って育ってきたのである。その憲法が今、「時代に合わなくなってきている」との理由で、自民党政権下で改正という瀬戸際に立たされている。憲法の年齢は私とほぼ同じである、そんな気のしている私にとってみれば、改正を巡るそんなこんなが気になって仕方がないのである。

 76歳の私自身にがたがきているのだから、70歳に近い憲法もそれなりに老朽化していることだろうことは想像できる。電話どころかテレビもない時代で、ただひたすら「腹減った」との思いだけが生きていることの実感だった戦後の混乱期に作られた憲法が、70年を経て劣化してきているだろうことはそれなりに理解できないではない。だから、国際環境の変化や情報や医療などの変化に即応して、相応の手当てをしようとの思いが起きることもまた分らないではない。

 それでも気になっているのはやはり憲法九条である。この九条の改正を、私は気持ちのどこかで反対しているのである。大切な九条は、そのままの形で守っていかなければならないように思っているのである。九条は「戦争放棄」を定めたもので、こんな条文である。

 日本国憲法 第九条
 @ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 憲法改正を企図する意見の一つに、この憲法の原案が英文であり、第二次世界大戦の戦勝国であったアメリカから押し付けられた法律だからだとする考えがある。言って見れば「だから自前の憲法を作ろう」との思いに集約されるだろう。そうした意見が感覚的に理解できないではない。だが憲法成立過程における日米間における様々な交渉や苦労はよく知られるところであり、その適否は成文化された法典としての価値によって評価すべきものであろう。「戦勝国が関与したから」という事実をその評価に加えるのは、私には偏見でしかないように思える。

 どうして九条が定められたかについては、様々な思惑があったであろう。この九条を含む憲法にノーベル平和賞を与えようと推薦する動きさえあるくらいだし、世界の国々の憲法を研究したわけでもないので確たることは言えなのだが、日本の憲法は世界でも稀に見るユニークな規定を含んでいるであろうことは認めてもいいだろう。そして「ユニークであること」と「そんな馬鹿な」との思い差の違いは、そんなに大きなものではないのかも知れない。

 恐らく日本が参戦した第二次世界大戦は、少なくともこれまでの世界における戦争史上、最大最悪のものであったことは否めない。背景に科学の進化があり、原爆にまで至った兵器の開発は、「地球壊滅」を示唆するまでの殺傷能力を示した。それに加えて日本には、日本人特有の、言ってみれば「大和魂」への強いこだわりがある。

 「死ぬまで闘う」、「死んでも闘う」、「死ぬ気でやれば何事も叶わないものなどない」、そうした思いが日本人の心の底には根強く残っており、そうした思いが例えば「カミカゼ特攻隊」、「人間魚雷」などの無謀な戦闘姿勢へとつながっていったのだろう。

 そうした戦争への日本人の精神論がアメリカ人にはなかなか理解できす、それが「戦争放棄」というとてつもなく不思議な規定を憲法の中に盛り込むと言った動きへとつながっていったような気がしている。「日本人という民族に再び武器や武力を与えてしまったら、世界に向かって何をしでかすか分らない・・・」、こうした恐怖が日本人に武力を持たせることなく、戦争を全面的に放棄させるという、一種の気違いじみているとも思える戦争放棄を憲法という形で押し付ける背景になったのではないだろうか。

 なにしろ、当時の日本人はまさに気違いじみているほど、一億が火の玉となって第二次世界大戦の勝利に固執していた。原爆を落とされようが、沖縄が玉砕してしまおうが、東京大空襲が何度繰り返えされようが、たとえ最後の一人になっても日本人は鬼畜米英に負けることはない・・・、それが日本人の信念であり大和魂だったのだから・・・。そしてアメリカは、そうした恐るべき敵国日本に原爆を投下することで勝者となった。そして、こんな気違いじみた思想を持つ日本人を相手に闘うことなど二度とご免だと思っただろうし、ましてや武器を持たせることなどもってのほかだと考えただろうからである。

                               憲法改正と世論(2)へ続きます。


                                     2016.6.2    佐々木利夫


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