最近このエッセイで、人類が絶滅危惧種ではないかと書く機会が多くなったような気がしている。それは現在の人類の進んでいく方向が、どこか間違っているのではないかと思う私の偏見のなせる結果なのかもしれない。だから、系統だって人類が絶滅への途を辿っていると証明できるような理屈には必ずしもなってはいない。ただ、たかだか数十万年の進化を経ただけで、人類が「我々こそが生物界の頂点だ」と思っているような風潮が、どうにも違和感に結びついてしまうのである。
例えば数億年を生き延びてきた恐竜だって、少なくとも何らかの意識を持っていたはずである。その意識と人間の持っている意識とを単純に並べることができるとは思わない。それでも、「私こそがこの世の進化の頂点にいる」と恐竜が思っていたとしても、何の不思議もないように思えたからである。それはまさに数億年を生き続けてきた実績に基づく自信である。人類など箸にも棒にもかからないほどの、まさに無限とも思えるほどの長い期間を彼等は地球環境に適合した王者として生き抜いてきたのである。そしてその末裔たる鳥類がどこまで恐竜の遺伝子を残しているかは分らないけれど、今では一応恐竜は絶滅したと考えられている。化石でしかその存在を確かめられないでいる。
もし仮に、恐竜の終焉を「絶滅」と表現することが許されなら、仮に地球そのものが消滅してしまうような破滅的な未来を考えないまでも、人類だって恐竜と同様に絶滅してしまう可能性だって十分にあるのではないだろうか。たとえその原因が巨大隕石の衝突や地球全部の凍結や噴火などの大災害、更には人為的な原因による事故や環境の変化であったとしてもである。そんなことくらい、私のような稚拙な頭でも容易に考えつくことができる。
つまり、「人類が生物進化の最終形態ではない」し、「地球の最後まで生き残れることが保障された生物なのでもない」ということである。もちろん長く生存し続けることだけが生命としての進化ではないかもしれない。現在地球上に存在している生物にしたところで、もしかしたら原始生命体から少しも進化しない姿そのままの、例えば細菌などの姿で地球誕生からの46億年を生き抜いている種があるかもしれないからである。
何をもって他種間の交流というのかは分らないけれど、その細菌と人間との間に常識的に私たちが考えているような意見交換であるとか交流はないだろう。それは分る。犬猫もとよりチンパンジーとだって、研究者によっては異論があるだろうけれど、人が人と分かり合えるような意味での交流はできていないと思えるからである。
ただそれは、人間に都合のいいように考えた身勝手な意味での交流に対する解釈でしかない。細菌が仮に人間に向かって何らかの意思を伝えようとする。その伝達する手段や結果が、人間にとって何らかの不利益、例えば病気や腹痛や短命などにつながることだって十分に考えられると思うのである。細菌は人を殺したかったのではない、ただ「こんちには」と伝えたかっただけなのかもしれない。
人がある生物に向かって声をかけたとする。ところが、その生物にとっては音が致命的な障害になる場合だって十分に考えられる。私たちの考える当たり前が、あらゆる生物にとっての当たり前になっている保障などどこにもないからである。
人間の吐き出す呼吸に含まれる炭酸ガスは、もしかしたらある種の生物にとっての致命的な毒ガスになっていることだって考えられるのである。
こうした考えは人間同士にも当てはまるように思えてきている。今週書いている「
排除の論理」の中で、ヒトラーを「悪の根源」とすることを特に否定はしなかった。恐らく世界の潮流がそうなっているからなのかもしれない。
ただそのときふと気づいたのである。「ヒトラーは悪」、そのことを否定しようとは思わない。だがヒトラーだけを悪者にして、残りは全員が善であるかのように考えることが、どこか間違っているのではないかと思ったのである。だからと言って「ヒトラーに同調したナチスやナチスを選んだドイツ国民も悪だ」ということを言いたいのではない。
むしろ人間である私たちがヒトラーを生んだのではないか、ヒトラーを育てたのは私たち人間だったのではないかと思ったのである。そして更に言うなら私たちは誰でもヒトラーになれた、なれるのではないか、ヒトラーは特別な悪として生まれてきたのではなく、ごく普通の人間だったのではないかと思ったのである。
そして誰もがヒトラーになれたのではないかと思ったとき、人が人を支配する力は誰もが潜在的に持っているのではないかと思ったとき、人類は間もなくそうした力を持ってしまったことで、絶滅へと進んでいくのではないかと考えたのである。そしてそしてなぜか、人類は誰もがガンジーやマリア・テレサやヘレン・ケラーになれるとは考えなかったのである。これは私のへそ曲がりのせいなのか、それとも世界のこれまでの歴史が示している極めて当たり前の事実だからなのか・・・。
2017.10.6
佐々木利夫
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