イギリスの王室の物語が盛んである。適齢期にある若きプリンスが、配偶者を選んだことを公表したからである。そのとき私は思ったのである。男性であるプリンスは、血統として父親がプリンスでなければならないが、その配偶者であるプリンセスは理屈から言うなら誰から生まれようが構わないことにについてである。

 もちろん、プリンスから結婚を申し込まれる程度の年齢なり出会いのきっかけみたいなものが関係しているとは思うけれど、少なくとも血統としてのプリンセス性が要求されることはない。

 グリム童話に出てくるシンデレラの血統についての知識は、私には寡聞にして乏しい。だがプリンスとの出会いさえあれば灰だらけの少女(シンデレラとはそういう意味だと聞いた)でも、下働きの女中でもプリンセスになることができるのである。つまりプリンスとプリンセスとの違いは、「なる」と「なれる」の違いなのであり、「始めから決まっていること」と「女性であれは誰から生まれようとも無条件になれる」との違いなのである。

 もちろん無条件といっても、なんの条件も必要とされないわけではない。女性であること、そしてプリンスに結婚を申し込ませるだけの魅了さを有していることだけは必須の要件となるだろう。

 シンデレラは舞踏会でたまたま脱げてしまった「ガラスの靴」が、プリンスを射止めるきっかけになったけれど、不美人で教養もなくプリンスと出会う機会などマッタクないない環境にいる女性にしてみれば、我が身がプリンセスになることは金輪際不可能なことだったのである。

 つまり、「誰にでもなれる」はずのシンデレラは、「誰にでもなれるはずなのに、シンデレラには絶対になれない」物語でもあったのである。そして「かならずプリンスになれる」という出自の制限は、逆に言うなら「絶対になれない」という希望であるとか理想すらも抱いてはいけない絶対的条件を示していることになる。

 さてシンデレラに話しを戻そう。確かに灰かぶりの貧しい下働きの少女が、こともあろうプリンスの眼鏡に叶ってプリンセスの座を射止めたのがこの物語である。だからこそのシンデレラ物語である。誰もが夢見るシンデレラ物語がここにある。

 だがこの物語は残酷なほどに、「プリンセスになることなどできない」ことを示す物語でもあるのである。プリンスがプリンセスを選ぶ場として、この貴族以外の一般参加者まで認めた舞踏会がどの程度の効力があるのか、またはあったのか、その辺の知識は私にはまるでない。また、そこに「私こそはプリンセスに選ばれたい」と願う女性が、どれほど集まったのか、そんなことも知らない。

 例えば500人が集まったとするなら、この舞踏会は「一人のシンデレラが選ばれる場」であると同時に、499人が排除された場でもあったのである。499人もの圧倒的多数に対して「あなたは永久にプリンセスに選ばれることはない」ことを宣告する場でもあったのである。

 他方、シンデレラも必死である。「選ばれる」のは受身だけでは成就しない。「プリンセスになれる可能性」はすべての参加者に与えられている。選ばれる前からシンデレラに何らかの特典が与えられていたわけではない。応援してくれる魔女の魔法を借りてカボチャを馬車に変えるにしろ、ガラスの靴の小道具にしろ(0時を過ぎると馬車も衣装も、魔法で作られた一切が消えてしまうのに、どうして靴しかも片方だけが消えずに残ったのか、これだけがこの物語への私の疑問である)、プリンスと出合って自らをアピールしなければならない。

 そうした行動の選択をあっさり自己責任と言うことはできないかもしれないが、一瞬の出会いに賭けたシンデレラの努力の成果である。出会いのチャンスは、そのチャンスを作ることも含めて一瞬である。その一瞬がダンスを申し込まれ続く数分の出会いにつながるのである。最初の出会いの一瞬にシンデレラは己の生涯を賭け成功した。残る499人を押しのけて、「私を選んで」とアピールすることに成功したのである。

 こう考えてくると、シンデレラはしたたかな女である。可愛いだけの女ではなかったことが分ってくる。私のシンデレラに対する思いは以前ここへ書いたことがあるが(別稿「シンデレラ」参照)、彼女はもともと王女である。父である王からの近親相姦の恐れから逃れて、灰まみれの下女として隠れた生活をしているのである。

 そんな彼女がどうしてプリンセスになることを希望したのであろうか。やはり灰まみれの生活は苦しく、他の区なかったのだろうか。元の王女のような恵まれた生活、いやいやそれを超える王妃としての生活を望んだのだろうか。

 そう考えると、シンデレラ願望というのは生活の安定を願う女性特有の心情のあらわれなのかもしれない。女性はシンデレラになることを願い、シンデレラなることに気力を注ぐ。それを女性の持つしたたかさなのか、それとも種の保存に裏打ちされた生物としての生き様なのか。女性が生き残ることとは、かくも熾烈なのかとイギリスのプリンセス誕生に、余計なことかも知れないと理解しつつ、その執着に思いを馳せたのであった。


                                     2018.8.22        佐々木利夫


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シンデレラ物語