数年前にもパラリンピックについて書いたことがある。これから書くことはそれと多少重複することになるかもしれないがご容赦願いたい(別稿「ドーピングとパラリンピック」参照)。次回のオリンピックは、2020年に東京で開催される。書こうとしていることとは無関係ではあるが、私たちが結婚したのは前回東京でオリンピックが開催された1964年(昭和39年)のことだった。だから寿命が続くならあと三年足らずで、二回目のオリンピック記念たる結婚記念の年を迎えることになる。当時苫小牧に勤務していて、結婚式直前に近くの千歳空港まで聖火リレーを見に行った記憶がある。今から53年も昔の話である。

 当時からパラリンピックはあったのかもしれないけれどまだ障害者スポーツの感触で、現在のようにオリンピックと並ぶ競技会とまでは認知されてはいなかったように記憶している。つまり、まだ健常者スポーツ大会の国際版がオリンピックであり、障害者スポーツ大会はそれに付随するものとして位置づけられていたのであろう。

 こんな風に言ってしまうと誤解されるかもしれないが、だからと言って障害者のスポーツ大会を軽んじるつもりはさらさらない。ただ私が言いたいのは、恐らくパラリンピックの発祥は、健常者と比較して障害を持つ者が弱者であることが原点にあったのではないかと言うことである。

 それは決して「弱者が可哀想」との思いからきたものではないだろう。戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして始められたとの説もあるが、弱者にも弱者なりに一生懸命スポーツに取り組む機会があってしかるべきではないかと、障害者に向けたスポーツ大会の発案者は考えたはずである。そしてそうした意識が局地的であった大会を、現在のような国際大会にまで育て上げてきたのだと思う。

 現在のパラリンピックに、そうした思いがどこまで実現されているかは分らない。だが今では少なくとも見かけ上は、オリンピックに並ぶ地位を獲得するまでになっている。そのことを批判するつもりはない。それでも最近、オリンピックとパラリンピックが同時開催される2020年の東京大会まで、残る1000日を切ったなどとメディアで話題になるにつれ、こうした並列開催に私は何かしら違和感を覚えるようになってきたのである。

 その最大の要因は、大雑把に言うと「オリンピックとパラリンピックとを区別して開催する必要がどこまであるのだろうか」、「健常者と障害者とはどこが違うのだろうか、また異なる対応をとることが果たしてどこまで妥当するのだろうか」などと思うようになってきたからである。パラリンピックの背景には、「障害者は弱者なのだから、どうしたって健常者と対等に闘えるはずがない」、だとするなら「健常者とは別のグループを作って障害者同士に限定した独自の大会を開催しようではないか」との思いがあったのではないかと思うのである。ただ、そうした思いと最近の現実とが、どこかで齟齬をきたしているのではないかと私は思い始めてきたのである。

 つまり、「健常者と同じ競技を、多少ルールを変えてでも障害者同士で闘わせたい」との思惑がどこまで筋が通っているかの疑問である。それは「競技の種目は、健常者と同じ内容のものになっている」ことの中に、まだパラリンピックが健常者スポーツの付随であるとの思いが表れているように見える。ルールが多少違うだけで、同じ競技種目に統一されているように思えるからである。

 だがそうした競技種目の共通性は、考えてみれば健常者による身勝手な発想ではないだろうか。健常者が例えば野球であるとかマラソン、更には水泳やスキーなど何でもいい、健常者スポーツとしてあらかじめ理解できる範囲内の競技を設定し、障害者がそれに合わせることを前提としているように思えるからである。

 そしてその障害者に向けたルールには、決して健常者の分野を侵さない、地位を危うくするような戦い方はしないことが求められている。つまり、健常者と障害者が同等の立場で互いに直接対決することのないような暗黙の了解が仕組まれているのである。障害者が健常者に比べて弱者であることは所与であるとして、それを庇護するための手段として障害者スポーツが組み立てられているように思えるのである。

 だが現実はそうした健常者の優位性が、部分的ではあるものの逆転されるまでになってきている。目覚しいのは義足の分野であろう。素晴らしいスプリング性能を持つ義足の開発は、装着感といい機能といい、健常者の鍛えられた足の能力を超えるまでになってきている。義足の進歩は、単に歩くことや走ることの分野にだけ関わるものではない。走ることだけなら、100メートル競走やマラソン競技程度の範囲に止まるかもしれない。

 だが肉体の代替としての義足の進化は、あらゆる種目に健常者を超える力を障害者に付与するまでになってきている。幅跳びも高飛びにも、何なら水を蹴って進む水泳にも、跳躍力が基本となるバスケットやバレーボール、スキーやスケートのジャンプなどなどにも、恐らく「足」を使うあらゆるスポーツに、その影響が及ぼうとしている。その範囲は極端に言うなら、柔道もレスリングも今回から登録されたボルタリング(クライミング)を含め、まさに「あらゆるスポーツ」にまで及んでいる。

 しかもこうした変化は義足の分野だけに止まるものではあるまい。性能を高めた義手は、水泳や卓球、砲丸投げや槍投げ、レスリング、重量挙げなどへと際限なく普及していくだろう。そしてそうした方向への将来は、肩や腰の筋肉の代替、人工の心臓や肺への交換、更にはまだ荒唐無稽かも知れないけれど人工血液の開発などにも及ぶようになるだろう。私たちの体の多くが「義足」と同じような代替が可能になってきているのである。義足とは本来、交通事故や戦争などで足を失った者の補助具として開発されたはずである。その義足が補助具としての機能を超え、仮にオリンピックで優勝するために健常者の足を意識的に交換する手段としてまで用いられるほどの性能を発揮するようになってきている。そうした時、それは果たして補助具としての義足なのだろうか。そしてその装着者は果たして全員が障害者と呼んでいいのだろうか。

 2018年に韓国・平晶(ピョンチャン)で開催される冬季オリンを巡って、ロシアがドーピンク゜疑惑で国ぐるみ参加できないことになった。選手はもとより、ドーピングに加担したり、禁止に非協力な個人や国の参加を禁止したりすることは当然だとは思う。だが現実世界はドーピング(薬品による人体の補強や改造)の範囲を超えて、「人体の部品化」、「人体の物理的改造」にまで及んでいく気配を見せているのである。

 オリンピック、パラリンピックを通じて、「人体とは何か」、「どこまでが人間なのか」、「人間とは何か」などの哲学論にまで話題を発展させようとは思わない。しかし既に人の能力を超える人体部品の開発が、そこまできているのである。そしてその部品は人体のあらゆる場面で、生身の人間の性能を追い越そうとしているのである。障害者へのいたわりを否定しようと言うのではない。ただ最近、障害者の意味が分からなくなってきつつあるのである。そしてその現実は、パラリンピックの意味を改めて問い直さなければならないところまできているように、私には思えてならないのである。


                                     2017.11.14        佐々木利夫


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パラリンピックの行方