サイダーは事務所で仲間と焼酎を割って飲んだときの残りである。サイダーという名称は、商標登録された商品名だと聞いたことがあるので、一般論として言うなら甘味入り炭酸飲料であろう。焼酎の喉越しに炭酸割りハイボールのような感触を楽しみたかったのかもしれない。それだけの話である。

 ところでこの噴き出した炭酸ガスのことで少し気づいたことがある。冷たい炭酸飲料のふたを開けても、それほどの噴出はないけれど、少しぬるかったり振り回したりすると中の液体が激しく噴出する。これも当たり前のことである。何のスポーツだったか忘れたが、優勝者や優勝チームがそのお祝いにビンから勢いよく噴き出すシャンパンやビールを仲間同士で頭にかけあって騒いでいる映像を見たことがある。これも炭酸ガスの噴出効果を利用したものである。

 さて、飲み残したサイダーの話に戻ろう。このとき、残った液体に押し込められていた炭酸ガスは、温度が高くなると勢いよく気体に変わり、それで音が出たり泡が出たりするということである。つまり炭酸ガスは私たちの常識では気体であるけれど、圧縮したり冷却したりすることで液体に溶け込み、時には炭酸ガスそのものが液体や個体(ドライアイス)に変化するのである。そしてそうした状態が、振動や温度の変化などで気体に戻るということが分ったのである。

 これはつまり、温度が上がると液体に溶け込んでいた炭酸ガスは気体に戻るということである。どんな気温でどの程度の量が液体に溶け込み、また温度変化でどの程度の体積に気体化するのか、それを示す方程式を私は知らない。知らないけれど、気温が上がるとサイダーに溶け込んだ炭酸ガスが泡となって空気中に放出される、しかも大量に、ぐらいことは当たり前に分る。

 つまり、気温が高くなると液体に溶け込んでいた炭酸ガスは、けっこう大量に気体となって空気中に拡散するということである。これに気づいたとき、なんだか私は突然、「卵が先か、鶏が先か」の話を思い出した。そして突然、地球温暖化について言われている様々が、ひっくり返ってしまうような気持ちに襲われたのである。

 それはつまり、これまでの原因とされ結果とされていた物語が、もしかしたら間違っているのではないかとの思いであった。世界中でこれまで語られていて地球温暖化のストーリーが、なんだかとんでもない錯覚のように思えてきたのである。そしてそして、地球温暖化の物語そのものが疑問に思えてきたのである。

 現在地球温暖化で語られているストーリーは、ものすごく単純化するとこうである。

 @ 「炭酸ガスは温室効果を持つ気体である」
 A 「その炭酸ガスが地球に毎年毎年増え続けている」
 B 「原因は産業や家庭などから排出される炭酸ガスの量が増え続けているからである」
 C 「炭酸ガスを吸収して酸素にかえる植物の効果は、その増加のスピードに追いついていかない」
 D 「結果として空中の炭酸ガスは増え続け、地球は温暖化してゆく」
 E 「温暖化すると気候変動が激しくなり、極地の氷が溶け出すなど海水面の上昇などを引き起こす」
 F 「気候変動の激しさは、台風の巨大化や陸地の浸食などを招き、人類の生存が脅かされる」

 こうしたストーリーは、今や国際的に承認されている。現在アメリカが離脱するのではないかと騒がれている2015年に締結された「パリ協定」(気候変動枠組条約第21回締約国会議、COP21)も、地球温暖化防止策として国際的に協定したものである。温室効果ガスは炭酸ガスに限定されるものではなく、それ以外にもフロン、メタンなど多種類が存在する。だがその元凶とされているのは炭酸ガスであり、ここでの話題ももちろん炭酸ガスである。

 私は炭酸ガスの温室効果を否定したいのではない。炭酸ガスの増加→地球温暖化のシナリオが虚構だと言いたいのでもない。しかも、上述の@からFまでのストーリを全面的に認めたうえで、それでもなお前に述べた「卵が先か、鶏が先か」が気になって仕方がないのである。

