最近、「テロ なぜ生まれるのか」と題した新聞投稿を読んだ(ジャーナリスト 池上彰 2016.2.29 朝日新聞)。アメリカとイラクの地勢的な経過、イスラム教の誕生などに触れた後に、彼はこんな風に話を結ぶ。

 「今は軍事力などで無理やり抑えつけるしかできないけれど、貧富の差に関係なく平等の教育を広げていくことが、10年後、20年後のテロを防ぐことにつながるんじゃないだろうか

 こうした考えが間違いだとは思わない。だが、テロや戦争、はたまた喧嘩とかいじめなどがエスカレートした揚げ句や強盗などによる殺人、更には「誰でもよかった」とうそぶくような無差別殺人などなど、人が人を殺すという現実は私たちの身近に当たり前に存在している。だとするなら人が人を殺すことは、人が人であることの本性そのものなのではないかと、私はふと思ったのである。

 人を霊長類と名づけたように、私たちは人間は特殊で優れた動物であると理解している。笑うのは人間だけだとか、紙の歴史は人間文化の歴史だなどと人を他の生物と区別し、あたかも地球上で最も優れた生物だとして人の存在を最高位に位置づけてきた。ただが果たしてどんな基準を以って「最高位」と認定できるのだろうか。そしてその「最高位」の判定は誰がするのだろうか。

 地球の歴史は約46億年とされている。生物の発祥が、宇宙に漂う有機物によるものか、それとも地球内部での何らかの偶然かそれとも神の意思によるものか、そこのところは必ずしも理解できるているわけではない。ただ、化石などによる検証による限り、単細胞生物らしきものの発生が40億年前、海から陸上へと生物が移動し始めたのが4億4000万年前ほど前とされている。

 恐竜が2億5000万年ほど前に生まれ、そして6500前年前に絶滅、人類の直接の祖先と思われる生物の発生が400万年ほど前とされている。そして現在の人類としてのホモサピエンスは10万年ほど前に誕生したと言われている。

 ホモサピエンスを他の生物の区別して例えば「最高位」として位置づけるとして、それでは何を基準にするのかと考えてみるなら、常識的には「一種の文明」を基礎にすることができる。何をもって文明というのかも難しいところではあるけれど、文字や音声による意思伝達などを考えるとするなら、いわゆる「人間らしい生物」はおそらく5000年程度のものではないだろうか。中国3000年だのメソポタミア文明などの話を聞くにつけ、人類の文明の歴史にそれほどの違いはない。

 人は確かに現在では他の生物とは異質であるかのように振舞っている。だがそうした違いはたかだか、数千年のことでしかないことが分ってくる。生物の歴史を40億年とするならまさに昨日今日の減少である。だから人といえども、生物として生態系の一つの存在であり、生物の多様な変化進化の過程で生まれた構成要素の一つでしかなかったのである。

 そうした生態系の基本理念は何か。先学の理論や見解をきちんと理解しているわけではないが、生物か生き抜くということは「適者生存」を実践することではなかったかと思うのである。生物として人は10万年前に発祥し、数千年前に文明と名づけられるシステムを作り上げてきたけれど、それまでの9万5000年は単なる哺乳類として生き延びてきたのである。

 文明を生み出したことで人類は生物の王になった、と考えることも可能であるかも知れない。人は地球を支配する神になったのだと位置づけることも可能かも知れない。だが、人間もまた単なる哺乳類たる動物であったという事実を否定することはできない。人もまた犬や猫やネズミなどと変わるところのない生活を続けてきたのである。

 さて次に考えなければならないのは、生物の存在の意味なり目的である。「存在の意味」については必ずしもよく分からない。自然発生的に生まれたと考えるのが最も自然のような気がするけれど、神が創造主となって何らかの目的で生物を作り上げたことだって一概に荒唐無稽とは言えない。また、そもそも生物が地球に存在すること自体に、何らかの目的意識をあたえることが妥当なのかどうかについても疑問がある。

 ただ、生物が存在していることは事実なのだから、そうした上に立って生物そのものを考えていかなければならないだろう。そうするとき、生物が生物であることの根源的な目的は自ずと分ってくる。それは自らの存在そのものにかかわることであり、だからこそ生物と呼べるのだということである。

 それは自分が「今生きていること」そして「生き続けること」、たったそれだけだと思う。たとえその環境が、沸騰する溶岩の中であろうと、はたまた氷結した酷寒の中であろうともである。そして更に、適者生存だの弱肉強食だのと、分りやすい言葉とは裏腹に死と直面する他の生物との競争に打ち勝つことである。


         テロとは少し違った方向へ筆が進んでしまい、まとまりがつかなくなってしまいました。
              もう少し話を続けさせてください。「テロの生まれる時代(2)」へ続きます。


                                     2016.3.9    佐々木利夫


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テロの生まれる時代(1)