今年も8月6日がやってきた。テレビは各局とも投下されてから72年目を繰り返し、数十カ国もの外国勢や日本の総理大臣が参加して、盛大ともいえる慰霊祭が催された。そして間もなく終戦か敗戦かはともかく8月15日がやってくる。
戦争はいやだ、原爆を繰り返すな・・・、これまで何人、何百人、何万人、何百万人がこの言葉を繰り返してきたことだろう。そうした思いは日本や日本人だけのものではない。原爆こそ新しいテーマだけれど、「戦争はいやだ」との思いは、恐らく人類が戦争という形式の争いを思いついたときから戦闘員やその家族などに多く存在していたのではないだろうか。
そうした思いは、もしかしたら反戦、厭戦を抱いた人たちだけではないのかもしれない。例えば戦争を仕掛けた当事者もまた、同じ思いを口にしたのかもしれない。
恐らく戦争を「善」だとみなす考えは、主導者たる為政者そして従軍する国民の双方に、そもそも存在していないような気がする。だから戦争には常に正当化の要求が伴い、どんな時も「正義」の衣をまとうのである。まとうことで「戦争をするしかほかに選択肢はなかった」ことを自らを含めた多数に納得させようとしているのである。
「止むを得ないのだ」、「戦わないと、こっちが滅ぼされるのだ」、「嫌々やっているのだ」、「望んでやっているのではない」、「必要悪なのだ」、「国や家族を守るためなのだ」・・・、それを私たちは正義と教えられ、そのために戦うのだと言われ続けてきたのである。
それでも人々に「戦争はもう嫌だ」との思いが消えることはなかった。そして仕掛け人である政治や権力の当事者からも、真意なのかそれとも国民を単に納得させようとしているだけなのかはともかく、同じような声が聞かれるようになった。
それでも、戦争がこの世から消えることはなかった。「自らを守るためには、止むを得ないことなのだ」との名目の下に、人は常に戦争をエスカレートさせてきた。
人類としての発生が今から30万年ほど前に遡るのか、それとも文化や教育や共同生活などの事実が分っている数千年程度のものなのか、どの程度の知識をもって人類と呼べるのかは私には必ずしも分っていない。だが戦争で死ぬ者が、文明と共に増加してきた事実だけは誰にも否定できないだろう。
恐らく戦争のはじまりは、素手による殴り合いだったのだろう。それが道具を使うことを覚えることで武器が生まれ、武器の効率化が戦死者の増大に拍車をかけた。弓が生まれ銃が生まれ、それが機関銃や大砲へと変化していった。そうした兵器の大量殺戮への進化は、そのまま現在の核兵器や化学兵器にまでつながっていく。
恐らく核兵器にまで至って、兵器の進化はとりあえず一段落したような気がする。それは進化の停滞ではない。進化させる必要がなくなったからである。原子爆弾はやがて水素爆弾であるとかコバルト爆弾と呼ばれるものにまで進化した。ところが、戦争は他者を攻撃するものである。使用した兵器が、他国や他者などの敵への侵害を超えて、自国や自国民にまで及ぶようになってしまうと、その兵器の開発は停滞することになる。例えば一発で地球そのものを破壊しつくすような兵器の開発は無意味になるからである。敵への使用はそのまま、自国の壊滅につながってしまうからである。
恐らく、科学的にはそうした過剰殺戮にいたる兵器までの開発は可能であろうし、おそらく科学者はそこを超える研究にまで到達しているように思う。ただ、そこまで進化した兵器は、「使えない兵器」になってしまうことに気づいた。「自爆」を覚悟の威嚇兵器、抑止力だけを目的とした兵器としての役割が皆無であるとは思えないけれど、自国の壊滅までをも含む兵器は兵器としての機能を失うことになるだろう。
そうした意味で、現在の核兵器は「とりあえずの究極兵器」として位置づけられるであろう。そこまで開発の進んだ兵器を互いに持ちながら、戦争はそれでも止むことはない。大げさに言うなら、世界中が「戦争反対」の大合唱であるにもかかわらず、この世から戦争が消えることも、消える気配もないのである。
戦争に「賛成」か「反対」かを、例えば世界の人々に選ばせたとしたなら、答えは決まっているだろう。世界の政治家にアンケートをとったとしても、恐らく同じ答が返ってくることだろう。つまり、「世界中が戦争に反対」なのである。世界中の人が「戦争は嫌だ」と思っているのである。それでも戦争は止まるところをしらない。世界は今も戦争で溢れかえっているのである。
核兵器禁止条約が国連で採択された。持たないこと、作らないこと、そして使用しないことなどを世界が望み、そのことを宣言した。だが核保有国は一国としてその条約に参画することはなかった。そして核を持つことがアメリカやロシア中国などの保有国も、北朝鮮などの保有していないと思われる国も、自衛の威嚇の名の下に保有そのものの正当化を主張する。
戦争による難民が世界中に溢れ、行き場のない流浪の民は国境を越えて逃げ惑っている。そしてその受け入れを拒否する理屈もまた、自国の防衛であり自国民の利益の擁護である。それをエゴとは言うまい。だが「自分かわいさ」とエゴとの一線はどこにあるのだろうか。
原爆が広島に投下され、3日置いて長崎に投下された。そして続く日本の敗戦8月15日。それから今年で72年になる。77歳の私は、そのまま終戦の歴史でもある。それだけの長い期間を経ても、戦争は消えることはなかった。
確かに反戦の声、原爆禁止の声は高まっているかもしれない。日本は憲法に書くことまでして戦争を放棄した。それでも戦争の危機は残されたままである。反戦への人々の思いが高まってきていることを否定はしない。だが「反戦の思い」の高まりと「戦争の拡大」、「戦争の危機の増大」とは無関係であることもまた、現実の世界を見るとき身をもって知らされてきた。「思いの高まり」が戦争の縮小や危機の回避につながることはないのである。
「思いは伝わる」、私たちはひたすらそう信じてきた。それは「努力は報われる」と同じ意味を持っていた。少なくとも、例え目に見えるほどの効果でなくとも、そうした思いが戦争の危機を僅かにしろ沈静化させる働きをもっているのだと信じてきた(別稿「
ハチドリのひとしずく」参照)。だが「思い」は伝わらないのである。人々の思いとは無関係に、戦争はあたかもそれ自身が生き物のように、増殖し拡大していくのである。
その生き物は、もしかしたら思いとは無関係なのではなく、むしろ「反戦への思い」そのものが栄養源となって増殖していくようにすら思えてならない。反戦への思いの背景には、どこか自らが安全圏にいるという神話に囲まれているように思える。飽食が当たり前になり、ゆったりとしていつまでも続く安全な我が家があって、そうした「少なくとも私は安全・安心、そしてしあわせ」と言った別世界にいるぬくもり感、そしてそうした神話の中に埋没した「平和ボケ」があるのではないだろうか。、
そんな「飢えを知らない満ち足りた人たちの考える反戦への思い」、「ビールを片手に平和を論じることのできる環境」が一種の思い上がりとなって、「形式的には反戦でありながら、その一方で戦争を間接的に支持しているかのような雰囲気」を、私たちは無意識に醸成してしまっているのではないだろうか。
2017.8.9
佐々木利夫
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