4月のこの欄に「温暖化?、寒冷化?」と題して、地球が温暖化に向かっているという風潮は本当なのだろうかとの疑問を書いた。そしてその中で、地球が温暖化して、台風の大型化や大雨などの気象災害が増加しているのは事実かもしれないけれど、温暖化によって南極の氷が溶け出す、あるいは溶け出して海水面の上昇に影響を与えるとの説明には疑問があるとも書いた。

 その理由は地球の温暖化が海水温の上昇を生み、それが多雨豪雨などの気象異状に影響していることを仮に認めたとしても、多雨という現象は少なくとも南極では多雪を意味しているのではないかとの単純な疑問からくるものであった。つまり、南極の氷は長い年月をかけた降雪によるものである。だとするなら、多雪という現象はそのまま南極の氷の厚さを増すことに結びつくのではないかと思ったのである。

 確かに南極は陸地が氷で覆われている地域である。つまり、大地があり、そこに長い時間をかけて氷雪が積み重なったできた大陸である。だから南極といえども、地球の大気の温度や海水温が上昇することで、その氷が溶け出すという理屈は極めて分りやすいものを持っている。春になって、道路や屋根の雪が融け地面が現れてくる様子は、私たちが日常的、常識的に知っている季節の変化だからである。そして、氷が融けるとそれはやがて海へと流れ込み、結果として海水面の上昇に結びつくだろうことも理屈としては理解できる。

 そして海水温の上昇は大陸から切断された多くの流氷を生み、北極熊が餌を求めて歩き回りやがて大陸から隔離された流氷に閉じ込められたまま餓死する映像へと結びつく。気象異状、生態系への影響、かくして地球温暖化は一つのドラマを形成する。そしてそして、地球温暖化防止のために、世界が二酸化炭素の排出をセーブするとの国際条約につながり、それがやがてパリ協定となり、それは更に主要締結国であったアメリカが新しいトランプ大統領によってこの協定からの離脱を宣言したなどへと流動化し、世界はいま地球温暖化に揺れている。

 私は「二酸化炭素の排出」や「地球温暖化ガスの減少」に意味がないと言っているのではない。また、温暖化の原因が二酸化炭素にあることを否定したいのでもない。

 ただ、先の「温暖化?、寒冷化?」でも書いたように、炭酸ガスの最大の排出元は海水にあるのではないかと思っているだけなのである。そしてそれに加えて、南極の氷が融けて海水面が上昇するとの理屈にも無理があるように思っているのである。

 それは、最近伝えられた二つのニュースにも表れているように感じられる。一つは、2017.6.29のNHKの朝のニュースで聞いた南極における雪日数の増加である。小耳に挟んだだけなので詳しい内容は覚えていないのが残念である。ネットで確認しようと探してみたのだが、似たような情報は見当たらなかった。そのため具体的に証拠をここに示すことができないが、従来の南極の雪日数の平均は年間179日なのだそうである。それが去年だけなのか、それとも「ここ数年」という意味なのかまで分からないけれど、それが200何日かに増えているとのことなのである。雪日数が年間20日以上も増えているのはそれだけ雪の量も多くなったことなのではないだろうか。

 もう一つは同じくNHKの朝のニュースなのだが、南極の最低気温が氷点下81度と、これまでの記録を更新したとの報道である(2017.7.12)。つまり、南極は更なる寒冷化に直面しているのである。だからと言って、この事実をもって地球温暖化の反証にしたいわけではない。温暖化と寒冷化は同時に起きることもあると聞いているからである。

 また、先の降雪量の増加についても、雪日数の増加をあげているだけであって、累積された降雪量の増加にまでニュースが触れていたわけではない。だから、雪の日数が増えたとしても、それだけで積雪量が増加したことにはならないだろう。今回の九州の福岡朝倉地区を襲った豪雨だって、僅か数日で7月一ヶ月を超える雨量だったと言っていたから、雨の日数と降雨量とは必ずしも比例しないだろうからである。

 それでも南極が寒冷化へと向かっており、それと関係があるかどうかはともかく、多雪になっていることから氷が厚くなっていることが想像される。融ける氷、積もる雪、この両者のバランスで海水面への影響は決まるのだろうから、融けることだけを理屈に海水面上昇を訴える行為にはどこか疑問をもたざるを得ない。

 二酸化炭素の増加が原因で気象異状が起きているという説を、否定したいと思っているわけではない。むしろ肯定的にすら感じている。

 それでも、その原因について根拠を示すことなく、単に国民を恫喝するかのように危機感を煽る主張にはどこか嘘くささをかんじてしまうのである。

 本当に私たちが出している二酸化炭素が温暖化の原因になっているのか、節電したり燃料電池車に代えることで温暖化防止にどこまで貢献できるのか、たとえ貢献度が少なくとも努力することに意味があるのか、海水が吸収し排出する炭酸ガスの影響はどの程度なのか、それをコントロールするような技術を私たちは持っていないのか、温暖化寒冷化は二酸化炭素だけでなく、地球という巨大な環境の数万年サイクルの変動とは無関係なのかなどなど・・・。

 私にはそこまでの議論がなされていないような気がしてならない。目先の経済効果などに目を奪われ、原発こそがクリーンエネルギーである、太陽光発電や水素燃料こそが究極のエネルギーである、そのためには巨大な工場や設備などの投資を国民それぞれが負担しなければならないなどなど、私たちはあまりにも「お金」に惑わされているのではないだろうか。目先にとらわれて、もっと大切な「地球の意味」をないがしろにしているのではないだろうか。


                                     2017.7.21        佐々木利夫


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南極に降る雪