前稿「サイダーの泡」の続きです。前稿では、人類の炭酸ガスの大量排出が始まったのは今から200年ほど前の産業革命後のことだから、最近の温度変化の問題提起とは必ずしも合致しないのではないかと書いた。そして数十年前に巷で論議されていた「地球寒冷化問題」との矛盾もそれを後押ししているように思えたのである。

 人類が炭酸ガスを大量に排出しだしたのが産業革命以後だとすると、その遥か以前から地球は氷期、間氷期を繰り返していたのだから、地球の温度変化は人類のせいではなく地球固有の変化によるものだと思える。そして地球が温暖化へ変化し始めると、その結果として海水に含まれていた炭酸ガスが空中に放出されるのは当然である。そしてそれが更なる温暖化を加速する要因になっているのではないかと思えたのである。

 ところで「地球は寒冷化していく」は、今から30年くらい前までは世界の常識であったような気がする。寒冷化の根拠についての確かな記憶はないけれど、太陽黒点の減少が太陽活動の低下を招く、火山の噴火による大量の噴煙が地球に注がれる太陽光の透過を妨げる、ほかにも理由があったような気がしているけれど、そんなことが大きな原因とされていたような気がしている。

 それがどうして、現代の温暖化一色に変わってしまったのだろうか。経済政策としての原子力発電の推進が世界的規模で拡大され、それに政治家が飛びつき更には予算をめぐって学者や識者や企業家までもが群がったなどという、そこまでの思いは考えすぎかもしれない。だがそうした時代変化と機を一にするように地球寒冷化の話題はなぜか突然に消えてしまったのは事実である。

 温暖化に伴う気候変動の物語にも、よく考えて見ればどこか胡散臭さいものが感じられる。例えば気温上昇による気候変動振幅の増大にしても、確かに台風の発生数の増加や大型化の傾向は現実として見られるような気がする。ただそれが果たして地球温暖化が直接の原因になっているのかどうかについては、学者も気象庁なども必ずしも明言しているわけではない。因果関係が考えられる程度の言い分でしかない。

 氷期、間氷期の繰り返しでも分るように、そもそも気象は基本的に揺らぐものである。問題はその揺らぎが、例えば炭酸ガス、例えば太陽黒点の増減、例えば火山の噴煙などと言った原因によって、自然の揺らぎの範囲を超えていることが立証されて始めて、容疑者としてまな板に乗せられるべきものであろう。揺らぎが自然の揺らぎの範囲に止まっている限り、それを他者のせいにすることは許されないだろう。ましてや人類の排出した炭酸ガスを犯人に仕立て上げ、電力料金の値上げや原発の推進などと言った、国民の負担増に結びつけるような仕業は決して許されないだろう。

 台風の巨大化が原因だと言われている被害もまたそうである。確かに被害は世界的に拡大しているように見える。だが、そうした被害は決して東京都であるとかニューヨークなどといった大都会では発生していないような気がする。台風や豪雨による災害を仮に死者数や土砂崩れによる建物崩壊などのレベルで考えるなら、そうした被害の多くは過疎地域や貧困地域に集中しているような気がする。つまり、被害は温暖化のせいと言うよりは、むしろ行政や財政政策などのの偏りによるものではないかということである。

 また、海水温の上昇が極地の氷を融かし、海水面を上昇させているとの話題もけっこう繰り返されている。海水面の上昇は陸地面積の減少を招き、特に低地からなる島国などは国家の存亡に関わるとも主張している。氷は融けると水になるのだから、いかにも納得できる理屈であり危機である。

 だが、例えばコップに氷を入れてふちまで並々と水を注ぎ室温に放置する。やがて氷は融けて始める。そうしたとき、コップの水は溢れるのか・・・。決してそんなことはない。氷は水に浮かんでいる状態で既に水面を押し上げているので、その氷が融けても水面が上昇することはないからである。単に氷が水に変わるだけのことで水面上昇は起きないのである。北極の氷面積が小さくなっていく衛星写真を見せられて、そのぶん海水面が上昇するかのような錯覚を与えているのは誰だろう。そしてその錯覚を糺そうともしないのは、どこの政治家で、どこの学者なのだろうか。

 南極の場合は違うかもしれない。北極の氷は海水に浮いた形で陸地を形成しているのに対して、南極は大陸であり、氷はその陸地に積もったものだからである。南極の氷が融けると海水面の上昇は間違いなく起きるだろう。ならば南極に限るなら、海水面の上昇は正しいといえるのだろうか。

 「南極では氷が融けると海水面が上昇する」、このことは正しいかもしれない。だが、最近の気候変動は台風の大型化や降雨量の増大を招いている。それは熱帯地方だけのことではない。北極や南極にも雨ではないけれど、降雪量の増大という形で影響している。いつもより多くの雨や雪が降るということは、同時に南極での積雪もまた増大していく、つまり「南極の氷は増えていく」ことを意味している。雪は水でありその水は海水から供給されたものである。南極の氷の増加は、そのまま海水面の低下を意味することになる。

 果たして南極の氷の融解と積雪とがどの程度相殺されるのか、そこんところの知識は私にはまるでない。ただ、「極地の氷が融けて海水面が上昇し、それによって国が水没する」というシナリオは、北極に関しては間違いであり、南極でも疑わしいことがこれで分った。

 こうして考えていくと温室効果ガスの増加が、地球環境の自然の揺らぎの範囲を越えたものとして、人類の責任によるものなのかが疑問となる。そして更に、温暖化よる海水面の上昇という問題にも疑問が出た。

 こうした私の思いなど、たかだか「サイダーの泡」程度のものでしかないことくらい自覚している。それでも、猫も杓子も地球温暖化の元凶は人類にあるとする思いに傾いている現代に、そしてそのことに「ちょっと待って」と異議を唱える声が少しも聞こえてこない現代に、どこか私はへそを曲げているのである。


                                     2017.4.28        佐々木利夫


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温暖化?、寒冷化?