 地球の環境変化や温度変化は、数万年・数億年の歴史を見る限り日常的に起きている。太陽の黒点の変化、隕石の衝突による空中の粉じんの増加、海流の変化などなど、原因は様々に言われているが必ずしも確立された見解はないようだ。沸騰する溶岩の海の時代から、全球凍結と呼ばれる地球全体が氷で覆われる時代まで、様々な環境の変化を地球は経験してきた。ここ数十万年は少なくとも人類にとっては住みやすい環境になってはいるけれど、現在の環境が変化の終点ではないだろう。様々に変化する様相の、途中経過の単なる一点に過ぎないと言ってよい。

 地球はおよそ10万年周期で高温期と氷河期を繰り返していると言われている。そして現在は、その中間とも氷河期の入口だともされている。間氷期と言う語は、阿部公房のSF小説「第四間氷期」で知ったのが私の最初の知識だったように思うが、ともあれ氷期と間氷期を繰り返しているのが地球の現実のようである。

 現在が氷河期なのか、それとも間氷期にあるのか、そこまでの知識は私にはない。だが、地球そのものがこうした環境変化の歴史を繰り返していることだけは分る。さてここで、何の根拠もなく単なる思いつきなのではあるが、現在が氷河期にあるのだとするなら間氷期に向かって地球が暖かくなっていくのは、地球本来の自然な変化だと思えることである。

 また仮に、現在が間氷期だとするなら、気温がどこまで上昇するのかはともかくとして、今が最低もしくは最高の気温環境にあるとする根拠はないから、更なる低温化もしくは更なる温暖化へと変化していくことは当たり前のことになる。

 そうしたとき、私は「サイダーの泡」を思い出したのである。地球は表面積の約70%が海水で覆われている。そして海水のほとんどは「水」である。水はサイダーやビールなどの例でも分るとおり、大量の炭酸ガスを吸収できる溶剤である。かくして海は想像を絶するほど大量の炭酸ガスを吸収できる貯蔵庫であり、しかも温度変化によって炭酸ガスを吸収し排出する機能を持った一種の装置なのである。

 ここに卵と鶏が登場する。最初に気温の上昇があったとするなら、それにより海水に含まれている炭酸ガスは当然に排出されることになる。つまり、「炭酸ガスが先か、温暖化が先か」が大きな問題となるのである。気温の上昇が先にあったとするなら、大気中の炭酸ガス、言い換えるなら地球温暖化ガスはその上昇に伴って海中から放出されることになる。つまり、人類による排出によらなくとも炭酸ガスの濃度は高まっていくことを意味する。あとは、先に述べた@からFをそのまま繰り返せば足りる。

 炭酸ガスの増加が地球温暖化の原因になっているのかも知れないけれど、それはもしかすると人為的な原因によるものではなく、単なる海水の温度変化に伴う地球そのものの現象だということである。それは、人類の地球規模の炭酸ガス排出が始まったのが、少なくともイギリスでの産業革命以後だと考えられることからも裏付けられているような気がする。そして更に、かつて騒がれた地球寒冷化問題とも矛盾するように思えるからである。

 地球寒冷化の話題が、ほんの数十年前に世界的規模で問題化されていたことを私は思い出した。マスコミも学者も、こぞって地球が寒冷化していく危険を訴えていたのである。それは、少なくとも人間が炭酸ガスを大量に撒き散らし始めたイギリス産業革命から、200年以上を経て提起されたテーマだったからである。人間の輩出する炭酸ガス程度では、地球温暖化のきっかけにはならないのではないか、そんなふうに私は思ったのである。そして私は、現在叫ばれている「地球温暖化」の意味が分からなくなってきたのである。

 サイダーの泡がとんでもない方向へと向かってしまった。続編「温暖化?、寒冷化?」へ続けます。







                                     2017.4.20        佐々木利夫


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サイダーの泡
 つい先日、ペットボトルに残っていたサイダーを開けたとき、シュッと音がして空気が抜けた。どうってことのない日常の出来事である。ただそのとき、これまたどうってことのない感想だけれど、このシュッは炭酸ガスが密閉された容器から噴き出す音だと気づいた。