南米が発祥地とされるヒアリ(蟻の一種)が日本各地で発見されているそうである。これに伴い、先日(7.23)はNHKの日曜討論で専門家数人に環境庁まで含めて対策をどうするかの議論がなされるなど、日本中が大騒ぎしている。なんでも噛み付かれると「火のように痛く」、場合によっては蜂に刺されたときに発症するようなアナフィラキシーショックを誘発し、場合によっては死にいたると専門家は国民の不安を煽っている。

 海外、特に中国からの輸入貨物に紛れて侵入してきたらしい。現在までに生息が確認されたのは神戸を含む数港での港湾管理地内に限られているようだが、外来種の新しい侵食として警戒されている。

 そんなこんなで世を挙げて、ヒアリ絶滅大作戦である。日本の生態系に重大な影響を与える、場合によっては在来種が絶滅の危機に陥る、咬まれると死ぬなどなど、一種のパニックとも言えるような大騒ぎが巻き起こっている。

 恐らくその背景には、「ヒアリに咬まれると人の命が奪われる」ことがあるように思える。いやいや思えるだけではない。むしろ、そのことが決定打となって、いわゆるヒアリ絶滅大作戦が社会から支持されているように思える。

 ヒアリが死の危険をもたらす毒素を持っていることは事実であろう。だがそれはアナフィラキシーショックによるものが、唯一だとされている。つまり、これ以外では、ヒアリが何らかの伝染性の細菌やウィルスを媒介するなどといった危険性はないのである。

 アナフィラキシーだけに限ったところで、危険であることに違いはないだろう。それはそうである。病気や事故による死よりも、アナフィラキシーによる死のほうが軽いなどとは決して言えないだろうからである。だとするなら、これだけ騒がれているのは致死性への危険率の高さによるものなのだろうか。

 この事件を契機に、専門家らしき人がいろいろテレビに出てきて、それぞれに勝手なことを言っているので、その主張について私が検証するだけの力はない。つまり、ヒアリ被害としての致死性の危険率について、私はまるで知らないのである。それでも「咬まれたらすぐ死ぬ」ほどのことではないらしい。

 アナフィラキシーなのだから、一種のアレルギー反応である。そしてそれはヒアリ独特のものではなく、アナフィラキシー一般としての危険性なり致死性と異なるものではないようである。

 ということは、ヒアリのそれも、例えばスズメバチに刺されて起きるアナフィラキシーショックと違いはないということである。だから、ことさらにそこに「ヒアリ」だけを強調する意味はないということである。

 ネットで検索したところによると、日本におけるアナフィラキシーショックによる患者数は5000人〜7000人といわれている。そうした中で、死者は最近の年平均で60〜70名である(厚労省、人口動態統計)。しかも、蜂毒関係による死は20名前後であり、多くは薬物(例えばペニシリンショックなど)が原因であるとされている。

 蜂などによる死者が少ないから、放置しておいても構わないとは思わない。例え少数だとしても、死ぬ本人にしてみれば少数であることは何の意味もない。一人の死として、自分全部の死であることに違いはないからである。ただ、ことさらにヒアリのみを取り上げ、しかも「絶滅大作戦」もどきの行動を日本中が起こすことに、どこか違和感が残ってしまうのである。ペニシリンショック防止大作戦、キイロスズメバチ絶滅大作戦には向かおうとせず、世の中こぞってヒアリの日本からの抹殺に向かっているのはどこか変である。

 これまでも例えば害獣駆除として熊やエゾ鹿、そのほかアメリカザリガニやブラックバスなどの外来種駆除に対しての、日本人の一種の偏った思い込みについての疑問はここへ書いてきた。それは主として、命の差を根拠とするものであった。だからそのことについてここでは触れない。

 それでも気になるのは、日本人の思い込みである。それはもしかしたら日本人というよりは、人類の思い込みなのかも知れない。

 どこから人類と呼ぶのかは議論もあるだろうが、つい一ヶ月ほど前に人類の発祥は今から約30万年ほど前ではないかとするドイツの進化人類学研究所の発表を引用した(別稿「人類〜生物としての成熟」参照)。

 昆虫の進化についても私の知識はとても貧弱である。それでも蟻が羽のない蜂であり、近縁種であることくらいは理解できる。だから、蜂の持つアレルギー物質である毒が、蟻に存在していたとしてもそれほど驚くことはない。そして蜂も蟻もその進化の歴史は人類など到底及ばぬほど古く、数億年を超えているだろうことくらいは想像がつく。つまり、ヒアリが進化してきた過程を見るなら、人類はずっとずっと後輩であり、つい最近の進化による新種なのである。

 別に人類が後輩だからと言って、先輩を常に敬ったり大切にすべきだといいたいのではない。そんなこと言っちまったら、「生物としての人類」は世の中のあらゆる生物の最も下位に位置する新種、つまり最後輩になってしまうだろうからである。

 だからと言って、「人類こそが生命の頂点に位置している優性生物だ」、「だから、それに逆らうような、人類に害するあらゆるものはすべて排除すべきである」、とまではどうしても思えないのである。しかも駆除と呼ばれる考えの背景は、人類が他種の勢力範囲を侵食し、自らが勝手にその勢力を広げてきたことにあるような気がしているからである。

 ヒアリもそうである。恐らく彼等とて、「生き延びろ」、「子孫を残せ」を大命題として長い歴史を種として過ごしてきたはずである。それだけをひたすらに守ってきたはずである。南米原産と言われているが、海を渡ったり空を飛んだりする能力はないようだから、せいぜいが地面を這うことで勢力の拡大を図ってきたのだろう。

 だから、日本に到達したのはヒアリの意思によるものではない。恐らく経済が巨大化し、物流や人々の交流が世界的規模にまで拡大したことによって、荷物や衣服などに運ばれ拡大していっただけなのではないだろうか。そして地球温暖化が、そうした外来種の生息域の拡大にも寄与しているような気がする。だとするならヒアリの勢力拡大はヒアリ自身による責任ではなく、完全に人類によるものである。

 その責任を人類は、特定の生物にヒアリであるとか害獣や外来種や病原菌などと言った差別的な名称を付すことによって負わせようとしている。そのことが、どこか人類の身勝手にあるように思えて納得できないでいるのである。それは決して「命の尊重」などという高尚な思いからくるものではない。ただただ、人間の身勝手さだけがそこに感じられてならない、それだけのことである。

 このように考えてくると、人類こそがあらゆる生物にとっての外来種であり、しかももっとも悪質な外来種だということになる。古代ギリシャでは奴隷は人ではなかったし、ヒトラーはユダヤ人を抹殺すべき劣等種族と判断し国民もまたそれを承認した。現在でも異教徒や異民族は排除し隔離することが公然とされ、移民や難民もまたその中に含めようとしている。人は、どこか差別の中でしか安住できないように進化してしまったのだろうか。


                                     2017.7.25        佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ
 
 
 
ヒアリ絶滅大作戦